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せん-さく

2024.12.31 公開 ポスト

#5 思いがけない再会――ネット仲間とのリアルな交流永嶋恵美

先日発表された「このミステリーがすごい!2025年」で『檜垣澤家の炎上』がランクインした永嶋恵美さん。

この特集では幻冬舎で刊行された永嶋恵美さんのデビュー作『せん-さく』の試し読みを5日間連続で掲載していきます。本作はインターネット黎明期の不安とさびしさに包まれた複雑な人間関係を巧妙なプロットで描写した感動の長編ミステリです。

今回は第一章の一部をご紹介します。(#1から読む

*   *   *

十分に知り合いなのに顔を知らない、そんな相手にどんな挨拶をしていいものか、典子にはわからなかった。そんな人間関係はこれまで経験したことがなかったからだ。

もちろん、テレビや映画で、パソコン通信やインターネットで知り合った者同士が顔を合わせるシーンは見たことがある。ただ、彼らがどんな挨拶を交わしていたかまでは覚えていなかった。

だから、待ち合わせ場所に着いて、目印の品を手にした人物を見つけても、すぐには声をかけなかった。

人違いだったらという不安はなかった。ごく普通の服装でありながら、一見して「魔法のつえ」をかたどったとわかる棒を手にしている若い女など、他にいるはずがないからだ。それよりも、場違いな台詞を口走らないか、間抜けな対応をしてしまわないか、それが不安でならなかった。

待ち合わせの時間ちょうどになって、目の前を横切っていった若い男が「ペルさんですか」と話しかけるのを見て、ようやく決心がついた。彼に倣って声をかけた。

『ペル?』

『てんちゃん? やだあ、全然イメージ違う』

典子の顔を見るなり、ペルは初対面の挨拶とはおよそかけ離れた言葉を吐いた。

『めちゃめちゃ可愛いじゃない。こうやってリボンつけたらさ……』

その言葉が終わるよりも早く、いきなり髪が両脇から後ろへと束ねられる。

真宮寺じんぐうじさくら。いや、サクラだったらこっちだよね』

今度は左右の髪が一摑みずつ上へと引っ張られた。

木之本桜きのもとさくら!』

ペルがコスプレを趣味としていることは知っていた。今、手にしている珍妙な形の杖にしても、とあるアニメの「第二期放送記念」と称して自作したものだと聞いている。

『今度、いっしょにコスパ行こうよ。てんちゃんがさくらちゃんで、あたしが小狼シャオラン。ね、ナッシーもそう思うでしょ』

目を白黒させている典子のことなどまるで意に介する様子もなく、ペルが傍らを振り返る。

『いくらなんでも、二十代後半で小学生女子のコスプレはあんまりだと思うけど。てか、きついよ、それ。俺は全力で阻止したいね』

『いいの! 似合ってて、楽しければ!』

『それに、てんちゃんって、可愛いっていうより、きれいって感じ』

『違うよ。絶対、可愛いのほうだって。服と髪が地味だから、そんな気がするだけ』

ペルが再び典子のほうへと顔を向ける。

『だめじゃん、紺色なんてババくさい色、着てちゃ。オレンジとかピンクとか、もっと可愛いのでなきゃ』

鼻先で人差し指を振りながら力説するペルに、好き勝手なことを言ってくれると典子は内心で苦笑した。見知らぬ人々が集まる新宿アルタ前ならまだしも、地方都市の住宅街で三十に手の届こうという主婦がオレンジ色の可愛らしい服を着て歩き回ったりしたら。その先は想像したくなかった。

『紺を着るなら、白と合わせて制服系にしないと!』

ハイテンションという文字そのままの物言いに戸惑っていると、まるで助け船を出すかのようにペルの胸ポケットで着メロが鳴った。

『はいはい。ペルです。え? ちゃんと持ってるよ、グルグルの杖。でっかく作ってあるから、すっごく目立つと思うけど』

そう言いながら、彼女は辺りを見回した。

『横断歩道? だったら、もう見えてるはずだよ』

どうやら相手は、PHSか携帯電話で話しながら歩いているらしい。突然、ペルが杖を持つ手を大きく振った。その視線の先には、同じように手を振っている会社員風の男がいる。

