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明日の話はしない

2025.01.01 公開 ポスト

#1 病室の中で交わされる、無言の約束永嶋恵美

先日発表された「このミステリーがすごい!2025年」で『檜垣澤家の炎上』がランクインした永嶋恵美さん。

この特集では幻冬舎で刊行された永嶋恵美さんの作品『明日の話はしない』の試し読みを5日間連続で掲載していきます。別々の時代、場所で生きた3人が自らに課した共通のルールは「明日の話はしない」だった──。本作は短編として描かれるそれぞれのストーリーが運命的に交錯する本格ミステリです。

今回は第一話の冒頭をご紹介します。

*   *   *

第一話 小児病棟

明日の話はしないと、わたしたちは決めていた。

大人たちが「明日」って言うときは、ゼッタイ、痛い話かイヤな話に決まってる。「明日は骨の検査だからね」とか、「明日からお薬が少し変わるよ」とか。

で、その検査っていうのが痛かったり苦しかったりで。痛くも苦しくもないときは、ものすごく時間がかかるか、ものすごくめんどうくさいか。

お薬のほうも、そう。明日から死ぬほどまずい粉薬を飲まなくてすむんだなって期待していたら、今度は舌が石になりそうなほど甘いシロップとか。子供の薬だから甘くすればいいっていう考えは、やめて欲しいと思う。味がそこそこなら、頭が痛くなったり、吐き気がしたりする薬だったり。

とにかく、わたしたちは「明日」って言葉が大っきらいだった。

それに。いつか明日が来なくなるってことぐらい、わかっていたから。

1

「お名前確認しますよ。三宅真澄ちゃんですか?」

「そうです」

「はい、点滴替えますからね」

わたしは川井さんに気づかれないように、窓のほうを向いて、イーッてしてみせた。夜と違って、自分がどんな顔になったのか、わからなかった。窓ガラスには自分の顔じゃなくて、ぬいぐるみの背中そっくりの雲が見えるだけ。

それから、下のほうに木のてっぺんがいくつか。緑色の三角が幼稚園のおゆうぎ会みたいに並んでいる。早く黄色になるといいな、と思う。たくさん実がなるともっといい。ギンナンって大好き。

お母さんは下を通るとき、くさくていやだって言うけど。どうせ、わたしには外のにおいなんてわからないんだから。

「はい。真澄ちゃん、終わりました。次は晩ご飯の前くらいかな」

もう一度、窓ガラスに向かって、べえっと舌を出してみせる。点滴のパックを取り替えるたびに、いちいち名前を呼ばれるのはうんざりしていた。

バカみたい、いちいち呼ばなくてもいいじゃん、名前くらい覚えてよ、とミナライさん三号に言ったら、困ったように笑っていたっけ。後になって、おばナースに叱られた。看護学生を困らせちゃダメって。

おばナースは婦長さんで、この病棟で一番えらい人なんだけど、わたしはきらいだ。ミナライさんたちだって、よく叱られている。なのに、ミナライさん一号・二号・三号も川井さんも、おばナースをすごく尊敬していたりする。びびってるだけかもしれないけど。

川井さんは、おばナースよりもずっと若いし、ミナライさんたちほどダメダメじゃないから、好きになってあげてもいいかなって思う。でも、トコちゃんとファドは川井さんがきらいらしい。注射が死ぬほどヘタだからって。

わたしは川井さんよりトウダイさんのほうがきらい。別に注射がヘタなわけじゃないけど。

トウダイさんは副婦長で、縁なしの眼鏡をしていて、歩くのがやたらめったら速い。「トウダイさん」って呼ぶとイヤな顔をするから、わたしは本名を覚えないことにした。ずーっと「トウダイさん」って呼んでやるんだ。

お母さんに言わせると、トウダイさんは「ヘンサチのムダづかいをした人」らしい。東大に入ったのにわざわざ看護婦になるなんて物好きだとか、頭が良すぎて常識がないとか、他にもいろいろ言ってた。

