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○月○日、区長になる女。を撮る女。

2025.01.31 公開 ポスト

「えっ、ガン?」突然の告知とホームレス女性殺害の衝撃 政治は“フリーランス一人暮らし女性”を守ってくれるの?ペヤンヌマキ

2022年の杉並区長選に迫ったドキュメンタリー「映画 〇月〇日、区長になる女。」は、2024年1月の公開から連日満員、全国50館の上映にまで広がりました。そして、このたび第79回毎日映画コンクールでドキュメンタリー映画賞を受賞。監督のペヤンヌマキさんはなぜ、選挙を撮る女になったのか? 

命の危機に突き動かされる 

2022年、杉並区長選挙で区長を変えたいと思った私は、候補者に決まった岸本聡子さんに会いに行こうと思い立ち、実行しました。その行動に至るまでは、いくつかの伏線がありました。まずはそこからお話ししましょう。

あれは2019年の春でした。近所のかかりつけの診療所に行ったとき、受付の壁に貼り紙を見つけました。「この近くに大きな道路を通す計画があり、ここは立退区域に指定されています。

道路が通るとこの診療所はなくなってしまいます。道路計画反対の署名に賛同してください」。道路計画図をよく見ると、私のアパートの上にも道路の線が引かれていました。そういえば「測量」と書いたビラが自宅のポストに投函されていたことを思い出しました(ビラはよく読まずに捨ててしまってました!)。

驚いたことに、私のアパートも立退区域に指定されていたのです。

私はもちろんすぐに署名し、それから道路問題の詳細が知りたくて、インターネットで情報を集め始めました。

都市計画道路133号線という70年以上前に計画され塩漬けになっていた道路計画が、近年になって突然浮上したというのです。それは東京都と杉並区が住民の意見を聞かずに進めているらしく、道路計画に反対する住民の会があることがわかりました。しかしその時は仕事が忙しかったこともあり、インターネットで動向を伺うに留まっていました。

そうしているうちに2020年、新型コロナウィルスが世界中を襲い、日本では4月に緊急事態宣言が発令されます。ひとり暮らしの私は、自宅で執筆仕事をしながら誰とも会わない生活を余儀なくされます。毎日気が滅入るようなニュースばかりが入ってきて、仕事は全然捗りません。

同居猫のびーちゃんとは24時間行動を共にし、気づけばご飯を食べるタイミングもトイレに行くタイミングも全部一緒になっていました。トイレで便座に座っていると、隣に設置してある猫用トイレにびーちゃんも座っていて目が合います。「あら、こんなところで会うなんて奇遇ですね」と声をかけ、「ニャー」という返事が来る。それを毎日繰り返しました。そう、私の話し相手はびーちゃんだけなのでした(亀のカメキチ先輩は冬以外はベランダの水槽で生活してるので家庭内別居状態です)。

びーちゃんに癒されつつも、人間と全く会わず誰とも日常会話ができない生活は、不安やストレスと隣り合わせでした。それを紛らすように、とにかく好きなものを食べまくりました。そんな中、事件は起こりました。

 

ある日の朝4時、尋常ではない腹痛によって目が覚めました。鈍くて重い痛みがお腹全体に広がっていく、腸が腐っていてそこから身体の養分をどんどん奪われていくような感覚。起きていることができずに、すぐ横になる。このままベッドで半日寝込んでいようかとも思ったけれど、ふとこのまま症状が悪化して動けなくなり、死……が頭に浮かびゾッとし、何とか起き上がって自力で自転車を漕いで(よくそんな状態で自転車に乗れたなと今となっては不思議ですが)、かかりつけの診療所に駆け込みました。

先生曰く、急性虫垂炎(いわゆる盲腸)の疑いがあるとのこと。CT検査ができる隣駅の総合病院での受診を勧められました。すぐにタクシーを呼んでもらい総合病院の消化器科の受付に着いた時は立っていることもできなくなっていました。

車椅子で血液検査と腹部CT検査を受けている最中、前日の夜に食べたしらすのペペロンチーノが胃液と共に逆流しているような吐き気に襲われました。

そして検査の結果、やはり急性虫垂炎であることが判明。「かなり悪い状態なので家へは返せません」と言われ緊急手術を受けることになりました。

本来なら全身麻酔での開腹手術だが、コロナの関係で人工呼吸器が不足しているので部分麻酔での手術になるとのこと。ということは…お腹を切られている最中に意識があるということ。これにはビビりましたが手術するしか選択肢はありません。

貧ぼっちゃまのコスチュームみたいな背中とお尻部分が丸出しの手術着で手術台に寝かせられ、背中に麻酔の注射を打たれました。寒さからか恐怖心からか上半身がガタガタと震えました。メスがかちゃかちゃする音が気にならないようにとヘッドホンを装着させられ耳から脳内に流れてきたのは、深夜ラジオ「JET STREAM」のオープニングみたいな音楽。宇宙空間を旅しているような壮大なBGMの中、私のお腹は切られていきました。

と、何だかシュールな状況をその時は面白がる余裕があったのですが、手術から3週間後、私は絶望のどん底に突き落とされました。手術で取った虫垂がすごく腫れていたので病理検査に出したところ、「神経内分泌腫瘍」が発見されたというのです。

主治医の先生は最初は「腫瘍」という言い方をしていましたが、いろいろ質問していくと「このガンは〜」と言い出しました。え、ガン? 一瞬耳を疑いましたが先生はやはり「このガンは〜」と説明を続けます。神経内分泌腫瘍というのは神経内分泌という場所にできる癌とのこと。

さらっと癌を告知されてしまったのです。腫瘍自体は既に手術で取った虫垂の中にあったのでよかったものの、癌が肝臓に転移している可能性があり、癌専門の病院へ転院して検査と再手術が必要とのことでした。

それから私は生きた心地がしない時間を過ごしました。

これまで何の根拠もなく90代まで長生きする気満々でいたけれど、長生きすることで自分は大器晩成タイプなのだと思い込もうとしていたけれど、全然そんなことはなく案外若くして死んでしまう運命なのかもしれない。結婚もせず子供も産まず親孝行なことは何もできず、ただ親を悲しませることになってしまうかもしれない。

近所の善福寺川沿いを散歩しながら桜の木を見上げると涙が溢れました。

来年、再来年、私はこの桜が満開になっているのを見ることはできるのだろうか。

インターネットで余命を検索してみたり、調べても無駄なことに時間を費やして精神状態がどんどん悪化していきました。

私はどうなってしまうのだろう? 

