東西か南北か、それが問題だ
畑の「開墾」もおわり、いよいよ種蒔き。と言いたいところなのですが、まだせねばならぬことがあります。畝立てです。畝、読めますか?「うね」です。さて、どの向きに畝を立てるかと考え始めた時点で、ふと頭をよぎったことがあります。それは日当たりです。というところから今回は始まります。
基本は南北方向に畝を立てるらしい。理由は日当たりだ。東西の畝だと、北側の野菜に日が当たりにくくなるから、と、書いてある。う~ん、ホンマなんやろか。
「発見とは、人と同じものを見ながら、誰も考えつかなかったことを考えてみることである」
ビタミンCの発見でノーベル賞を受賞したハンガリーの生命科学者セント゠ジェルジ・アルベルトの至言である。なまじ科学を生業にしていたので、ちょっと違った考え方をしてみたくなってしまう、というか、当たり前と言われていることでも吟味したくなる。と言えば聞こえがいいが、結局のところは天邪鬼(あまのじゃく)なのだ。
これって、野菜によるんとちゃうんやろか。植物の背丈と日当たりをイメージしてみてほしい。たとえばキャベツとかホウレン草。背丈の低いものなら、どっちゃ向きでもええんとちゃうんか。背丈の高くなるキュウリとかトウモロコシは、南北畝のほうが多少は良くなるかもしらんが、さして変わらんだろうという気がしないでもない。
と思いながら、いろんな資料を読んでいたら、ひとつだけ、東西方向の畝を勧めているものがあった。おぉ~、おもろいやん! 天邪鬼、おったわ。
やっぱりあんまり影響がないんかもしらん。ちゃんと実証実験をした人、おるんやろか。仲野家菜園は、ほぼ15メートル四方の正方形で、その四辺は東西南北とおよそ平行である。なので、基本的にはどちら向きの畝でも作ることができる。ただ、果樹が植わっているので、どうしても東西畝にしかできない場所がある。そこへジャガイモとスナップエンドウを植えた。ジャガイモは腰丈ぐらいだが、スナップエンドウは背丈ほどにもなる。実験というほどたいそうなものではないけれど、結果やいかに?
これも立派な知的刺激
結論としては、ようわからんかった。というか、強いて言えば、関係なさそうであった。南北畝推進派の意見だと、北に植えたものほど実りが悪くなるはずだ。が、そのような傾向はまったく見いだせなかったのである。まぁ、大規模にやってみたら、統計上の有意差が出るかもしらんが、大きな違いはないのではないか。
光合成の原理を考えると、光があたればあたるほど活発になるという訳ではなくて、どこかで頭打ちになる。光合成とて、触媒する酵素の量が限られた化学反応なのだから当然のことだ。そう考えると、冬場はさておき、夏場は十分な日当たりのある場所だと、東西でも南北でも関係ないんとちゃうやろか。よう知らんけど。
日当たり・畝の向き問題を考えながら、ふと気がついた。仲野家菜園、えらい日当たりが悪いやん。市街地だから、これだけはどうしようもない。西側は3階建て、それ以外は2階建てに囲まれているので、まったくダメという訳ではないが、よろしくもない。まぁ、南側にマンションが建ってないだけでも良しとせねばならんのかもしらん。
夏場はお日さまが高く上がるのでいいのだが、冬場になると隣家の影になって畑の南側の日当たりがすごく悪い。長い間、同じところに住んでおったが、日当たりなどというのはさして考えたこともなかったわい。しかし、日当たり問題は、我が家のみならず、都会の家庭菜園における最大の問題かもしらん。
ご近所でも家庭菜園をしておられるところがけっこうある。立派な作物を作っておられるところは、明らかに日当たりのいい家だ。こういったこと、菜園を始めるまではまったく目に入っていなかった。新しいことを始めると、目に入っていたはずのものが、違う意味を持って立ち上がってくる。セント゠ジェルジみたいやん。というほどたいそうなことはないが、立派な知的刺激である。
知っていますか? 畝・段・町
畝の向きにしたって、日当たりにしたって、考えてもあまり意味がない。セント゠ジェルジの言葉とは真逆だが、長いものには巻かれる精神で、基本的には南北畝にすることに決定。念のため、例によって、畝を広辞苑で引いてみた。「畑に作物を植えつけるため、間隔をおいて土を筋状に高く盛り上げた所。」とある。これは「うね」と読んだ場合だ。
あまり、というか、ほとんど知られていないが、「せ」という読み方もある。音読みではなくて訓読みで、「土地面積の単位。段(だん)の10分の1。1畝は30歩(ぶ)で、約0.992アール。」と書かれている。
ほぉ、そうなんや。段は反(たん)と同じで、300坪のこと、なので畝は30坪である。なるほど、仲野家菜園はちょうど2畝ほどなんや。昔はちょっと郊外へいけば田んぼなんかもけっこうあって、町、反、などという単位を耳にしたけど、こういった尺貫法の言葉はホンマに聞かなくなりましたな。尺貫法復権を目指した永六輔さんもだいぶ前になくなったことやし。ちなみに、町は10反、3000坪のことなので、ついでに覚えておきませう。
新たな助っ人・培土くん、登場!
