
3月某日、大阪府箕面市にあるきのしたブックセンターでトークイベントに登壇した。2月に刊行した新刊『汽水域』(双葉社)の刊行記念イベントである。
トークの相手は、作家で同店オーナーの今村翔吾。私にとってはデビュー直後からの付き合いになる盟友だ。事前の打ち合わせなしではじまったイベントは、大盛り上がりの45分間だった。
ちなみに、当日の模様はYouTubeでアーカイブが残っている。

イベント後には店内でサイン会も行い、たくさんの著書にサインさせていただいた。初めて訪れるきのしたブックセンターで、とても楽しい時間を過ごすことができた。
このイベントのきっかけは、きのしたブックセンターの店長さんからの提案だ。前々から岩井を応援してくださっている店長さんから、「岩井さんのイベントができないか」という相談を受けて、ぜひぜひ、と来訪することになったのだ。
しかし、ただイベントをするだけではもったいない。せっかくだから、「あなたの書店で1万円使わせてください」の取材(買い物)をさせてもらいたい。そうお伝えしたところ、二つ返事で快諾いただいた。
当日はイベント開始より早めにお店に到着して、店内で取材することになった。
ここで、きのしたブックセンターという書店についてあらためて説明しよう。同店は、2021年11月に今村翔吾が事業継承、リニューアルオープンした書店である。
きのしたブックセンターの創業は昭和42年だが、書店経営の環境悪化などにともなって前経営者が事業の譲渡先を探していた。そこで手を挙げたのが、「町の書店をなくしてはいけない」と考えた今村さんだった。店名はそのまま残しつつ、内装を一新し、ロゴやグッズを制作してリニューアルオープンを果たした。
その後、今村さんは「佐賀之書店」や「ほんまる神保町」など経営する書店を増やしていった。だがその第1号はきのしたブックセンターであり、書店経営者となったのは同店の事業継承をしたことがきっかけなのだ。
そんな想いが詰まった書店での買い物が、楽しみでないはずがない。きのしたブックセンターとはどんなお店なのか、そしてそこではどんな本に出会えるのか、期待しつつ当日を待った。
* * *
阪急電車箕面駅から歩くことおよそ5分、サンクスみのおという商業ビルの一階に、きのしたブックセンターはある。ちなみに、道中にはミスタードーナツの1号店がある。
まずは同行してくれた双葉社の方々と一緒に、店長さん以下、スタッフの皆さんにご挨拶。それからおもむろに、お店の前で1万円札を手に1枚。

本企画のルールは「(できるだけ)1万円プラスマイナス千円の範囲内で購入する」という一点のみ。さっそく自腹(ここ重要)の1万円を準備して、買い物スタート。
お店に入ると、まず右手がレジ。手前では、トートバッグなどのきのしたブックセンターグッズも販売されている。

入って左手は雑誌の棚。大阪の書店とあって、万博関係の雑誌も平積みされていた。

同じ並びには、今村さんと親交がある加藤シゲアキさんのコーナーが。サイン入りポスターが2枚並んで掲示されていた。

そんななか、いかにも岩井が好きそうな理系本のコーナーを発見。入門書から専門書まで、幅広く展開されている。

聞くところによれば、理工書好きの岩井のために、店長さんがわざわざ用意してくださったコーナーだという。私の好みを把握したうえで、書店ならではのおもてなしを考えてくれたことに感動しきりである。
どれも面白そうだが、装幀にひときわ目を引かれたのが、ルル・ミラー著/上原裕美子訳『魚が存在しない理由 世界一空恐ろしい生物分類の話』(サンマーク出版)。
表紙は箔押し。小口(本の断面)には模様入り。しかもこれだけ凝ったデザインで、翻訳書なのに、価格は2,310円(税込み)。

本書は主に、科学者デイヴィッド・スター・ジョーダンの生涯をたどるものだという。魚類の収集分類に人生をかけたジョーダンを通じて、科学や自然への考察が深められている模様。
デザインの時点で、勝負は決まったも同然だ。今日の1冊目はこちらに決定。

