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占領期日本 三つの闇

2025.03.03 公開 ポスト

GHQが検閲した郵便は2億通 情報管理の裏に隠されたもう1つの目的は…斉藤勝久

1945年の終戦から1952年までの約7年間、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の支配下に置かれ、大きな変革を経験しました。この「占領期」の日本を克明に描いた幻冬舎新書『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』より、内容を抜粋してお届けします。

東京中央郵便局が検閲の最大の現場

東京駅前に立つ東京中央郵便局。今は超高層ビルとなったが、1931年に建築された旧庁舎の外観は創建時のものに復元されており、昭和の趣を残す。内部は1階から5階まで広大な吹き抜けに改装され、商業施設になっている。4階には復元された旧局長室があり、当時のレトロな雰囲気を漂わせている。

この東京中央郵便局こそ、日本で行われたGHQ検閲の最大の現場だった。はがきや手紙など郵便物が次々と開封され、日本人の検閲官が上司の米将校らが分かるよう翻訳して報告していたのである。

現在の東京中央郵便局

マッカーサー連合国軍最高司令官が率いるGHQで、検閲を扱う本部はG2(参謀第2部)。その下に民間諜報ちようほう局が置かれ、同局に属して、検閲を行うCCD(Civil Censorship Detachment=民間検閲局。民間検閲支隊とも訳される)があった。CCDには郵便、電信、電話の検閲を行う通信部門と、新聞、出版、映画、演劇、放送などの検閲を担当する「PPB部門」があった。

「CCDは秘密機関だったので、その活動は全占領期間を通じて非公然で、一般メディアに登場することはなかった。占領当初の職員は1000人に達しなかったが、英語が出来る日本人がどんどん採用され、47年のピーク時には8700人に膨れ上がり、その9割以上は日本人。職員数はGHQの他の部局よりも抜きんでて多かった。しかし、CCDは廃局と同時に関係文書などを廃棄して、日本からそっと姿を消した。だから、CCDが東京のど真ん中で検閲作業をしていたのに、日本人には何も分からなかった

こう語るのは検閲研究の第一人者で、米国でのGHQ資料調査や元検閲官のインタビューを行った山本武利・一橋大学、早稲田大学名誉教授である。専門は近代日本メディア史・インテリジェンス史で、NPO法人インテリジェンス研究所理事長を務め、著書に『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』『検閲官 発見されたGHQ名簿』などがある。

開封された郵便は2億通

GHQによる通信の検閲は終戦の翌月、つまり1945年9月から始まり、49年10月まで行われた。山本氏によると、その間、郵便は約2億通電報は1億3600万通が開封され、電話は約80万回が盗聴されたという。

CCDは全国を三つに区分し、第I 区が東日本・北海道、第II 区が関西・四国、第III 区は九州・中国としていた。郵便検閲の仕組みを見ておこう。指定された種類・量の郵便物が全国の郵便局から各CCD本部、支部に毎日集まってくる。GHQが要監視と判断した人物、組織名、住所などを載せたブラックリスト(正式名はウォッチ・リスト)が用意されており、該当するものは開封された。

それ以外の郵便物は、名前、住所などからウォッチ・リストと何らかの類似性があると判断されると開封の対象になった。それ以外のものは「検査済み」などの印が押され、一般郵便物として戻され、配達された。

手紙の開封は、封の下をハサミで切って行われた。問題なしと判断されると、ビニールテープを貼って封をし、「検閲によって開封」などのCCDの印が押され、配達された。このビニールテープは当時、日本では出回っていなかったので、珍しがられたという。また、速達や書留も多くが開封された。

 

作業は日本人検閲者が行うが、判別のつかないものは問題個所を英訳して、所属班の責任者に渡した。当初は班長の多くが日系2世だった(時間がたつと、日本人班長が増加)。米政府は戦時中、日本語能力のあるアメリカ人が極めて少なかったので、アメリカに忠誠を誓う日系人を強制収容所から解放し、再教育して軍隊に派遣していた。そうした日系2世がGHQにもいて、日本人職員と米軍人幹部らの間に立って働いていた。

