
なぜ日本銀行は異常な円安を止められなかったのか? その結果、日本経済と国民生活にどのような影響をもたらしたのか? 経済学者の野口悠紀雄さんが、日本経済の抱える根本的な課題に迫る幻冬舎新書『日銀の限界』より、一部を抜粋してお届けします。
日銀総裁発言で、異常な円安が進行
「歴史的な円安」とか「異常な円安」と言われる事態は、日本銀行総裁の発言で引き起こされた面もある。
日銀の植田和男総裁は、2024年4月26日の金融政策決定会合後の記者会見で、「(円安によって)基調的な物価動向に大きな影響が生じれば、政策の判断材料になる」とした。そして、「円安による基調的な物価への影響は無視できる範囲か」という質問に「はい」と答えた。
この答えには、世界中が仰天したことだろう。「円安が進んでも、日銀はそれを放置する」と受け止められたのだ(形式論理的に言えば、この受け止めは、植田発言の裏命題だから、誤りなのであるが……)。そして「円安を進める投機取引(円キャリー取引:第1章の2を参照)を、日銀を気にせずにどんどんやっても構わない」と受け止められたのである。
はたせるかな、この会見が終了する前から円安が進み、会見中に80銭ほど円安になった。そして、一時は1ドル=156円80銭台になった。さらに、4月29日には、一時、1ドル=160円まで円安が進んだ。
こうした急激な円安の進行に対して、財務省は為替介入を行なった。
投機取引に利益の保証を与えたようなもの
なぜ植田発言によって円安が進んだのかを説明しよう。第1章や第3章で述べたように、為替レートは「キャリー取引」と呼ばれる投機取引によって大きな影響を受ける。これは円で投機資金を借入れてドルに転換し、ドル資産に投資する取引だ。日本の金利がアメリカの金利より低ければ、金利差だけの利益が得られる。キャリー取引は円を売ってドルを買う取引なので、円安が進む。
この説明は誤りではないが、これだけでは不十分だ。なぜなら、仮に投機を手じまいする時点で為替レートが円高になっていたとすると、借入金を返済するために円高のレートで円を買わなければならないので、損失が発生するからだ。これが金利差による利益を上回ることは十分にありうる。したがって、キャリー取引はリスクが高い投機取引であり、必ず利益をあげられるとは限らない。
ところが日銀が、今後しばらくの期間は金融引き締めをしないと言えば、為替レートが将来円高になる確率は小さくなる。つまり、キャリー取引で利益を得られることが、ほぼ保証されるわけだ。本章の最初に述べた日銀総裁の発言は、「いくら円安が進んでも、日銀はそれを止めませんから、どんどん投機を進めて構いません」と受け取られた。つまり、投機取引に利益の保証を与えたと受け止められたのである。
なお、日銀による円キャリー取引の「推奨」は、これまでもずっと行なわれていたことだ。2023年4月に日銀新体制が発足したとき、金融正常化を進めるとしながら、同時に金融緩和を継続していくとしていた。本章冒頭の植田総裁発言は、この路線をより具体的に述べたものに他ならなかった。
岸田首相が植田総裁の発言を訂正させた
ところが問題は、以上にとどまらなかった。ある意味でもっと重要な事件が、この後に起きた。
円売りに歯止めがかからなくなった事態に危機感をもった岸田文雄首相(当時)は、植田総裁と面会して、発言を修正させたのである(日本経済新聞、2024年6月3日)。
面会後、植田氏は一転。過度な円安には利上げで対応する可能性を示唆するなど、発言を修正した。
私は、4月26日の植田総裁の発言は不用意なものであり、総理大臣がこれを問題視したのは正しいと思う。しかし、このことと、直接に面会して発言を修正させることが適切かどうかは別問題だ。なぜなら、この行為は、日本銀行の独立性を侵害すると考えられるからだ。日銀法第3条第1項は、「日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない」としているのである。
戦時中の1940年に制定された旧日銀法でこれに対応する条文は、「日本銀行ハ専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営セラルベシ」だった(第2条)。この条文があったから、日本銀行は戦費調達のために大量の国債を引き受けてきたのである。
現在の日銀法は、これに対する反省から第3条第1項の規定を置いた。つまり、この規定は、日本銀行の本質に関わる規定と言ってよいものなのだ。
岸田首相の修正要求は、この規定に抵触する大問題として論議されるべきだろう。
日銀の独立性はとっくに忘れられている
以上のように言えば、「2012年に、日本銀行の反対にもかかわらず、政府が日銀に2%の物価目標を導入させたことこそ、日銀の独立性に対する重大な侵犯だった」との指摘があるだろう。そのとおりである。
ただし、2012年当時には、これが日銀の独立性に関わる重大問題であることが明確に意識されていた。そして白川方明総裁(当時)は、最後の最後まで抵抗した。しかし、ついに刀折れ矢尽きて、政治の圧力を受け入れたのである。
ところが、今回は発言を修正させた側も、それを受け入れて発言を修正した側も、日銀法第3条第1項の規定を、すっかり忘れてしまったように見える。マスメディアからも、この事態に対して疑問の声が上がらなかった。
つまり、日銀の独立性という言葉は、すでに死語になっていて、忘れられた存在になっているのである。ここで述べたようなことを言い出せば、「些細な問題について何と大げさな」と言われるだろう。問題とすべきは、まさにこの点だ。
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この続きはは幻冬舎新書『日銀の限界』でお楽しみください。