トコちゃんとファドにはうまく説明できなかったけど、わたしがトウダイさんを好きになれないのは、お勉強ができる感じがイヤなのかもしれない。頭がいいってことは、ウソついたり、悪いことしたりも上手ってこと。それって、なんか信用できない。

わたしの点滴パックを替えた後、川井さんはトコちゃんのベッドを通りすぎて、ファドのところへ行った。トコちゃんは昨日から点滴の量が少し減ったから。もう酸素も外れたし、このまま点滴が減って、夜中の発作が起きなくなったら、トコちゃんは退院できる。ちょっとうらやましい。わたしが退院できるのは、たぶん、ずっとずっと先だから。

川井さんに名前を呼ばれたファドは、はぁいと眠たそうな返事をしながら、わたしにしかめっ面をしてみせた。それを見て、ふっとわかってしまった。

ああ、そうか。わたしは川井さんがけっこう好きなんだ。だって、川井さんはウソがヘタで、すぐに顔に出る。

子供にはウソはいけませんって言うくせに、大人たちは平気でウソをつく。どうせ子供なんだからわからないだろうって思ってる。トウダイさんみたいに頭のいい大人は、とくにそう。しかも、子供にウソをつくことがいいことみたいにカン違いしてる。

だから、わたしは川井さんが好きで、トウダイさんがきらい。おばナースもきらい。いつもいつも疑ってかかるのって、疲れるから。

「ねえ、プレイルーム行こうよ」

川井さんの足音が聞こえなくなると、トコちゃんがもぞりと動いた。川井さんと口をきくのがイヤで、寝たふりをしてたんだろう。

「オレ、三時のニュース見るから。おまえらだけで行けよ」

ファドがテレビの音を大きくした。今日はどのニュースを見ても、スペースシャトルが出るから、ファドは朝からニュースばっかり見てる。

でも今日は、日本人初の女性宇宙飛行士がどうしたこうしたって話がほとんどで、スペースシャトルそのものが出てくる時間は短い。打ち上げの瞬間とか、船内でふわふわ浮かんでるとことか、そういうのがテレビで流れるのは明日か明後日だと、ミナライさん三号が教えてくれた。ミナライさんの中で、一番おしゃべりな人だ。

「じゃ、あたしらだけで行こ」

ファドが行かないならやめたって言うかと思ったけど、トコちゃんは行く気まんまんだった。ちょっとだるいなと思ったけれど、わたしもベッドからすべり降りる。点滴のチューブを引っかけないように、少し腕を持ち上げながら。

でも、プレイルームに行ってみると、なぜか小さい子たちで超満員。きゃあきゃあ騒ぐ声で頭が痛くなりそうだった。わたしとトコちゃんは、がっかりして回れ右をした。

「あ、ミドだ。今、病室に入ってった」

病室まであと二メートルくらいのところで、トコちゃんが立ち止まった。わたしはよそ見をしていて気づかなかったけど。

「どうする?」

「トイレ、行こっか」

わたしたちは、のろのろと廊下を引き返し始める。たぶん、トイレに行って帰ってきたら、ミドはもういなくなっているはず。

ミドの本名は「ミドリ」。だから、ファドは「ミド」、ファドのお母さんは「ミドちゃん」って呼んでる。

ファドが川井さんをきらうのは、注射のせいだけじゃない。ファドがファドになったのは、川井さんのせいだった。双子のお姉ちゃんがミドちゃんだなんてまるでテレビみたいね、なんて言ったから。

川井さんの言ったテレビっていうのは、NHKの『おかあさんといっしょ』のこと。その中の人形劇『ドレミファ・どーなっつ!』に出てくる犬の双子がミドとファド。ミドがお姉ちゃんでファドが弟。他に子供向けの番組がない時間だから、わたしたちも何となく見ていて、けっこうくわしくなってしまった。