当たり前のように畝を立てると書いてきたけれど、その理由はご存じだろうか。水はけと通気性が良くなり、さらには根腐れがおこりにくく、野菜の生育が良くなる、と、いいことずくめなのだ。さすがにこれは、疑う余地がないだろう。もうひとつ、作物が植わっている場所を明確にできるというメリットもある。立てねばなるまい。しかし、畝立てにはちょっとしたトラウマがあった。
10年近く前、まだ母親が畑仕事に勤しんでいた頃に、長さ3~4メートルほどの畝を立てるように命じられた。まったく経験がなかったこともあって、鍬(くわ)を使って悪戦苦闘。翌日は上半身の筋肉がばりばりになった。その時、自分には農作業は向いていないと悟った。
……はずだったが、時は流れ、記憶は薄れ、家庭菜園を営むことになっていた。しかし、畝立ての悪夢だけは脳裏に深く刻まれている。だから買ったのだ。カルチベータ君にくっつける、畝立て用のアタッチメントを。「京セラ(リョービ)培土器 カルチベータ用 6091063」である。
「培土」、またまた聞き慣れない言葉である。ここでも広辞苑を引いてみた。ない! おぉ、なんか勝ったような気がするがな。って、なんにも勝ってないけど。日本大百科事典には項目があって「作物の栽培において、作物の株際(かぶぎわ) に土を寄せる作業をいい、土寄せともいう。」とある。
培の訓読み「培う」は「つちかう」で、「(1) 草木の根元に土をかけて育てる。培養する。栽培する。 (2) 能力や性質を養い育てる。育成する。(広辞苑)」という意味だ。なるほど、培った能力、とかいうのは土をよせてやるのが語源やったんや。
畝立てと培土はちゃうんちゃうんか、という疑問があるやもしれぬ。が、土を寄せるという点では同じである。培土の場合は、すでにある植物に土を寄せる。それに対し、畝立てでは、土を寄せて、それから上を平らにする。その違いだけだ。で、問題は培土器くんが役にたったかどうか、である。
役にたつにはたった。土寄せにはけっこうな力がいるのだが、そこをやってくれるのはありがたい。ただし、広々とした地面があれば、という条件つきだ。そんな場合は一気にできて便利ではある。しかし、前回に書いたように、そのようなシチュエーションが出来したのは、たった1回だけ。全面が更地の時だけである。
ということで、2万円近くもした培土くんは、一度目覚めたきりで休眠状態に入っている。そうそう、耕耘用の車輪から培土くんに付け替えるのもじゃまくさいというのも、使う気がしないもうひとつの理由である。もったいないことをしたもんですわ。
やっぱり道具がモノを言う
では、どうしているか。当然、手でおこなっている。しんどすぎると言ったではないか。
うそついたんか、とお叱りをうけるかもしらんが、まぁそこを聞いてください。農作業に限らず、多くの作業では道具がモノを言う。何年か前の時は、鍬だけで畝立てをしたのが失敗であった。畝立ての作業は、いくつかのプロセスから成り立っている。
まずは、後に畝になるところへ、畝と畝の間の通路になるところから土を掘って盛りあげる。培土器を使うのはこの作業だ。そして、上面を水平にして、側面を整える。すべてを鍬でできなくはないが、最適の道具ではないのである。通路のところの土を掘るには鍬がいい。しかし、その土を畝に盛り上げるのには必ずしも適していない。土を掬おうとすると、横からぼろぼろこぼれてしまうからだ。
そこで投入したのが鋤簾(じょれん)、「土砂を掻き寄せる用具。長い柄の先に、竹で箕(み)のように編んだものまたは鉄板製の歯を取り付けたもの。(広辞苑)」である。言ってみれば、鍬の幅を広くして両側を少し高くしただけのものだ。
しかし、この威力は絶大であった。まっすぐに、しっかりと、それも簡単に盛り土をできる。ホームセンターで見かけたことはあったが、こんなもん鍬で代用できるやろと侮っていた私がバカだった。わずかな違いが大きな差を生み出すのである。バタフライエフェクトみたいなもんか。ちょっとちゃうな。
もうひとつ、上面と側面を平らにするにも鍬を使っていたのだが、それには木製のトンボを投入した。土ならしをするという農機具という意味でのトンボも広辞苑に載ってないなぁ。これくらい入れといたらどうや。レーキとも呼ばれるが、こちらは「農具の一種。短い鉄の歯を櫛形に並べて柄をつけたもの。草掻きなどに用いる。(広辞苑)」とあるから、整地用のレーキは「板レーキ」と呼ばないとあかんのでしょうな。正確な専門用語の使い方はややこしいな、ホンマに。
ともあれ、トンボ=板レーキを使い始めた。参考までに、今回の写真は、鋤簾、鍬、板レーキの「畝立て三兄弟」をあげておいた。
これもホームセンターで売っているのは知っていたが、板の長さが80センチもあるような大きな整地具は小さい畑に似合わんだろうとうっちゃっていた。しかし、使い出すとこれがやたらと便利。上面の整地はもちろん、側面はかなりの力で圧迫して崩れないようにせねばならんのだが、その時に最高に威力を発揮してくれる。鋤簾とトンボを用いることにより、鍬だけの作業に比べて労力は2割くらいに圧縮された感じがする。そして、なによりも、できあがりがやたらと綺麗になる。鍬ではそうはいかんのだ。
天邪鬼、今回も大いに学ぶ
今回のまとめ。
1. 本に書いてあることを鵜呑みにしてはならぬ。
2. 過去の経験に縛られてムダな買い物をしてはならぬ。
3. 作業に最適な道具があるなら、けちってはならぬ。
っちゅうところですかね。
知的菜産の技術
大阪大学医学部を定年退官して隠居の道に入った仲野教授が、毎日、ワクワク興奮しています。秘密は家庭菜園。いったい家庭菜園の何がそんなに? 家庭菜園をやっている人、始めたい人、家庭菜園どうでもいい人、定年後の生き方を考えている人に贈る、おもろくて役に立つエッセイです。