自分の体の状態がわからないということは、とてつもなく不安でした。先の見通しが立たない不安。それは、道路計画によってアパートが立ち退きになってしまうかもしれないことにも、コロナ禍の社会にも通じていました。

それから数ヶ月かけて国立がんセンターで全身を検査し、その年の冬、追加手術を受けました。幸い転移はなく、術後は半年に1度の経過観察のみで大丈夫とのことでした。「ご先祖様が早く気づかせてくれたのかもしれないね。感謝しないとね」誰かが言いました。私はご先祖様と、かかりつけ医の先生に感謝しました。

もし急性虫垂炎になっていなければ、手遅れになるまで癌の存在に気付くことができなかったかもしれない。かかりつけ医の先生が、急性虫垂炎の可能性を見抜き素早く手配してくれたおかげで、大事に至らずに済んだのです。

私は普段からちょっと風邪気味なくらいでもこのかかりつけ医に診てもらうようにしていました。できるだけ健康な状態で長生きしたい私の信条として、体の不調を感じたら自己判断に頼らず、すぐに病院へ行くというのがありました。

自宅から歩いて5分の場所にあるN診療所は、先生の人柄もよくて、地元の高齢者がたくさん通っている病院でした。

もしN診療所のようなかかりつけ医がなかったら、コロナ禍でとてつもない腹痛に襲われた時、私はどうなっていたでしょう? 

すぐに119に電話をかける勇気はあったでしょうか? 

かけたとしてもすぐに繋がったでしょうか? 

すぐに受け入れてくれる病院は見つかったでしょうか? 

つくづく地域のかかりつけ医の大切さを実感しました。そんな大切な診療所が、道路計画によって立ち退きになってしまうかもしれない。私たちの命に大きく関わってくる問題です。

それから退院して自宅で療養していた時、あるニュースが飛び込んできました。渋谷区のバス停でホームレスの女性が殺害された。学生時代は劇団員をやっていたという彼女は、3年前まで杉並区のアパートに住んでいた。スーパーで試食販売の仕事をしていたが職を失い家賃滞納でアパートを追い出されてからは路上生活をしていた。バス停で一夜をしのいでいた時に、近隣に住む男性に「邪魔だ」と殴られて亡くなったという事件でした。
 
フリーランスでよるべの無い生活をしている私が、この先、年齢を重ねた時、体を壊して働けなくなったら、突然アパートを出て行けと言われたら……彼女の身に起こったことがとても他人事には思えませんでした。今の社会は弱者に優しくなく、今の政治では将来私のような人間は守ってもらえないと感じました。

とてつもない不安が襲ってきて、アパートでひとり泣きました。そしたら足元に柔らかい感触が。猫のびーちゃんが私の異変に気づき、そっと寄り添ってくれていたのです。びーちゃんの背中に私の涙がポタポタと溢れ落ちました。肉付きのよいドシンとした猫背な背中の何と頼もしいこと。びーちゃんは大きな背中で私の涙を全部吸い取ってくれた。亀のカメキチ先輩は何も言わずベランダから見守ってくれていました。そうだ私はひとりではなかった。

私は今の暮らしを、猫のびーちゃんと亀のカメキチ先輩との生活を何としてでも守る。そのためには何でもする。そう強く思いました。
ここに道路が通ったら、今の生活は奪われてしまう。道路計画をなんとしてでも止めなければ。じゃあそのために今私ができることは何だろう? 

悩んでいるだけでは何も変わらない。 

そして、私は一歩を踏み出しました。

(第3回へ続く)


 

「映画 〇月〇日、区長になる女。」

映画の詳細・公開情報などは公式ホームページ

関連書籍

ペヤンヌマキ『40歳から何始める?』

筋トレ始めました。4時起き始めました。勉強始めました。デート始めました。内職始めました。そして、素っ裸で踊りましたーー。20代でAV監督になり、30代で演劇ユニット「ブス会*」を立ち上げ、興味の赴くままに生きてきたペヤンヌマキさん。40歳になり、さらに新しいことにチャレンジしたくなりました。はりきって、挫折して、また奮起して。新しいことは、生活のなかにたくさん埋もれています。一緒に真似してみたくなる、ワクワクドキドキの挑戦ライフ!

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○月○日、区長になる女。を撮る女。

2022年杉並区長選挙は、岸本聡子がわずか187票差で現職を破った。彼女と彼女を草の根で支えた住民たちに密着したドキュメンタリー『映画 ◯月◯日、区長になる女。』は全国から注目を集めロングラン上映が続いた。監督のペヤンヌマキはなぜカメラを持ったのか? 自らが綴るもうひとつのドキュメンタリー。

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ペヤンヌマキ

1976年生まれ、長崎県出身。早稲田大学卒業後、2010年に演劇ユニット「ブス会*」を立ち上げ、全ての作品の脚本・構成・演出を手がける。またテレビドラマの脚本家としても活躍中。著書に『女の数だけ武器がある。』『40歳から何始める?』がある。

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