CCDには、専門工作部という特別なチームがあった。本当に怪しい、あるいは重要な郵便と思われるものは、湯気を使って開封して中身を見た後、また元通りに封をして、配達された。相手に検閲していると気付かれないよう工作し、その後も情報を入手する特殊作戦が展開されていた

開封した郵便物で行われていた世論調査

「GHQの検閲の最大目標は、ウォッチ・リストに収録した大物の秘密インテリジェンスの摘発だった。また、GHQが憲法違反をしてまで大規模な検閲を行った主目的は、マッカーサーのための情報管理と世論操作だった」と山本氏は指摘する。

マッカーサー(カレッジパーク国立公文書館, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

GHQが中国で生物(細菌)兵器の研究・開発を行っていた旧日本陸軍731部隊の関係者をウォッチ・リストに載せ、郵便やそのほかの交信記録を検閲、追跡していたことは明らかになっている。

日本の世論動向の把握に努めていたGHQは、1946年9月から全国の郵便を集めて内容を分析し、独自の“世論調査”を行っていた。毎月、40万を超える膨大な手紙のサンプリング調査で、政府・議会・天皇制・共産主義・占領政策・占領軍などについて、賛成・反対など、日本人の本音を調べていた

「手紙、電話に至るまできめ細かいインテリジェンスのネットワークを全国に張りめぐらせていたマッカーサーは、地方へ行かず、住まいのアメリカ大使館公邸と、GHQがあった第一生命ビルを往復するだけで、被支配者である日本人の心情、思想さらに行動までも手に取るように把握することが出来た。彼にとって最も役立ったのは、郵便検閲による副産物、いや主産物であった世論調査であったと思われる」(山本氏)

マッカーサーは36歳だった1916年、米国の第一次世界大戦参戦を前にして、陸軍広報部の新聞検閲官を務めたことがある。これが、マスコミ報道の重要性を認識する機会となり、検閲の持つ力と恐ろしさを知る機会ともなった。

 

米国は「自由の国」と言われるが、戦時中や一大事が起きた時などに、自国民に対し検閲を行ってきた。41年12月、米国は日本軍に真珠湾攻撃を受けた直後から郵便、電信、ラジオなどの検閲を開始した。検閲制度を熟知したマッカーサーは日本占領に際し、どのように検閲を使い、日本支配に利用するか、すでに作戦を練っていたのである。

*   *   *

この続きは幻冬舎新書『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』でお楽しみください。

関連書籍

齊藤勝久『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』

言論の自由を保障する新憲法下の日本で、GHQは、郵便・新聞・放送に検閲を行い占領政策への批判を封じた。 GHQはさらに民主化の名のもと、職業軍人だけでなく、政治家、言論人、経済人ら21万人を公職から追放。 そんな中、復興利権をめぐりGHQ幹部も巻き込んだ贈収賄事件が起こり、内閣が倒れ、政治はますます混乱を極める――.日本人が敗戦国の屈辱と悲哀を味わわされた占領期。今も続く「対米従属」のルーツでありながら忘れ去られようとしている、日米関係の「不都合な7年間」を、克明に描き出す。。

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占領期日本 三つの闇

1945年の終戦から1952年までの約7年間、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の支配下に置かれ、大きな変革を経験しました。この「占領期」の日本を克明に描いた幻冬舎新書『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』より、内容を抜粋してお届けします。

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斉藤勝久

1951年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒業後、読売新聞社に入社。社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当。「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。医療部にも在籍。読売・日本テレビ文化センター横浜センター長。2016年からフリーに。ニッポンドットコムで18年に「スパイ・ゾルゲ」を連載。同年9月から皇室の「2回のお代替わりを見つめて」を15回にわたり連載。主に近現代史と皇室の取材・執筆を続けている。

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