店内を巡りながら、今村さんの秘書さんからリニューアルオープンにまつわる裏話も聞かせてもらう。
事業継承前のきのしたブックセンターはとても明るい店舗だったそうで、改装にあたっては、落ち着いた空気を出すためにあえて暗くした、とのこと。天井から釣り下がっているシェードつきの照明も、雰囲気づくりに一役買っている。
棚に掲示されているボード一つひとつは、手作りだそう。スタッフの皆さんの苦労がしのばれる。

家族連れのお客様も多いようで、おもちゃの売り場も結構充実している。

ビジネスの棚を物色していると、気になる1冊を発見。

ジェニファー・ルシュー著/広野和美訳『ナチスから美術品を守ったスパイ 学芸員ローズ・ヴァランの生涯』(原書房)である。タイトルの時点で魅力があふれ出しているが、内容はこうだ。
モネ、ゴッホ、フェルメール、ルーベンス――パリを占領したナチスは美術館や邸宅から数々の美術品を略奪した。しかし、それに抗おうとする学芸員がいた。歴史に埋もれたローズ・ヴァランの業績を掘り起こすノンフィクション。
ナチスを扱ったノンフィクションは数多いが、学芸員の視点から描かれた本があることは初めて知った。2冊目はすんなりこちらに決定。

絵本コーナーでは、「100年読み継がれる名作」シリーズの特集を発見。とにかくどれも装幀が綺麗で、これもぜひ紙でほしくなる。

レジ横には、見たことがないくらい巨大な『じんかん』ポスターが貼られていた。その手前には、今村さんのサイン入り著作がたくさん。今村翔吾ファンにとっては、ほとんどテーマパークのような書店である。

文庫の棚では、最近の新刊が表紙を並べて陳列されていた。体感だが、特に文庫は入れ替わりが激しい気がするので、どうしても表紙が見える本から手に取ってしまう。

特に気になったのが、オルナ・ドーナト著/鹿田昌美訳『母親になって後悔してる』(新潮文庫)。
本書は単行本刊行時、SNSで話題になっていたことを覚えている。当時から気にはなっていたのだが、なんとなく買わずにここまで来てしまった。オビの言葉がまた鮮烈である。
子どもを愛している。それでも、母ではない人生を願う。
子を持つ親として、この言葉には一定の共感を覚える。子への愛情と、親ではない人生への願望は、一人の人間のなかで簡単に両立する。誰もが直視してこなかった感情を、あざやかに表現した言葉だと思う。
というわけで、こちらも購入することに。

文芸の棚には、発売されたばかりの『あえのがたり』が特に大きく展開されていた。
もちろん著者に今村さんが名を連ねていることも大きいだろうが、それを除いても、本書はとてもチャレンジングな試みである。なにしろ、参加著者の印税相当額と講談社の売上利益相当額を、能登半島地震の復興支援に寄付するというのだから、前代未聞の企画だ。

店内には、いくつか今村さんの著書を集めた一角がある。『羽州ぼろ鳶組』シリーズのアニメ化が発表された直後で、オビもアニメ化仕様に変わっていた。今村さんはわたしより1年デビューが早いとはいえ、その著作数の多さにあらためて驚く。

伊与原新さんの話題作『宙わたる教室』などを眺めつつ、レジ前に移動。

実はこの日、レジ前の一等地では岩井の著書が驚くほど大展開されていた。たいへんありがたいホスピタリティである。

レジ横には新刊文芸書が陳列されていて、そちらにフラフラと吸い寄せられる。

数ある文芸書のなかで異彩を放つブックデザインが、町田そのこ『月とアマリリス』(小学館)。
黒を背景に青い五弁の花が咲いている。シンプルだが、なぜかとても引き付けられる表紙だ。
オビによれば、本書は「本屋大賞作家の新境地となるサスペンス巨編」だという。たしかに、いままでの町田さんの作品とは少し雰囲気が違うようにも見える。
ここは、読んでたしかめるしかないだろう。こちらも購入。

ひと通り店内を見て回ったが、ここで再度チェックしたい棚が。それは、序盤に1冊購入した理系本コーナーである。岩井のために用意してくださっただけあって、気になる本が他にもいくつかあった。

