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インターフォン

2025.01.09 公開 ポスト

#4 守るべきは、愛する者だけじゃない。永嶋恵美

先日発表された「このミステリーがすごい!2025年」で『檜垣澤家の炎上』がランクインした永嶋恵美さん。

この特集では幻冬舎で刊行された永嶋恵美さんの作品『インターフォン』の試し読みを5日間連続で掲載していきます。本作は団地で巻き起こる様々な事件や歪な人間模様を描いた10本の短編ミステリです。

今回は表題作『インターフォン』の一部をご紹介します。(#1から読む

*   *   *

あの後、どうやって部屋を出たのか、どこでタクシーを拾ったのやら、さっぱりわからなかった。気がつくと、近所の小児科医院の処置室にいた。事情を尋ねられて「留守中に誤って睡眠薬を飲んだ」と答えたのは、果たして正解だったかどうか。

けれども、本当のことを話せば警察沙汰になる。夫の愛人が捨てられた腹いせに、睡眠薬入りのオレンジジュースを子供に飲ませて連れ去った、などと口に出して説明するのは苦痛だし、無責任な噂が団地の中を流れることにもなるだろう。耕介も裕太も少なからずいやな思いをするに違いない。電話で耕介がやたらと警察のことを気にしていた理由がわかった。

支払をすませて、自宅に電話を入れてみる。夫は帰宅していた。

『おい、今どこにいるんだ? 亜里は?』

苛立ちと不安とがぜになった声に、亮子は意地の悪い声で答える。

「山下さんのところに行ってきたの」

「ヤマシタ?」

「あなたのほうがよく知ってるでしょう」

『誰だ、それ』

心底不思議そうな口調だった。

「だから山下さんっていう女の人。もういいわ。車で迎えに来てくれる? いつもの小児科で待ってるから。それと亜里の着替えを一組持ってきて。下着も靴下も全部」

あの女が買った服など一分だって着せておきたくない。車の中で着替えさせよう。

『おい、だから山下って誰なんだよ』

「昔、上北沢に住んでた人よ。早く来てね」

夫の答えを待たずに電話を切った。帰ったら修羅場かも、とため息をつく。待合室にはもう誰もいない。早く裕太を迎えに行かなければ、と思う。

「耕介、ちょっと手伝って。おんぶするから」

ぐったりと眠っている子供は重い。抱きかかえる腕がだるくてたまらなかったのだ。耕介が、軽々と亜里を抱えて亮子の背中に乗せる。ついさっき、あの女から引き離されたときの力を思い出す。

唐突に気づく。プールから夫に電話をしたとき、確かに自分は「山下」という名前を出した。なのに、夫は全く動揺していなかった。今もそうだ。あれほど完璧にしらを切り通すことなど可能だろうか。それとも……。

「おとうさん、山下って誰だって言ったわ」

かすかに語尾が震えた。あの女は、夫の気を引こうとして耕介の誘拐を企てた。亜里を連れ去ったのも、誰かの気を引くためではないのか。だとしたら?

「上北沢に住んでたころは、吉崎っていう苗字だったから、おとうさんにはわからなかったのかもしれないな」

夫は四年前にあの女と切れている。よりは戻していない。それは確かだと思う。あの女にとって今の夫は、手間暇かけてまで気を引くほどの相手だろうか。

「離婚して旧姓に戻ってから、こっちに引っ越してきたって言ってたし」

「言ってたって……誰が?」

耕介の口許に薄く笑いが浮かぶ。鳥肌が立ちそうなほど、夫に似ていた。表情だけではない。話し声もそうだ。電話やインターフォンを通すと、きっと夫にそっくりになる。あの女が二人を重ね合わせても不思議はないほど。

マンションの階段を昇った、あの足取り。耕介は、インターフォンにカメラが内蔵されていることまで知っていた。団地からマンションまで約四十分。親にとっては目の届かない場所であっても、十二歳の少年にとって決して遠い距離ではない……。

「外、出とかないと。おとうさんがそろそろ来るから」

顔を背けるようにして、亮子は窓の外に目をやった。すでに辺りは暗い。窓ガラスに映る自分の姿はひどく老け込んでいた。

 

 

*   *   *

表題作『インターフォン』はいかがでしたか? 明日は同じく幻冬舎文庫『インターフォン』より、短編『妹』の冒頭をお届けします。

永嶋恵美さん作『せん-さく』の試し読みも公開中!

関連書籍

永嶋恵美『インターフォン』

市営プールで見知らぬ女に声をかけられた。昔、同じ団地の役員だったという。気を許した隙、三歳の娘が誘拐された。茫然とする私に六年生の長男が「心当たりがある」と言う(表題作)。頻繁に訪れる老女の恐怖(「隣人」)、暇を持て余す主婦四人組の蠱惑(「団地妻」)等、団地のダークな人間関係を鮮やかに描いた十の傑作ミステリ。

永嶋恵美『せん-さく』

「俺、帰りたくなくって」29歳の主婦・典子は、ネットのオフ会で知り合った15歳の遼介から別れ際、告げられる。典子は家出を思いとどまらせようと少しだけつきあうことにしたが、彼はなかなか帰らない。道行きの途中、二人は遼介の級友の両親が殺され、友人自身も行方不明だと知る……。現代人の不安とさびしさをすくい取った感動の長編ミステリ。

永嶋恵美『明日の話はしない』

難病で何年も入退院を繰り返し人生を諦観する小学生。男に金を持ち逃げされ無一文のオカマのホームレス。大学中退後に職を転々、いまはスーパーのレジで働く26歳の元OL。別々の時代、場所で生きた三人が自らに課した共通のルールが「明日の話はしない」だった。過失、悪意、転落――三つの運命的ストーリーが交錯し、絶望が爆発するミステリ。

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先日発表された「このミステリーがすごい!2025年」で『檜垣澤家の炎上』がランクインした永嶋恵美さん。

この特集では幻冬舎で刊行された永嶋恵美さんの作品『インターフォン』の試し読みを5日間連続で掲載していきます。本作は団地で巻き起こる様々な事件や歪な人間模様を描いた10本の短編ミステリです。

今回は表題作『インターフォン』の一部をご紹介します。

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