
2022年の杉並区長選に迫ったドキュメンタリー「映画 〇月〇日、区長になる女。」は、2024年1月の公開から連日満員、全国50館の上映にまで広がりました。そして、このたび第79回毎日映画コンクールでドキュメンタリー映画賞を受賞。監督のペヤンヌマキさんはなぜ、選挙を撮る女になったのか?
候補者に会いに行く
「那須で殺生石を拝んできたら、運命の人に出会っちゃったんですよ!」
2024年5月2日、私は旧知の制作会社のプロデューサーに向かって、物凄いテンションで話していました。電撃結婚でもするのかと勘違いされそうですが、その運命の相手とは岸本聡子さんでした。杉並区長選挙の立候補予定者の。「岸本さとこ」と書いたビラを片手に握りしめ仁王立ちした私は、私の人生に起きた急展開を、選挙演説さながらに熱弁し出したのです。
選挙のせの字も人に話したことのない私にいったい何が起きたのか?
遡ること数ヶ月前。長年住んでいるアパートを立退かせる道路計画を何とか止めたい一心で杉並区政について調べていた私は、ある動画に辿りつきました。「住民思いの杉並区長をつくる会」の集会の動画でした。2時間近くあるその動画を私は食い入るように見ました。
住民が代わる代わるマイクを持って、杉並区政の問題点を話していました。杉並区には私が住んでいる阿佐ヶ谷のほか、西荻窪や高円寺にも都市計画道路という住宅街や商店街に大きな道路を通す計画がある、更に子供の居場所である児童館や、高齢者の憩いの場であるゆうゆう館という公民館を全部廃止する計画もあると。どのイシューにも共通すること、それは3期12年続いている現職の区長に住民の意見を聞く姿勢がないことでした。「決まったことだから変えられない」と(そもそも決まる前にも住民の意見は聞いていない)。そして、それぞれのイシューで活動をしている団体が、次の区長選挙で住民の声を聞く区長を誕生させようという思いで繋がって「住民思いの杉並区長をつくる会」ができたそうなのです。
20年以上も住んでいるのに、何にも知らなかった。自分のまちのことなのに。
いや、自分のまちという意識はこれまでありませんでした。大学進学で長崎から上京してきた私は、持ち家に住んでいるわけでもなく、子育てもしていないので地域の人との繋がりがありません。こんな活動をずっとしてきた人たちが、近くにいたなんて知りませんでした。そして4年前の区長選挙で自分が誰に投票したかも覚えていませんでした。たぶん選挙広報にざっと目を通しただけで誰に投票していいかわからず、今の生活にそんなに不自由していないし現職の人に入れるのが安心かなという思考回路で現職の区長に入れたような気がします。それくらい区政に無関心でした。政治に無関心でいることは本当に恐ろしいですね。
さて、その動画を見た時点で区長選挙まであと半年を切っていたのですが、なんと肝心の候補者がまだ決まっていないとのこと。やきもきしながら動向を伺いました。
区長選挙まで2ヶ月を切った頃、私は那須へ行きました。旅行好きの私は気分が滅入ると那須に住んでいる友達のところに遊びに行く習慣がありました。ちょうどパワースポットの殺生石が真っ二つに割れたという事件が起きた時でした。殺生石とは美女に化けた九尾の狐が封じ込められたとして那須岳の麓に600年以上も鎮座している石です。その石が真っ二つに割れたということで、一大事となっていたのですが、何かご利益がありそうということで拝みに行ってきました。そして那須から帰ってきた日の夜、SNSを見ると、「住民思いの杉並区長をつくる会」からの「私たちの候補者が岸本さとこさんに決まりました」という投稿が流れてきました。おお!ついに!!と身を乗り出しました。
岸本さとこさん。私と同世代の女性。肩書は「公共政策研究者」。
私は岸本さんのことを知りませんでした。公共政策研究者とは?ヨーロッパのNGOで世界中の市民運動をサポートしてきたとのこと。NGOって?NPOとの違いもよくわかっていませんでした。
(編集部注:NPOもNGOも社会問題を解決するための非営利団体だが、国際的に活動する団体をNGOと呼ぶ傾向に)
これまで私の身近にそういう職業の人がいませんでした。
とにかく会いに行ってみよう。
4月24日、候補予定者お披露目の区長選挙キックオフ集会があるとのことで、
雨の中、JR阿佐ヶ谷駅から徒歩7分の阿佐ヶ谷地域区民センターへ向かいました。
100名くらい入る集会室いっぱいに人が集まっていました。
私は前から2列目の席に座り、候補予定者の岸本さんを至近距離で見ました。
岸本さんは、私が勝手にイメージしていた「選挙に立候補する女性像」とはちょっと違いました。何というか、すごくハキハキとした大きな声で自分の苦労話や政策を訴える感じ、の人ではありませんでした。立候補するのは初めてで、つい先日までヨーロッパで暮らしていたとのこと。
「さとこの字は公の心を聴く子と書いて、聡子。私はこの名前を気に入っていて、これを自分のミッションだと思っています」