なかでも、近藤滋『波紋と螺旋とフィボナッチ』(角川ソフィア文庫)は初めて見るタイトルだった。表4のあらすじにはこう書いてある。
シマウマやキリンの模様、貝のうずまき形状、ひまわりに見られるらせん――自然界に存在するパターンは、どれも無関係に思える。しかし、フィボナッチ数や黄金角など、数理のめがねを通してみれば、驚きの「単純な法則」が見えてくる!
そういう話はどこかで聞いたような気もするが、ちゃんと体系立てて読んだことはなかった。これを機に、ちゃんと学んでみたい。
文庫だけあって価格の安心感もあり、これもすんなり購入することに。

さて、あと1冊くらいならいけそうな気がする。
店内をウロウロしていると、面白そうな本を2冊発見。1つは永井玲衣『世界の適切な保存』(講談社)だ。同じ著者の『水中の哲学者たち』がとても面白かったので、こちらもきっと期待に応えてくれるに違いない。
もう1冊は、アンソロジー『ロイヤルホストで夜まで語りたい』(朝日新聞出版)。お店に移動する途中、ちょうど雑談の話題に出たのがこの本だった。見かけた時は「おっ!?」と思わず手に取ってしまった。
2冊とも読みたいが、両方買ったら予算オーバーは確実である。

悩んだ末、最後の1冊には『世界の適切な保存』を選ぶことに。アンソロジーも非常に気になるのだが、永井さんの新刊が出ていたことはお店に来るまで知らなかったので、より「一期一会っぽい」感じがした。

いよいよ、お会計の時間。選んだ6冊の合計額を出してもらう。

さあ、どうだ。
合計額は……10,791円。セーフ!

箕面駅から歩いていける場所にあるきのしたブックセンターは、まぎれもなく「町の本屋さん」である。買い物をしている間も、利用客のみなさんがお店の方に話しかけている風景を何度も見かけた。雑談しながら予約した本を受け取っている人もいて、近隣の方々から愛されている様子が伝わってきた。
このお店が放つ唯一無二のキャラクターは、「町の本屋さん」であることだけではない。内装やロゴ、照明にいたるまで、きめ細かなこだわりと配慮が感じられるのだ。
選書の面でも、今回わざわざ理系本をそろえてくれたことからわかるように、機動性がとても高い。今村さんの著書(サイン本も!)を絶えず在庫しているだけでなく、独自のコーナーをいくつも用意するなど、スタッフの方々の息遣いが感じられるような店づくりだ。ただ配本された通りに並べているわけでは、まったくない。
きのしたブックセンターは、「直木賞作家がオーナーをつとめる」点だけが売りではない。この言葉の意味は、一度お店に来ていただければわかると思う。機会があれば、ぜひ足を運んでほしい。
* * *
最後に。
この企画に協力してくださる書店さんを募集中です。
「うちの店でやってもいいよ!」という書店員の方がいらっしゃれば、岩井圭也のXアカウント(https://twitter.com/keiya_iwai)までDMをください。関東であれば比較的早いうちに伺えると思いますが、それ以外の地域でもご遠慮なく。
それでは、次回また!
【今回買った本】
- ルル・ミラー著/上原裕美子訳『魚が存在しない理由 世界一空恐ろしい生物分類の話』(サンマーク出版)
- ジェニファー・ルシュー著/広野和美訳『ナチスから美術品を守ったスパイ 学芸員ローズ・ヴァランの生涯』(原書房)
- オルナ・ドーナト著/鹿田昌美訳『母親になって後悔してる』(新潮文庫)
- 町田そのこ『月とアマリリス』(小学館)
- 近藤滋『波紋と螺旋とフィボナッチ』(角川ソフィア文庫)
- 永井玲衣『世界の適切な保存』(講談社)
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文豪未満

デビューしてから4年経った2022年夏。私は10年勤めた会社を辞めて専業作家になっ(てしまっ)た。妻も子どももいる。死に物狂いで書き続けるしかない。
そんな一作家が、七転八倒の日々の中で(願わくば)成長していくさまをお届けできればと思う。
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