あれは誰だろう? メンバーの中に会社員は四人いるから、その誰かに違いないのだけれども。

『ペルさんですか』

今度は背後からだ。なんて慌ただしい集まり方だろう。もしかしたら、典子と同じように誰かがペルに声をかけるのを待ちかまえていたのかもしれない。

今回のメンバー十人のうち九人までが「オフ会」なるものには初参加だった。もちろん、「オフライン・ミーティング」「オフ会」という言葉や意味なら、理解している。あくまで知識や情報として。

ペルと同じくらいにネット歴が長く、パソコン通信時代からという「古強者ふるつわもの」もいたが、ネット上の友人知人と現実の場で集まったという経験を持つのはペル一人だった。

もっとも、その一人が十分すぎるほどの知識と経験を有していれば、何ら問題はなかった。「オフやろうよ」と言い出したのは、ペル以外の誰かだったけれども、その後はすべてペルに任せておけばよかった。日時の調整も、待ち合わせ場所も、当日のタイムスケジュールも、店の予約も、すべて彼女が仕切った。

ペルに言わせれば「オフの仕切りなんて、カルテの整理をするより簡単」だという。休日はひたすらゲームとコスプレで過ごすという彼女だが、それ以外の日は正看護婦として多忙を極めていた。

年齢こそ典子と同じ二十九歳だったけれども、それ以外にはおよそ接点らしい接点のない相手である。

『そういえば、あたしも主婦の友だちっていないなあ。みんな勤め人と学生だもん』

看護婦の友だちなんて初めてだと典子がメールに書くと、ペルもそんなレスポンスを返してきた。

けれども、そんなペルに出会わなかったら、ここまでネットに深入りすることはなかったのではないかと典子は思う。一日に何度もネットにアクセスすることもなかっただろうし、複数のメールアドレスを取得することもなかった。オフ会どころか、掲示板の書き込みやチャットにすら手を出さなかったかもしれない。パソコンもネットも、単なる仕事用のツールで終わっていたに違いない。

いや、その仕事ですら続けていたかどうか。知り合いのつてで、伝票の入力や文書の作成を請け負っていたものの、仕事量もギャラも決して多くはなかった。夫の転勤で長野に引っ越してからは、電子メールでやりとりのできるものに限られ、ますます仕事量は減った。あのまま、なし崩しに辞めてしまってもおかしくなかった。

そんな日々の中、最初はほんの暇つぶしのつもりだった。オンラインゲームに手を出したのは。「無料」の文字に惹かれてユーザー登録したときも、一週間楽しめれば御の字、程度の気持ちだった。だが、それが予想外におもしろかった。

それでも、ゲームだけなら今ごろは飽きていたかもしれない。あるいは無料のテストプレイ期間が終了した時点で、ネットから遠ざかっていたかもしれない。

ゲーム名で検索をかけて、関連サイトを探してみたのは、もっと勝率を上げたいという欲が出てきたころだった。他のユーザーがどんなデッキを組んでいるのか、定石のようなものがあるのか、つまり攻略法が知りたかった。

無料のテストプレイだからと期待していなかったが、攻略サイトは予想以上の数だった。その大半が掲示板やチャットルームを併設していた。主宰者の名前にはどれも見覚えがあり、語られている言葉も見知ったものだった。

だから、気軽に典子も質問を書き込んだ。真っ先に回答を返してくれたのがペルだった。それで好感を持った。掲示板のやりとり、チャット、メール交換を経て親しくなるのに時間はかからなかった。

そのゲームのテストプレイが終わりに近づいたころ、「また無料のやつ、見つけたから」とペルに誘われ、その日のうちにユーザー登録をした。それが今も続けている『STAR GATHER』だった。

