忘年会シーズンが始まりましたね。
今年は仕事方面の忘年会が多くて、毎日酒を浴び続けています。アナルがおかしくなりそうです。わたしのケツ穴事情はどうでもいいのだが、先日エンタメ業界の方が130人ほど出席している大忘年会に参加させていただいた。
デケェ会場に顔見知りが2人しかいなくて、完全に浮いてしまって。せっかく参加したのだから交流しなくては!と緊張をビールで流し込み、普通に酔っ払ってしまった。
名刺はたくさんもらえたけど、知らない人に会って自分を知ってもらう作業というのはとても体力を使うなあ。私は隠れ人見知りなので、無駄に喋りすぎたり、頑張りすぎたりして家に帰るとも~~ヘトヘト。
たまにどこにいても、だれといても、スタンスが変わらない人っているじゃないですか。
それにすごい憧れを抱いていて、どうにか自分らしいスタンスを探すんだけれど……。結局自分らしいスタンスってなんなんだよ?ケッ!カッコつけやがって!(※俺に言っています)
前のエッセイでも書いたけどやっっっぱり全人類に好かれたいのでどうしても自分を作ろうとしてしまうのです。
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まず、初対面の人のことが、大体嫌いなんですよね。
もう大人なのでその感情を表に出すことは別にしないけど、取り繕う笑顔の下は「ほんまにこいつ誰~~~~~急に話しかけてきてコワイッ!!キャー!!」といった具合に警戒心一色に染め上げられる。
わざわざ富も権力もなんにもない私に近付いてきて仲良くしようとしてくる=こいつは怪しい、怖い、恐ろしい、といった評価になるのだ。
この話を友人たちに話した所、「嫌いまではいかないかなぁ」と、意外と私みたいなタイプは少ないことを知った。私は俄然マイナスから入って加点していくけど、ほとんどの人はプラスから入り、なにかあれば減点していくらしい。
なぜわたしが友情加点方式を採用するようになったのか考えてみたのだけれど、私が10代~20代前半の頃、とっても第一印象が悪いのがコンプレックスだったからだ。知らない人から、態度が悪い、怖いとか色々言われてるのを聞いて、普通に傷付いた。
「ちゃんとしゃべっていただけたら、私こんなにバブーなのに~~!?」
♪ ♪ ♪
だから私は人のことをちゃんと自分の目で見て判断しようって決めた。どんなに悪い噂が立つような人でも、私が悪い奴か判断する。どんなにいい奴って言われてても、私が違うなって思ったら、違う。
そうして生きてきたから、時間をかけすぎて遠回りもしたし、本当に怖い詐欺みてぇな奴にも会った(滅んで!)。
この加点方式か減点方式かで、本物の友情を築けるかどうかが変わってくるんじゃないかと最近思いまして、減点方式にシフトチェンジしたいなと。
だって、もしめちゃくちゃ態度が悪い人に会っても「今日はお酒に呑まれていたからちょっとひどいことを言ってしまっただけかもしれない」、「本当はこの人のもっといいところがあるかもしれない」と闇雲に加点ポイントを探そうとしてめちゃくちゃ疲れる。
ひとりの人を判断するのに時間を使うんだよ。んで、あとから「あいつは謝罪も感謝もねえヤベー奴だった」という結論に落ちつくくらいなら、減点方式組みたいに最初に「こいつむちゃくちゃ態度が悪い!加点ステージに行くべきではない!」としっかりポジティブな感情を抱けるひとだけをピックアップするべきだなと。
それであとから「この人は価値観がちょっとちがうな」とすこしずつ減点していく。
* * *
最初から敬意や感謝を抱けない人は近づかないというルールを定めて、この忘年会シーズンを乗り越えて行こうと思う。
あ~~こないだ忘年会で会った奴からめっちゃ飯の誘いくる~~~~こえ~~~でも普通に仲良くなりたいだけかもしれない?
あれ、私は仲良くなりたかったんだっけ?
「ごめん、M-1は家で観ます」
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歌詞には書けない愛の話
シンガーソングライターとして活動するほのかりん。歌という表現を超えて、一人の女性として、心のうちをさらけだす。表現者として新たな挑戦となるエッセイ、新連載!