そうさらっと説明する岸本さん。聡子っていい名前だなと思いました。小学生の頃に仲がよかった友達のさっちゃんも聡子という名前でした。親近感が湧きました。ちなみに私はペヤンヌマキと名乗ってますが、本名は「まきこ」と言います。真に希望を持って生まれた子と書いて「真希子」です。小学生の頃は男子に「まきぐそ」と呼ばれたりしましたが、大人になった今は希望が持てるいい名前を親が付けてくれたなあと、けっこう気に入っています。岸本さんは、「岸本さんでなく聡子さんと呼んでほしい」と言っていたので、ここからは聡子さんと呼ぶことにします。
その日は、聡子さんと直接話すことはできなかったのですが、会が終わった後に「住民思いの杉並区長をつくる会」の代表の東本久子さんから、数日後に朝街宣があるから、手伝いに来てみない?と誘われました。
3日後の朝、私は早起きをして荻窪駅へと向かいました。選挙ボランティアデビューです。朝街宣でビラ配りを初めてやってみました。
聡子さんの横に立って、道ゆく人に向かって「おはようございます。岸本さとこです!」と連呼しながらひたすらビラを配ります。朝の出勤時間なので受け取る人はほとんどいません。露骨に嫌な顔をして避けて行く人もいます。聡子さんは初めての朝街宣とのことで、どこかぎこちない感じでした。街宣が終わった後、思いきって聡子さんに話しかけてみました。私はフリーランスの脚本家で、阿佐ヶ谷の都市計画道路予定地で暮らしていて…と今の生活が奪われるかもしれない、この先歳を取った時に住む場所がなくなってしまうかもしれない不安を伝えました。
そして翌日の朝、また街宣でビラ配りをしていたら今度は聡子さんのほうから声をかけてきました。
「昨日マキさんはフリーランスで仕事をしていると言ってたよね。それに感化されて一晩考えたんだけど、杉並区ってフリーランスの人って多いでしょ。フリーランサーが暮らしやすいまち杉並っていう政策はどうかな?」
一気に目の前が開けたような、光が差したような感覚がありました。
区長選挙の候補者に自分の生活の不安を話したら、翌日もう政策に取り入れようとしてくれている。自分が選挙や政治に参加していることをダイレクトに感じました。この時、聡子さんが区長になった杉並区に住みたいと強く思いました。俄然スイッチが入った瞬間でした。
その翌日も、私は朝街宣でビラ配りをしました。街宣が終わった後、「少し時間あるから二人でお茶しない?」と聡子さん。候補者と二人でお茶するというのも新鮮で、私のこれまでの人生にないことでした。私は投票日までの約1ヶ月半、仕事を全部休んでこの選挙のボランティアに専念することにしたと聡子さんに伝えました。私のできることは何でもする、と。聡子さんはこれまでの区長選挙の投票率がとても低いことを気にしていました。区長選挙があるということ自体知らない人がたくさんいる。まずはそこから何とかしたい。選挙に興味がない人にも投票してもらうにはどうしたらいいか?そんなことを二人でお茶しながら夢中で話して、私はすごくワクワクしていました。そして、「せっかくだから面白い選挙にしよう!」と聡子さんと意気投合したのでした。
その日私は夕方にポレポレ東中野へ大島新監督の「香川1区」を観に行く予定がありました。監督の前作「なぜ君は総理大臣になれないのか?」をネット配信で観て面白かったのでその続編に興味があったのでした。その日は大島監督の舞台挨拶もあるとのことで行こうと思ったのです。そのことを聡子さんに伝えると「私も観に行きたい!」と。夕方落ち合って一緒に観に行くことになりました。聡子さんの気さくなキャラクターがそうさせるのか、何だかその時点でもう昔からの友達のような気分になってました。
そして、聡子さんとポレポレ東中野で「香川1区」を観ました。
映画を観終えて、私の中である考えが確固たるものになりました。
それは朝に聡子さんと喫茶店で話した時から頭に浮かんでいたアイデアなのですが、聡子さんの候補者としての活動をドキュメンタリーとして撮影して発信するのがいいのではないかということ。
「香川1区」では「なぜ君は総理大臣になれないのか?」の評判で候補者の小川淳也さんの知名度が上がり、全国から応援に駆けつけてくる人が増え選挙が盛り上がっていました。映像の力を強く感じました。この時はまだ映画にしたいとまでは考えてはいませんでしたが、ただ短い動画をSNSにアップするのは投票率をあげるのに効果的かもと思ったのです。
私は、これまでの仕事で培ってきたことを総動員して自分にできることをやろうと決めました。初めての選挙ボランティアなのに、指示されたことだけをやるのではなく、自分にできることで選挙を盛り上げたいと思いました。それは聡子さんが人をやる気にさせる人だったからかもしれません。
そして、冒頭に書いたプロデューサーのところにビデオカメラを借りに行きました。そう、私はその時カメラも持っていなかったのです。
(第4回につづく)
○月○日、区長になる女。を撮る女。

2022年杉並区長選挙は、岸本聡子がわずか187票差で現職を破った。彼女と彼女を草の根で支えた住民たちに密着したドキュメンタリー『映画 ◯月◯日、区長になる女。』は全国から注目を集めロングラン上映が続いた。監督のペヤンヌマキはなぜカメラを持ったのか? 自らが綴るもうひとつのドキュメンタリー。