「テレフォン人生相談」の回答者として活躍されていた、加藤諦三さんの新刊『人生の勝者は捨てている』が好評発売中です。本書から一部を再編集してご紹介します。
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人生で最も大切なのは「Let Go」=「捨てる」こと
『The Wellness Book』という本の10章にハーヴァード・ビジネススクールの精神科医であったグレイフ博士(Barrie S. Greiff)の「健康で幸せな人の5つのL」という考えが出ている。
それは個人の有利な習慣である。
それは健康と幸せと関係がある。
「5つのL」とはLearn, Labor, Love, Laugh, Let Go である。
このLについて自己実現している人と、理想の自我像を実現しようと無理する人との違いを考えてみる。
「5つのL」の中で最も重要なのは、5つのLの最後の「Let Go」である。
「Let Go」の意味は「捨てる」こと。
それは未練を断ち切ること。人間関係を整理すること。
あの人はまだ何かしてくれるのではないか、その気持ちを断ち切らないと心の傷を深くする。
「Let Go」とは、とにかく今しがみついているものを手放すことである。それから手を離す。
それは「こうあるべき」などの考え方の放棄である。自分がコントロールできないものに拘らないことである。
「思い込み」や「囚われ」は手放したほうがいい
手放した方がよいものには色々あるが、先ず理想の自我像である。
今の思い込みを「Let Go」する。思い込みは囚われである。
この場合「Let Go」とは「囚われ」からの解放である。
何かに囚われた結果、自分で自分を憎んでしまった。
自分で自分を憎んでしまったから、生きることが楽しくなくなったのである。
「どこで、なぜ自分は自分を憎んでしまったのか?」を正しく理解する。
「5つのL」はすべて重要であるが、その中でもことにLet Go は極めて重要である。
人は心理的に病めば病むほど行動の選択の幅は狭くなる。心理的に病めば病むほどものを見る視点が少なくなる。いよいよ視野が狭くなる。
ある生き方にしがみつく。他にいくらでも生き方はあるのに、今の囚われにしがみつく。
ある職業に就かなければ幸せになれないというようなことに囚われる。そしてその囚われにしがみつく。
素敵な女性は沢山いるのに、「あの女性」でなければいけないと思い込む。失恋した時に心が病んでいれば病んでいるほど、「その女性」以外には考えられない。
囚われている人は、自分で自分の首を絞めていることに気がつかない。
生きる道はいくらでもあるのに、これしかないと一人で勝手に思い込んでいる。ある一つの道にしがみつく。
忘れ物をしたら取りに帰ればよいものを、そのまま行こうとするようなものである。
今の惰性を断ち切れない。惰性で生きるのが心理的に一番楽だからである。生きるエネルギーを失えば、惰性で生きるしかない。
「にもかかわらず」と考えることで、現状を前向きにとらえる
今、あなたは何にしがみついているのか?
ある著述業の人である。出版社から仕事のメールや電話が前のようには来なくなった。不安である。
しかし「これからどう生きよう」と考えればいい。
この難局にどう対処しようかと考える。その対処しようとする姿勢が将来の財産になる。
それなのに、「まだ原稿依頼が来るかもしれない」と待ち続けてノイローゼになる。
出版社からメールや電話が来ないことを落ち目ととらないで、自分が自ら何かを探す機会と捉えればいい。
彼は今の著述業からもう一皮むける時期なのに、今の職業に執着し続ける。一皮むけるのが痛いから、自分の新しい可能性を探すことをやめている。
そして新しく付き合う出版社を探し始める。彼の眼はそっちにいってしまう。
すると周りは自分をどう見ているかに関心がいく。こうして悩みが悩みを生んでいく。
悲観主義の人は、拡大解釈をする。
野球ができなくなる時に、野球人生が終わりになると思わない。政界から引退する時に政治人生が終わりになると思わない。そう思うのではない。
うつ病的傾向のなる人は、そういう時につい「これで自分の人生が終わる」と思ってしまうことが多い。
エネルギッシュな人と、エネルギッシュでない人では終わりや失敗の恐れのレベルが違う。
ある中学校の先生である。保護者とトラブルを起こす。するとその先生は「これで一皮むけるな」と思った。
この考え方でその先生は保護者とのトラブルを乗り越えられる。
その先生は、今の自分のトラブルを成長のためのトラブルと考えた。
もう一つ考え方を変えることがある。「だから」から「にもかかわらず」へと考え方を変える。
親としては子育てに失敗した。
「にもかかわらず」自分は立派であると考える。
大切なのは自分が子育てを失敗したということを認めることである。そしてその原因は自分にあるということも認めることである。
だからといって自分はダメな人間と思うことはない。自分を責めることでもない。
ここで「夫が」とか、「妻が」とか、「世の中が」とかに責任転嫁をすると、迷路はいよいよ深刻になる。
あるいは「私はダメな人間」というように逃げてしまうと迷路から抜け出せない。
強い人は捨てることができる
「Let Go」の意味は「捨てる」こと。
強い人は捨てられる。
ある人は「親を捨てた」と言った。
その人は親から虐待を受けて成長した。そして最後には親から見捨てられた。
その後、その人が言ったのが、先の「私は親を捨てた」である。
彼は、その時に自分を囲んでいた霧が「さーっと」晴れたという。
そこまで普通の人は強くなれない。ここまで強くなろうとすると無理が出る。
ただ「捨てる」とはどういうことか、ということを理解するために書いたのである。
捨てる覚悟を決めた時、自分を囲んでいた霧が「さーっと」晴れていく。
ここまで強くなれなくても夢のある人は捨てられる。
捨てるとは心の中で断ち切ることである。その人は、自分の心の中で親を断ち切ったのである。だから前を向いて歩き出せた。
断ち切れないと、恨みになる。
恨みになると後ろを向いてしまう。