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2024.12.28 公開 ポスト

#2 二人の少年と“天国の花”――不穏な予感が交錯するゲームの世界永嶋恵美

先日発表された「このミステリーがすごい!2025年」で『檜垣澤家の炎上』がランクインした永嶋恵美さん。

この特集では幻冬舎で刊行された永嶋恵美さんのデビュー作『せん-さく』の試し読みを5日間連続で掲載していきます。本作はインターネット黎明期の不安とさびしさに包まれた複雑な人間関係を巧妙なプロットで描写した感動の長編ミステリです。

今回は序章の一部をご紹介します。(#1から読む

*   *   *

「へえ、速くなったじゃん」

パソコンのディスプレイを覗き込んでいた少年が言った。口調とは裏腹に大げさな身振りで。

「だろ?」

それに気づいていないのか、気づいていないふりをしているだけなのか、もう一人の少年が得意げに答える。

まだ昼間だというのに、ブラインドを下ろしたままの薄暗い部屋に、明るいディスプレイだけが浮かび上がっている。天井の広さは六畳程度あるのだが、「床」として目に見える部分は半畳分も残っていない。壁一面を塞いだ本棚、パイプベッド、デザイン用の机、十七インチディスプレイのデスクトップパソコン、それを納めたパソコン用デスク。それらが床面積を狭めているのだった。

その狭い中、二人の少年は押し合うようにしてパソコンに向かっていた。

「CPUとっかえて、メモリ積みまくった」

「電算室のジャンクとはえらい違いだよな」

「ガッコの備品なんかといっしょにすんなよ」

「俺、ガッコの備品と、ここのしか知らねえもん」

その言葉には、羨望せんぼうとあきらめに似た何かが混じっていた。けれども、それを悟られるのは彼の自尊心が許さなかったのだろう。少年は即座に話題を変えた。

「けど、液晶にしなかったんだな。ディスプレイも換えるって言ってたから、てっきり」

「俺、液晶嫌い。キレイなのは買ってすぐだけでさ、すぐに黄ばむし、暗くなるし。もうフツーでいいよ、フツーのやつで。こいつなら、毎日使いまくっても三年つから」

実際のところ、彼には液晶ディスプレイのパソコンを使った経験はない。ネットで目にしたユーザーの不満をそのまま言葉にしているだけだった。

「三年たつ前に、もっといい液晶が出てたりしてな。黄ばんだり、暗くなったりしないやつ」

「あー、それ、あるかもしんない」

得意そうな声がやや萎んだ。

「そこなんだよな、問題は。早すぎんだよ、新製品出るの。なんか、メーカーに負けた気がしてイヤっつーか」

「負けでも勝負できるだけいいじゃん。あーあ。俺も自分専用機欲しいなあ」

「だったら、携帯電話、買ってもらえば。あれ、ネットにつなげるようになったんだぜ」

iモードというサービスをNTTドコモが始めたのは、昨年だったように記憶している。どこまで使えるのかは知らないが、パソコンを買うよりは安い。

「おまえんとこの親、厳しいんだっけ」

「ケチなんだよ、うちの親は。てめーが機械に弱いもんだからさ、こーゆー文明の利器ってやつ、毛嫌いしてんの」

「うちは逆だな。機械に弱いのがコンプレックスだからさ、今時これくらい使えなきゃって言えば、なーんも考えないで金出すぜ」

「バカだよな、どっちも」

「うん。死んでも治らないくらいのバカ」

二人は揃ってため息をつく。

「やめやめ。本題に入るべ」

少年はそう言って、少しばかり乱暴にマウスを動かした。電話の呼び出し音に続いて、アクセスポイントに接続するとき特有のノイズがモデムから響いてくる。

「いくらマシンのスペック上げても、回線がこれじゃあ、結局、同じなんだよな」

パソコンの所有者である少年が、またため息をついた。

「交渉、決裂したんだ?」

「ムリムリ。交渉なんて最初っからムリ。理解不能なんだよ、うちのバカ親の頭じゃ。ISDNとADSLの違いどころか、どっちも電器屋で売ってるって思ってるぜ、あいつら」

