「雑草という草」はなくても雑草は生い茂る
何年かの間ほとんど手入れされてなかった仲野家菜園、草木が茫々と茂っていました。まずは、それを刈り取るところから。というと簡単に聞こえますけど、真夏にまる1カ月もかかってしもうた。そしていよいよカルチベーター(耕うん機)の投入! そんな程度の小さな畑にカルチベーターがいるんか、と思われるかもしれませんが、結論から言うと、いりませんでしたわ。
知的菜産において、いくら強調してもしすぎることがないのは、植物生長のすごさである。農作物を作り出してくれる原動力だが、同時に、雑草木を生い茂らせるという困った面もある。
考えてみられたことがあるだろうか。植物の生長がいかにすごいかを。ほうっておいたら、すべてを覆い尽くしてしまう。近所に空き地ができたら、夏場だとあっという間に草で埋め尽くされる。熱帯だともっとすごい。アンコール・ワットなどカンボジアのアンコール遺跡群や、メキシコはユカタン半島にあるマヤ文明のチチェン・イッツア遺跡などは、発見された際、ジャングルに覆われていた。どちらも訪れたことがあるが、あんな建造物が見えないほどに覆われてしまっていたとは信じがたい。
トップの写真をご覧になっていただければおわかりのとおり、仲野家菜園もたいがいな状態だった。遺跡を覆うには遠くおよばないがミニジャングル状態で、さまざまな植物が生い茂っていた。この写真から見てとれるだけでも10種類以上はある。ちゃんと記録していないが、全部となると30種類くらいはあったはずだ。もちろん雑草と雑木である。
雑草というと、牧野富太郎に「雑草という草はない」と叱られるかもしらん。赫々(かくかく)たる業績を残した植物学者であるし、なんせ変わった人だったみたいだから、そう言われたら怖くて萎縮してしまいそう。たしかに「どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」のはわかる。かといって、邪魔になる植物の名前をいちいち調べるのは邪魔くさすぎるやろ。それに、雑草という草はないかもしらんが、雑草という言葉や概念は厳然と存在しているではないか。
辞書編集者の神永曉さんによると、雑草という語は、「長崎のオランダ商館長ドゥーフが編纂した『ドゥーフハルマ』を、蘭方医の桂川甫周(かつらがわほしゅう)らが編集して刊行した」和蘭字彙(おらんだじい)という辞書に onkruid の訳語として載っているらしい(ジャパンナレッジ)。この辞書が編まれたのが19世紀の半ばであるから、それ以前から雑草という言葉はあったはずだ。牧野が生まれる前からやないか。どやっ、まいったか。
シーシュポスやプロメテウスの苦しみもかくたるや
とりわけ目立った植物が2種類あった。雑草や雑木ではなく、ちゃんと名前を知っておる。大葉と南天である。南天は、お正月の飾りにするために植えたのが繁殖したものだ。草むらみたいに生えているところもあれば、独立して生えているのもある。調べてみたら、鳥が実を食べて、その糞がまかれて生えてくるらしい。くっそ~。……スンマセン、しょうもないおやじギャグというか、おじいギャグでした。
「難を転ずる」からお正月飾りに使われるらしいけど、雑木としては難そのものでしかない。大葉も植えたものが大繁殖していて、大きいやつは腰丈以上の高さになっていた。野草みたいに、こぼれた種から芽が出てどんどん増えていくらしい。
他にも、名も無き、と書いたら牧野に叱られそうだから元へ、名も知らぬ草や木が多数。草はまだいいのだけれど、木はけっこう深くまで伸びている根を抜かないとあかんので大変だった。7月にスタートしたので、暑さのため、作業は午前中の2~3時間しかできはしない。毎日やってほぼ3週間もかかってしもた。
恐ろしいことに、雑草がいちばん繁る季節だったので、すべての処理を終えた頃には、はじめに刈った場所に雑草がまた生えてくる始末。賽の河原で石を積むとか、シーシュポスの石運びとか、プロメテウスが肝臓をついばまれるとかいう拷問みたいなものだ。……スンマセン、だいぶ盛りました。まぁ、生えてきたとはいえ、生えたてで短いので、後に書くカルチベーターで一気に成敗してやったわい。
