先日発表された「このミステリーがすごい!2025年」で『檜垣澤家の炎上』がランクインした永嶋恵美さん。
この特集では幻冬舎で刊行された永嶋恵美さんの作品『明日の話はしない』の試し読みを5日間連続で掲載していきます。別々の時代、場所で生きた3人が自らに課した共通のルールが「明日の話はしない」だった──。本作は短編として描かれるそれぞれのストーリーが運命的に交錯する本格ミステリです。
今回は第一話の一部をご紹介します。(#1から読む)
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3
点滴が外れて、夜中の発作も起きなくなって、トコちゃんは退院していった。明日の話はしない約束だったから、退院するって教えてもらったのは、その日の朝だった。
朝ご販の後、先生が回ってくるのを待つ間、トコちゃんは物入れの中を片づけて、ベッドの下からスポーツバッグを出して、荷物を詰め始めた。それで、わたしにもファドにも、トコちゃんが退院することがわかった。
わかっていたけど、何も訊かないのは悪い気がして、「今日なんだ?」と訊いた。
「うん。次は二学期が始まるころかなあ。あ、でも、台風って八月にも来ることあるんだよね。できれば九月まで来ないで欲しいな」
今は七月下旬だから、早ければ一カ月ちょっとで戻ってくる計算になる。こんなことを言ったら、おばナースやトウダイさんに叱られそうだけど、早くトコちゃんが戻ってくるといいなって思った。
トコちゃんのお母さんが迎えに来たのは十時すぎだったから、昼ご飯はわたしとファドの二人だけで食べた。
「なんか静かだね」
空いたべッドがひとつだけのときは全然気にならなかったのに、ふたつになると、なんだか変な感じだった。
「あーあ。誰か入院してこないかなあ」
それって、誰かに病気になってほしいってことだけど。でも、トコちゃんがいなくて、ファドと二人だけなのは寂しい。
「もう夏休みだからさ、誰かお見舞いとか来んじゃねえの」
オレには来ないけど、とファドが小さな声でつけ加える。
「わたしだって来ないよ」
っていうよりも、来てほしくない。入院してすぐのころは、クラスの友だちがお見舞いに来てくれるとうれしかった。学校の話を聞くのは楽しかったし。でも、だんだん友だちと話したくなくなった。
だって、わたしが退院する前にみんな五年生になって、クラス替えがあったり、担任の先生が替わったりして、どんどんわたしの知ってる学校じゃなくなっていく。わたしがいなくたって、お構いなしに授業は続いてるし、誰も困らない。わたしなんて、いなくてもいい。友だちと話すたびに、そう言われてるようで、つらかった。
だから、一週間に一度のお見舞いが二週間に一度になって、一カ月に一度になると、すごくほっとした。クラス替えの後には、新しい担任の先生以外、誰も来なくなった。五月の連休の後に、新しいクラスの子たちが折ったっていう千羽鶴を先生が届けてくれたけど、あれを折った子の何人かはわたしのことなんて知らない。
誰かが入院してくれるのは大歓迎だけど、お見舞いはおことわり。自分でもワガママだなって思う。
「ヒマですなあ」
ファドが背中を丸めて、おじいさんっぽくお茶を飲みながら言った。スパゲティとサラダの昼ご飯は、あっという間に終わってしまった。
「誰か来ないかな。もう入院じゃなくてお見舞いでもいいや。神様、お願い」
冗談のつもりで手を合わせたんだけど、どうやら神様はちょっとだけ聞いてくれる気になったらしい。ほんとに冗談みたいに、ちょっとだけだったけど。
食後の薬を飲んだ後、退屈でたまらなくなったわたしとファドは、点滴のスタンドを引きずってプレイルームへ向かった。その途中、ナースステーションに、その“誰か”はいた。