ミドとファドの友だちには、木登りカンガルーのレッシーとゴリラの空男くんがいる。レッシーのお父さんはどこかの島の王様だったんだけど、あんまりワガママだったから王様をクビになっちゃったらしい。空男くんの家は父子家庭で、お父さんのお弁当は毎日空男くんが作っている。

それから、ミドとファドのお父さんはお菓子屋さんで、お母さんはなぜか歯医者さん。これって、お父さんが虫歯の原因をせっせと作って、お母さんがボロもうけしてるってことなんだろうか。考えてみると、どのキャラも子供番組っぽくないなって思う。

わたしが小さいころに見てた『にこにこぷん』なんて、もっとフツーだったと思うんだけど。もしかしたら、フツーすぎてつまんないとか言われちゃったのかもしれない。

まあ、とにかく、そういう変わった人形劇に出てくるキャラの名前で呼ばれるのって、あまりうれしくないと思う。それに、自分たちが小さいころに好きだったキャラじゃなくて、ほんの一年くらい前に登場したばかりの新キャラなんて、隣のクラスの転校生みたいなもの。一応知ってるけど、どうでもいい。

ファドにとっては大迷惑な話だったみたいだけど、わたしとトコちゃんはわざと「ファド」って呼んだ。ファドはムキになって、「学校では“タカベエ”って呼ばれてるから」って言い返した。その後も、高辺だからタカベエ、なんて何度もアピールしてたけれど、ますますわたしたちがおもしろがるのに気づいて、何も言わなくなった。

もしも、ミドが他の呼び方をしてたら、そっちがファドの呼び名になったかもしれない。でも、毎日のように病室に来るミドは、あまりしゃべらなかった。

ファドのお母さんは何て呼んでたっけ? そういえば、聞いたことがない気がする。ファドのお母さんはいつも面会時間が終わるぎりぎりに駆け込んでくるから、五分くらいしか病室にいない。ファドの家にはお父さんがいないから、お母さんがお父さんの代わりに働かなきゃならないのだ。だから、残業がある日はたった五分の面会も来られなかった。

それに、ファドのお母さんは声が小さい。ファドの枕元でぼそぼそした声でしゃべってるんだけど、何を話してるのかさっぱりわからない。

「あれ? あたしたち、トイレに行くんじゃなかったっけ」

トコちゃんが立ち止まる。ミドの悪口を言うのに夢中になっていたせいで、わたしたちはトイレの前を通りすぎてしまっていた。……もともとトイレになんか行きたくなかったんだから、しょうがない。

「ミドのせいだよ」

そう言ってトコちゃんとうなずき合うと、なんだか気分が良かった。

(#2へ続く)

関連書籍

永嶋恵美『明日の話はしない』

難病で何年も入退院を繰り返し人生を諦観する小学生。男に金を持ち逃げされ無一文のオカマのホームレス。大学中退後に職を転々、いまはスーパーのレジで働く26歳の元OL。別々の時代、場所で生きた三人が自らに課した共通のルールが「明日の話はしない」だった。過失、悪意、転落――三つの運命的ストーリーが交錯し、絶望が爆発するミステリ。

永嶋恵美『せん-さく』

「俺、帰りたくなくって」29歳の主婦・典子は、ネットのオフ会で知り合った15歳の遼介から別れ際、告げられる。典子は家出を思いとどまらせようと少しだけつきあうことにしたが、彼はなかなか帰らない。道行きの途中、二人は遼介の級友の両親が殺され、友人自身も行方不明だと知る……。現代人の不安とさびしさをすくい取った感動の長編ミステリ。

永嶋恵美『インターフォン』

市営プールで見知らぬ女に声をかけられた。昔、同じ団地の役員だったという。気を許した隙、三歳の娘が誘拐された。茫然とする私に六年生の長男が「心当たりがある」と言う(表題作)。頻繁に訪れる老女の恐怖(「隣人」)、暇を持て余す主婦四人組の蠱惑(「団地妻」)等、団地のダークな人間関係を鮮やかに描いた十の傑作ミステリ。

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