枯れ草と枯れ木の処理も大問題
カルチベーターの話に行く前に、枯れ草と枯れ木の処理問題について書いておきたい。写真にあるように、枯れ草木の山は1メートル以上の高さになった。ここは火をつけて、「♪燃えろよ燃えろ~よ、炎よ燃えろ~」と歌いながら燃やしたいところだが、そうはいかない。ネットで調べてみたところ、廃棄物を屋外で燃やす行為、すなわち野焼きは、平成13年4月から「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」で原則として禁止されている。
おいおい、キャンプファイヤーもでけへんのかよ、と思ったら、例外規定が設けてあって、「学校教育及び社会教育活動上必要な焼却行為」として、キャンプファイヤーはオッケーらしい。そらそうよなぁ、高校の文化祭のキャンプファイヤーでのフォークダンス、女の子の手に触れられてむっちゃ楽しかったからなぁ。と思ったけど、いまどきでも、そんなんあるんやろか。
それはまぁいい。他に「農業、林業又は漁業などの営み上におけるやむを得ない焼却行為」というのもある。おぉ、これに該当するのではないか。しかし、消防署への「火災とまぎらわしい煙等を発するおそれのある行為等の届出」が必要だし、周辺住民への影響を考えて、人の多い地域では避けるように書いてあるのであきらめた。
「♪かきねのかきねのまがりかど たきびだたきびだおちばたき」とかいうのは過去のものなんや。完全に禁止されてる訳ではないけど、誰かになんか言われたり通報されたり、はてはSNSで罵倒されたりしたらうっとうしいからやめとこ、というのが大方の判断になるだろう。知らん間に世の中はえらい不便になっとるがな。なんだかなぁの気分だが、いたしかたなし。
まとめて有料の大型ゴミとして廃棄することも可能だが、ケチだから、ビニール袋に小分けにして通常の可燃ゴミとして捨てましたわ。木の枝とかを小さく切るのがけっこう手間で、結局、その処理に1週間、トータルで1カ月くらいかかったというわけであります。
念願の「耕うん機」を手に入れる……が、「うん」とはなんや?
さて、カルチベーターである。これは絶対に買いたかった。
「だが農場より先にまず耕耘機 ─ ─ ─ これが大事なんだ」
心の師匠、伊藤礼先生が『ダダダダ菜園記――明るい都市農業』(ちくま文庫)に書いておられる文章だ。こう言われたら、勝手弟子とはいえ弟子なのだから、買わずばなるまい。それに、カルチベーターを買うと
「『へー、すごいね』と、話を聞いてくれたひとはたいていそう言ってくれた」
というではないか。子どもの頃からあまり誉められた経験がないので、こういうことを言ってもらえると素直に嬉しい。ということで、まったく迷うことなく購入を決定。
とはいえ、どこに売っているかすらわからない。農協には売ってそうだが、近所の農協などない。ホームセンターにあるかと思ったが、農村部はいざしらず、さすがに都市部では売られていない。売っていそうな場所の検討もつかない。ので、ネットショッピングをすることに。
どう考えても大きなものはいらんだろう。そうなると、ガソリン式にするか電動式にするかが最初の分かれ道だ。伊藤礼先生はガソリン式のを購入されたが、調べてみると、ガソリン式は音が大きいらしい。それに、たかだか1リットルや2リットルを買いにガソリンスタンドへ行くのはじゃまくさい。スタンドでカルチベーター自慢をしたい気持ちはあるが、購入理由を毎回説明するのもうっとうしい。ということで、あっさり電動のものに決定。
どこで買ったかというと、Amazonである。なんでも売ってるなぁ、Amazon。商品名は、「京セラ(Kyosera)旧リョービ 電気カルチベータ(耕うん機)ACV-1500 663150A【低騒音・メンテナンス楽々・パワフルで快適な田畑の耕し】最大耕うん幅360mm最大深耕280mmナタ爪刃 延長コード10Mが2本付き 3~30坪に対応」と、やたら長い。