「インターネットの売り場はどこですか、ってあれ?」

「そう、そんな感じ。今時それだよ。もうすぐ二十一世紀だっつーのにな」

やがてパソコンのディスプレイに、パスワードを入力するボックスが表示される。少年は視線をディスプレイに向けたまま、八桁分のキーを押す。すぐに画面が切り替わり、『STAR GATHER』という文字が流れてきて、中央で止まった。

STAR GATHER、通称SGは、二人が熱中している無料オンラインゲームである。「二千人のユーザーと対戦プレイができる」というのがうたい文句だが、ルールそのものは、小学生の間で流行している遊戯王カードや、大学生がメインユーザーのMTGと似たようなものだった。

テーブル上の紙カードか、ディスプレイ上の画像かという違い、目の前に相手がいるかいないかの違い。他にリアルタイムではなくターン制であるために、カードの効果発動が単純化されていたりするが、基本的な部分では変わらない。

家庭用ゲーム機のソフトに比べてシステムも簡素なものだったし、チェスや囲碁のオンライン版に比べてもわかりやすいゲームである。

そういった単純さがこのゲーム最大の長所だった。回線速度の遅さやマシンのスペックがハンディキャップにならず、初心者でもやり方次第で上級者との差を埋めることができる。そこそこ運も絡んでくるから、中級者と上級者ならば十分に逆転も可能だ。

だからだろう、無料のテストプレイ期間ということを差し引いても、SGのユーザーは順調に増え続けていた。運営は大手玩具メーカーで、信頼性も高い。バグがあったり、頻繁なメンテナンスでゲームが中断されたりと、不便な点も多々あるが、どれも「無料」の一言で我慢できる範囲内だった。

「うっわー。ボロ負けしてやんの」

画面いっぱいに表示された細かい文字の羅列を見て、横合いから覗き込んでいたほうの少年が大声を上げる。

「デッキ、変えた直後だから」

まだ調整中なんだよ、とパソコンの持ち主である少年が反論した。

「おまえさ、デッキ変えるより、いい加減、ハンドル変えろよ」

「なんで? カワイイじゃん」

「かわいくない。ぜんっぜん。『うげ太』なんて絶対ヘンだって」

「そうかなあ」

「おまけにデッキ名が『うげうげ』だろ」

「違うよ。『うげうげな憂鬱』だってば」

このゲームでは、プレイヤー本人を表すハンドル名のほかに、場に提示したカード群、つまりデッキにも名前をつけることができる。おそらく、同一ハンドルのプレイヤーの識別を容易にしたり、いわゆる「なりすまし」を防止したりするために、ハンドル以外にも補助的な名前をつけるシステムが考案されたのだろう。

もちろん、名前をつけるつけないはプレイヤーの自由で、ゲームの進行に何ら変わりはない。実際、「ハンドル名未設定」「デッキ名未設定」のままでゲームを続ける者もいる。

ただ、プレイヤーの多くが両方の名前をきちんと設定していた。「名無し」では、どこか胡散臭さが漂う。たとえ仮のものであっても名前をつければ、他のプレイヤーとのコミュニケーションを拒まないという意思表示になる。

