
日本を代表する現代美術家・会田誠による「犬」は、2012年森美術館展覧会での撤去抗議をはじめ、数々の批判に晒されてきた。裸の少女の“残虐”ともいえる絵をなぜ描いたのか――? その理由を作者自らが解説した『性と芸術』が文庫になりました。文庫版書き下ろし「僕の母親(と少し父親」」に加え、大野左紀子さん、二村ヒトシさんの解説を収録。単行本からさらに充実した内容です。一部を抜粋してお届けします。
「日本画」なるもの
『犬』のイメージが浮かんだ日時はよく覚えていない。1989年の春であることは間違いないのだが。しかし場所はしっかりと覚えている。上野公園の中にある東京国立博物館の展示室──同館が所蔵する国宝・狩野永徳『檜図屏風』の前だった。
この日本絵画史に威風堂々と聳(そび)え立つ名画は、檜の太い幹を描く大胆なタッチと、針葉の一本一本を丁寧に描く細かいタッチの対比に特徴がある。いわば〈主題〉の強調と〈枝葉末節〉の強調という、本来なら相容れない描法が、一枚の絵の中で見事な均衡を保って同居している。これは東洋や日本の古い絵画の一つの特徴でもあろうが、この狩野派の中興の祖による『檜図屏風』は、そのお手本中のお手本と言うべきものである。
私はこの絵の前で長い時間佇みながら、日本の絵画の真髄が分かった気がしてきた。そうして呆然と眺めているうちに、私の頭の中である図像がモヤモヤと生まれ始めた。それが『犬』の原型的なイメージであった。詳しくは後述する。
もともと「日本」というテーマは私の中で大きかった。
「学部時代は我流哲学が頭を占めていた」と書いたばかりで、矛盾するようだが、私に限らず人間とはそのようなものだろう。多面性があると言うか、同時に何本もの人生の糸を辿って生きている。特に自分の歩むべき道を探している、青春時代の只中にいる者はそうだろう。平気で分裂しているものだ。
私は高校の半ばから三島由紀夫を熱心に読むようになった。もちろん私は三島から「芸術的なアイロニー」など様々な要素を勝手に受け取ったわけだが、本稿の文脈で大切なのは、やはり(一応本人の主張に従えば)一人の右翼活動家として死んだ三島が問題としたところの「日本」だ。
さらに続けて小林秀雄も愛読するようになった。これまた長い期間執筆を続けた多面的な人物ではあるが、ここでは特に戦中の『無常といふ事』から最後の大著『本居宣長』に至る、中年以降の姿を想起していただきたい。「真に日本的なるものとは何か」という設問に悪戦苦闘する、彼ら先達の背中を見るのが好きだった。
要するに私は十代の終わりあたりから、「保守」という文化観や人生観に憧れを抱くようになった。それは戦後民主主義の一方の申し子であった「ソフト左翼」な父母に育てられた反動だったわけだが、その話はまたするだろう。
美術作品を作るに際して、「現代的であること」と並んで、「日本的でなければならない」という現在まで続いている私のルールは、まずはこの2人の文学者から教わったものだと思っている。その最初期の作例としては、大学2年の初めに学内のグループ展で展示した『無題(通称=まんが屏風)』がある。全面に貼られた「少年ジャンプ」のページ、屏風という形式、そして露骨なマンガ絵──。無残な試作品と言う他ないが、「自分ルール」の当時における精一杯な明示ではあった。
先述した通り当時の藝大油画科は、多数を占める団体展に属する半具象・半抽象画の教授も、絵画という形式を捨てた榎倉先生も、国際標準を志向する点では意見の一致を見ていた。
さらに言えば、美大の外の戦後洋画壇も、前衛美術の流れを汲む現代美術も、ざっくり言えば「自由と平和を希求する国際的な左翼的心情のネットワーク」でなんとなく結ばれていた。それを仮に「日本の55年体制下における文化人の典型的佇まい」と呼んでおこうか。そういったものへのイライラした反抗心が、このゴミのような作品を私に作らせた。
当時私は「俺は藝大唯一の右翼学生だぜ!」という歪んだ自意識さえ抱いていただろう。
3年生の春にあった古美術研修旅行(通称・コビケン。藝大における修学旅行みたいなもの)の経験も大きかった。奈良や京都に2週間ほど滞在して、その間ひたすら日本古美術の名品を見まくる。これは主に日本画科や彫刻科や工芸科が絶対必要とする教育プログラムであって、油画科は生徒はもとより、引率する教授や助手でさえ「まあせっかく藝大に入ったから、お付き合いでそういったものも見とこうか」といった淡白な態度が主流だった。
しかしその中でも「ニワカ日本古美術マニア」になる学生は少数いて、私もその典型的な一人だった。私はすでにコビケンで訪れた京都・聚光院において、狩野永徳の若き日の天才性に打ちのめされていた。
そういう前段階があり、私は大学院に進んだ時点で、自らの照準を「日本古美術」および「近代日本画」にしっかり合わせていた。
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続きは、『性と芸術』をご覧ください。