「京セラ(Kyosera)旧リョービ」というのは、リョービの電動工具事業が京セラに買収されたかららしい。どうでもええがな、そんなこと。カルチベーターでなくて、カルチベータになっている。英語では cultivator なので、カルチベーターの方が近いように思うが、まぁよしとしよう。問題は、というほどのことはないが、気になるのは「耕うん機」である。なんで、「うん」なんや。
漢字では、耕耘機、あるいは、耕運機である。もともとは耕耘機が正しいようだ。「耘」というのは見慣れない言葉だが、訓読みは「くさぎ・る」で、雑草を取り除くという意味である。そうなんや、耕して草を取り除くのが耕耘機なんや。またひとつ賢くなった。耕運機という言葉も使われるが、これは耕耘機に荷台をつけて運搬に使うこともあるかららしい。ふむ、我が家はそんなことせんから、耕耘機やな。しかし耕うん機っちゅうのは、両者に配慮した、なんとも中立的な言葉遣いですわなぁ。
愛用のCOBUILD英英辞典によると、cultivator は、大地を耕したり草を除く道具や機械、と書いてある。英英辞典なので、もちろん英語で。さすが、正しい。その元となる単語cultivateはラテン語の「colere 大地を耕す」に由来していて、culture(文化)も同じ語源だそうな。そういえば、cultureには栽培するだけじゃなくて、培養するという意味もあったんや。隠居するまでは細胞培養関係は生業の一部やったけど、すっかり忘れかけてましたわ。
電動カルチベータ、3~30坪用というのがえらく大ざっぱすぎる気はしたが、30坪程の面積なので、これに決めた。連載第1回に写真を載せたが、かっこよろし。まず使ったのは、耕ではなくて耘、開墾後すぐに生えてきた雑草の除去である。えらく効率的だった。広々とした畑の表層をスイスイと。むっちゃええやん! 買った甲斐があったというものだ。さらに、次回に書く予定の畝立ての前の耕しに使用。これにもえらく役だった。
師匠の著書に記されていた衝撃の事実!
以後、縦横無尽、八面六臂、獅子奮迅、大車輪の活躍を続けている。と書きたいところなのだが、そうでもない。
広いめの土地を耕耘するには適している。仲野家菜園、最初は何もないから広々としていた。しかし、農作を始めると、畑のどこかに何かが植わっているという状態になるので、狭苦しい場所を耕さねばならんのである。カルチベータ君、力は強いのであるが、小回りは効きにくい。普段は、100人乗っても大丈夫なイナバ物置に鎮座させているのだが、20㎏くらいとけっこう重いので、そこから出すのが結構じゃまくさい。
なにが言いたいかというと、広々とした場所には便利だけれど、狭々しい場所、一畝とか二畝を耕すくらいなら、いちいちカルチベータ君を出動させるより、鍬で耕した方が早いのである。草取りの場合はもっとそうで、カルチベータ君を出してる間に抜ききることができてしまう。ということで、活躍したのは、菜園を開始した時と、比較的広々と空き地面が出る春先、数えるほどでしかない。
伊藤礼先生の菜園は、我が家より狭くて10坪ほどしかなかったはずだ。どう考えてもいらんかったんとちゃうんかと思ってご著書を読み返してみたら、そこには衝撃の事実が……。なんと3回しか出動していないのである。ちゃんと読んどかなあかんがな。
が~ん。そうやったんや。カルチベーターは所持することに意味があるんや。菜園をやるぞ、という意欲を高め、周りの人に感心してもらうのが主たる役割なんや。と割り切るしかありませんわ。
というように、菜園の整備が終わったのであります。購入した時点では、カルチベータ君が後々あんまり役に立たないとは知らなかったので満足度は高かったし、記念写真も撮ったので、よしとしましょう。というか、そうしておかないと、悲しすぎる。
次回はいよいよ畝立てのお話を。ここでもカルチベータ君の悲話が続きますので、乞うご期待。
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知的菜産の技術
大阪大学医学部を定年退官して隠居の道に入った仲野教授が、毎日、ワクワク興奮しています。秘密は家庭菜園。いったい家庭菜園の何がそんなに? 家庭菜園をやっている人、始めたい人、家庭菜園どうでもいい人、定年後の生き方を考えている人に贈る、おもろくて役に立つエッセイです。