やがてゲームだけでなく、ペルとネットで会うのが楽しくてたまらなくなった。同時に、仕事を手放すわけにはいかなくなった。快適なネット環境を維持していくには、それなりの費用がかかる。

振り返ってみれば、ペルがいたから、その一言に尽きる。それほどまでに彼女の存在は大きかった。彼女は、これまで典子の周囲にいたどんなタイプとも違っていた。

他のメンバーともゲームを通じて仲良くなったけれども、ペルとは違う。今回のオフ会にしても、ペルが当たり前のように「てんちゃんは何日がいい?」と言わなかったら、わざわざ東京まで出てきたかどうか……。

『てんちゃん、どうしたの?』

顔を覗き込まれて、典子は物思いから覚めた。

『ううん。なんでもない。みんな、思ってたのと全然違うから、びっくりしただけ』

そんなもんだよ、とペルは笑った。

『でも、昔のオフに比べたら、違和感は少ないんじゃないかなあ。今は知り合ってからオフ会まで、時間かけるようになってきてるからね。みんな、けっこう慎重になってきたっていうか。昔なんて、先週知り合って今週会って、みたいな感じだったもの』

その話は以前、ペルから聞いた。パソコン通信時代のことらしい。会員制だったために匿名性は薄く、人数が限られていたこともあり、誰もがあきれるほど無防備だったという。

『時代は変わったってやつ?』

ペルがそう言って笑ったときだった。

『あの……。ペルさんですよね』

最後の一人が現れたのは、そろそろ目的地へ移動しようと言い始めていたときだった。高校生である。誰だっけ、と典子が記憶を探ったときだった。

『ええっ! もしかして、うげ太?』

ペルの素っ頓狂な声が響き渡った。高校生だと思ったのは、勘違いだった.

『うげ太です』

『やだ。ぜんっぜん中学生に見えないじゃない』

その場にいた全員が大きくうなずいた。おそらく、今回集まったメンバーの中で、一番ネット上のイメージと実物とのギャップが激しいのは彼に違いなかった。

『あたし、初々しい学ランの中学生を想像してたのに。なんで私服なわけ? つまんない』

『いや、制服はちょっと……』

『でも、顔はわりと好みよ。ちょっとジャニーズ入ってるし』

ペルの言葉に、困ったようにうつむいた「うげ太」が、遼介だったのだ。

*   *   *

試し読みは今回で終了です。続きは幻冬舎文庫『せん-さく』でお楽しみください。

明日からは同じく永嶋恵美さん作の『明日の話はしない』をお届けします。

関連書籍

永嶋恵美『せん-さく』

「俺、帰りたくなくって」29歳の主婦・典子は、ネットのオフ会で知り合った15歳の遼介から別れ際、告げられる。典子は家出を思いとどまらせようと少しだけつきあうことにしたが、彼はなかなか帰らない。道行きの途中、二人は遼介の級友の両親が殺され、友人自身も行方不明だと知る……。現代人の不安とさびしさをすくい取った感動の長編ミステリ。

永嶋恵美『明日の話はしない』

難病で何年も入退院を繰り返し人生を諦観する小学生。男に金を持ち逃げされ無一文のオカマのホームレス。大学中退後に職を転々、いまはスーパーのレジで働く26歳の元OL。別々の時代、場所で生きた三人が自らに課した共通のルールが「明日の話はしない」だった。過失、悪意、転落――三つの運命的ストーリーが交錯し、絶望が爆発するミステリ。

永嶋恵美『インターフォン』

市営プールで見知らぬ女に声をかけられた。昔、同じ団地の役員だったという。気を許した隙、三歳の娘が誘拐された。茫然とする私に六年生の長男が「心当たりがある」と言う(表題作)。頻繁に訪れる老女の恐怖(「隣人」)、暇を持て余す主婦四人組の蠱惑(「団地妻」)等、団地のダークな人間関係を鮮やかに描いた十の傑作ミステリ。

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