長女が来春に小学生になる。0歳児から預けている保育園では、幼稚園でいう年少年中の年齢になると、遊びの時間に何をするかなどは、子どもたちでミーティングをして決めているようだ。育児にまつわる見聞が自然と増えるなかで、大人がなんでも決めて進めるのではなく、子どもが自ら考えて行動できる環境を整えることが大人の役割だ、などと頻繁に聞くので、まさにそんな考えを実行している保育園にはとても感謝している。
これからやってくる長女の小学校での6年間を想像すると、悲観的、とまではいかなくても不安になってしまうことがある。今でもそれぞれの学校の評判だけではなく、習い事や塾といった話題がひっきりなしに聞こえてくるし、学区外のいじめや学級崩壊の噂まで回ってくる。もやもやとしつつも公立小学校に行かせる予定なのだが、どの学校でも友達と楽しく過ごし、好きなことを見つけてくれたらいいと思う。もし問題が起きたら、その時はその時で、なんて漠然と思っていたのだけど、本書に出会い、そんな自分の思考をガツンと打ちのめされた。
著者は連続起業家、というよりソフトバンクの孫正義の弟といった方がふんふんと頷けるだろうか。学ぶこと、そして学んだことを再構築すること──ラーニングとアンラーニング──とはどういうことかを追求していく。「学びって本来はすごく楽しいことのはずなのに、どうして学校の勉強はつまらないのだろう?」「人生は本来すごくワクワクするもののはずなのに、どうしていつも不安を感じながら生きていかなければならないのだろう?」。著者が起業家として邁進していた時に浮かんだ疑問への答えを求めた旅路が書かれている。
たとえば、学校や教育という概念を、いつ誰がなぜどのようにして作り出したか。ひとつのことを深く探っていくと、さらにまたいくつもの疑問が生まれる。そもそも、なぜ学びが必要なのか。基礎が大切、早期教育がいいなどといわれているけれど、本当なのか。あたりまえに思っていた様々な事柄が、実はそうでもないかもしれないと理解できる。深掘りしていくと、何も知らず、考えずに、敷かれた道を進むことの危うさに気付いた。それは、自分の娘にとっても、私たち以外の、子どもの幸せを無条件に願う親にとっても、おなじことだろう。
だからといって、小学校に行かせないわけではない。楽しいから学ぶ、あるいは学ぶことが楽しいと思えるように、僅かでも手を差し伸べられたらいい。これから自分の娘たちが成長していっても、音楽やアート、スポーツなど何かに熱中して向き合う今の娘の姿と、どこかで重なっていたらうれしい。さらに、どんな局面でもひたすらに「問い」を立て、興味関心のある分野を探究していく著者の好奇心の深さにこそ、学ぶべきものがあるのだろう。
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