「デッキ名、変えとこ。きっと憂鬱ってのが敗因なんだよな」

名前の変更は随時可能で、文字数以外の制限はない。

「憂鬱を憤怒に変えても、勝率は変わらないだろが」

「そうかな。憂鬱より憤怒のほうがアグレッシブっていうか」

やりとりを続ける気が失せたのか、返ってきたのは沈黙だけだった。

「あ、そだ。掲示板、見とかないと。オフ会の話、進んだみたいだし」

「こないだ言ってたあれか。東京だっけか」

「うん。九月の第二土曜日」

「どうせなら夏休みにすりゃいいのに」

「社会人が圧倒的多数ってやつだから、夏休みとか関係ナシ。暑いのイヤっていう意見もあったし」

俺もそのクチだけど、と少年は苦笑した。

「ただ、俺……行けるかな」

「親?」

「まあね。それもあるけど」

少年はその先を言わなかった。やがて画面が鮮やかなオレンジ色になり、「SG対策委員会」というタイトルの掲示板が表示された。

「九月の第二土曜で決定だってさ。そっか、ペルさんと誰だったか、三連休は仕事って言ってたもんな」

いいやどうせ三カ月も先だし、と少年はブラウザの左上にカーソルを移した。昼間は電話料金が高い。深夜のように、だらだらと回線をつないでおくわけにはいかなかった。が、ふと思いついたように、少年はカーソルを元に戻し、ブックマークを開いた。

「おまえさ、アンゴルモアの大王って信じてた?」

「へ? 知らないヤツなんていんのかよ」

「だから、知ってる知らないじゃなくて、信じてたかどうか。俺が訊いてんのは」

「信じるも何も、全然来なかったじゃん、あれ」

「ちょっと期待してたんだけどな、一九九九年七の月。それと、今年の正月も」

二〇〇〇年問題、と彼がつぶやくのと同時に画面が白くなった。画像を多用しているサイトなのか、表示速度が極端に遅い。

「ライフラインぶっちぎり、とか言ってたよな。街の灯が一斉に消えるとか」

「うちの親なんて、懐中電灯新しくして、使い捨てカイロとか水とか買い込んでた。笑っちゃうだろ。なんて、俺もせっせとバックアップ取ってたりしたんだけどさ」

「結局、フツーに正月だったよな」

ようやく画面に色が現れ始める。だが、まだそれは「色」だけだった。

「もしかして、二十一世紀なんて来ないんじゃないかな」

「二度あることは三度あるってか?」

「来る来るって言われてるヤツって、絶対来ない気がする」

かもな、と横合いから少年がつぶやいたときだった。ディスプレイの中が一面の花畑に変わった。赤い花が咲き乱れる背景に、『WELCOME! FLOWERS IN BLUE HEAVEN』という白抜きの文字。

「なんだ、こりゃ?」

「顔近づけて、見てみな」

言われるままに顔を近づけた少年は、ぽかんと口を開けた。赤い花だと思っていたのは、人間だった。血塗ちまみれの、人の顔がぎっしりと並べられていた。それがどういう加減か、少し離れると花に見える。騙し絵の一種なのだろう。

天国の花、と少年が言った。

(#3へ続く)

関連書籍

永嶋恵美『せん-さく』

「俺、帰りたくなくって」29歳の主婦・典子は、ネットのオフ会で知り合った15歳の遼介から別れ際、告げられる。典子は家出を思いとどまらせようと少しだけつきあうことにしたが、彼はなかなか帰らない。道行きの途中、二人は遼介の級友の両親が殺され、友人自身も行方不明だと知る……。現代人の不安とさびしさをすくい取った感動の長編ミステリ。

永嶋恵美『明日の話はしない』

難病で何年も入退院を繰り返し人生を諦観する小学生。男に金を持ち逃げされ無一文のオカマのホームレス。大学中退後に職を転々、いまはスーパーのレジで働く26歳の元OL。別々の時代、場所で生きた三人が自らに課した共通のルールが「明日の話はしない」だった。過失、悪意、転落――三つの運命的ストーリーが交錯し、絶望が爆発するミステリ。

永嶋恵美『インターフォン』

市営プールで見知らぬ女に声をかけられた。昔、同じ団地の役員だったという。気を許した隙、三歳の娘が誘拐された。茫然とする私に六年生の長男が「心当たりがある」と言う(表題作)。頻繁に訪れる老女の恐怖(「隣人」)、暇を持て余す主婦四人組の蠱惑(「団地妻」)等、団地のダークな人間関係を鮮やかに描いた十の傑作ミステリ。

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