男の子だった。たぶん、年はわたしたちと同じくらい。その子はプールの帰りなのだろう、透明な手提げ袋を持っていて、白い紙をトウダイさんに差し出していた。
「だめだわ。こんなに濡れてたんじゃ、書けないじゃないの」
トウダイさんは顔をしかめて、よれよれの紙を広げている。濡れた水着といっしょに手提げに入れていたんだろう。ということは、学校からのプリントに違いない。それとも塾から? そうだ。もう夏休みは始まってるから、学校じゃなくてそっちだ。
「あら。プレイルームに行くの?」
トウダイさんに気づかれてしまった。立ち止まってじろじろ見てたんだから、当然だけど。
「真澄ちゃんは、なるべく早くお部屋に戻ってね。お薬変わったばかりだから、安静にしてないとね」
はぁいと答えて、わたしとファドはのろのろとトウダイさんたちの横を通りすぎた。もちろん、しっかり耳をトウダイさんに向けながら。
「乾かしてから書くから、また後で取りに来てちょうだい。夕方までに書けばいいのよね。ええと……三時ちょうどに来て。その時間なら、お母さん、ここにいるわ」
トウダイさんが自分のことを「お母さん」って言うのって、なんだかヘンな感じだった。わたしたちと同じ小学生の子供がいるっていうのも、ものすごくヘンだけど。
「オレ、あいつ知ってる」
同じ五年なんだぜ、とファドがささやく。つまり、わたしとも同学年。やっぱり。
「前に入院したとき、クリスマス会に来てた」
毎年、十二月の第三火曜日にプレイルームでクリスマス会をやる話は、トコちゃんから聞いたことがある。火曜日は手術がない日だから、ほとんどの子が参加できる。
ボランティアのお姉さんたちがいつもよりも大勢来て、大きなツリーを飾ってくれて、パチモンって丸わかりのサンタクロースがやって来て。今年はわたしも参加するんだなあって思うと、なんだかフクザツな気分。楽しみなのとバカバカしいのと……がっかりなのと。
「ユキちゃんちの子も来てたよ。まだ幼稚園くらいの子だったけど」
「そうなんだ。でも、なんで?」
「トウダイさんもユキちゃんも、クリスマスの日に夜勤だったから」
家でクリスマスができないから、そういう子たちは病棟のクリスマス会に呼んでもらえるらしい。うめあわせってやつ。
「あの子を見たのって、クリスマス会のときだけ?」
「何か用事があるときには来てるみたいだよ。いっぺん、集金袋持ってきてたな」
そういえば、うちのクラスにも、集金袋とか大事な連絡のプリントがあると、お母さんの仕事場に直接持って行くって子がいたっけ。そういう日は、遊ぶ約束ができなかった。
「あいつ、今は学校違うんだけど、中学が同じ校区なんだ」
「じゃあ、再来年はいっしょだね。同じクラスだといいね」
わたしは五年生をやり直さなきゃならないから、同い年の子と同じクラスになることはない。ひとつ下の子たちと授業を受けると思うと、学校に行くのがイヤになる。
ファドがひとつ年下だったらいいのに。そうじゃなかったら、さっきの男の子とか。どっちも同じ学校じゃないけど。
「トウダイさんの子供だから、やっぱ頭いいのかな」
「どうだろ。フツーっぽかったけどなあ」
「何の話、したの?」
「スーファミとか。オレ、あのころまだ買ってもらえてなくてさ。あいつ、いろいろ持ってたみたいだから、おもしろいソフトとか教えてもらった」
それからファドは、退院したらすぐにスーファミを買ってもらえる約束だったのに、ずっとバックレられてて、夏休みにおばあちゃんが買ってくれたとか、教えてもらったとおりに『スーパーマリオワールド』を最初に買ってもらってよかったとか、そんな話をした。わたしはゲームやらないから、ファドの言ってる意味が半分くらいしかわからなかった。
プレイルームの入り口で、もう一度振り返ってみたけれど、あの男の子はもういなかった。
(#4へ続く)
永嶋恵美さん作『せん-さく』の試し読み、『インターフォン』の試し読みも公開中!