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占領期日本 三つの闇

2025.03.06 公開 ポスト

戦後日本の言論を統制した10条の「プレス・コード」 あいまい条文で全ての「好ましくない記事」を禁止したGHQ斉藤勝久

1945年の終戦から1952年までの約7年間、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の支配下に置かれ、大きな変革を経験しました。この「占領期」の日本を克明に描いた幻冬舎新書『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』より、内容を抜粋してお届けします。

同盟通信社の解散、朝日新聞の発行停止

前述した通り、GHQの検閲を担当するCCDは、メディア専門の検閲組織PPB(プレス・映画・放送部門)を新設し、9月11日から活動を開始していた。GHQはこの日、東条英機元首相ら戦犯容疑者の逮捕を開始。そして、CCDは同14日、同盟通信社に対し日本メディアとして最初の全面業務停止の処分を下した。GHQが戦勝国としての振る舞いを始めたのである。同盟通信社は10月末、解散に追い込まれ、消滅した。

占領軍のジープ(1946年 長野重一, Public domain, via Wikimedia Commons)

GHQは次に朝日新聞に対し、同9月18日から48時間の発行停止を命じた。このため、2日間の新聞が休刊となる厳しい処分となった。問題になった記事は二つある。

第一は、フィリピンでの日本軍の暴虐(マニラ市民らを大量殺害、暴行)に関する米軍の発表について、日本国民の声を報じた記事(同17日付)。米軍は確実な出所があるとしているが、「ほとんどの日本人が、このような日本軍の暴虐は信じられないと言っている」などとした記事をCCDは問題視した。

第二は、鳩山一郎(後に首相)の「新党結成の構想」と題するインタビュー記事(同15日付)。鳩山の「[米国による]原子爆弾の使用や何の罪もない国民殺傷が、毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることは否定できない。できるだけ多くの米人に被災地の惨状を視察させ、彼らの行為に対する報償の念と復興の責任を自覚させること」などの記事が問題とされた。

CCDは同10日に、連合国への批判や、連合国と敗戦国日本との関係が対等であるかのような記述を慎むよう日本側に通告していたが、問題の記事はこの通告に違反したと判断されたのである。

日本の言論を拘束した「プレス・コード」

GHQは同19日、日本の新聞社、通信社、出版社の活字メディアが守るべき報道基準プレス・コード」を発令した。この後に放送分野のラジオ・コードなどが出るが内容はほぼ同じだ。10条から成るプレス・コードの規定が占領下の日本の言論を拘束していく。

主な条文は次の通り(英語原文の要約)。

1条 ニュースは厳格に事実に基づくこと

2条 公安を害する恐れのある記事を掲載してはならない

3条 連合国に関し、虚偽または破壊的批判をしてはならない

4条 連合国占領軍に対して破壊的批判を加え、占領軍への不信あるいは激しい怒りを招くような記事を掲載してはならない

5条 連合国軍隊の動静に関し、公式発表以外は発表、論議してはならない

6~10条 宣伝を目的とした報道記事の脚色の禁止など

プレス・コード(National Diet Library, Public domain, via Wikimedia Commons)

マッカーサーのGHQは、自分たちへの批判を敗戦国日本には許さないことを改めて宣言していることが、これらの条文から理解出来る。記者や新聞社を最も悩ませたのは2条の「公安を害する恐れのある記事」の解釈だった。GHQは自分たちにとって好ましくない記事は2条、あるいはいずれかの条項に該当するとして、掲載禁止とすることが出来るようになったのである。

GHQは翌年1月から、戦争協力などの「好ましくない人物」をパージする公職追放(第2章で詳述)を始めるが、追放該当者の規定でも「あいまいな」項目(G項「その他の軍国主義者や極端な超国家主義者」=軍国主義政権反対者を攻撃した者。言論、著作、行動により、好戦的国家主義や侵略の活発な主唱者たることを明らかにした一切の者)を作り、これで鳩山一郎、石橋湛山(後に首相)ら大物政治家を次々と追放した。

検閲でも追放でも、GHQがいかようにも判断して掲載禁止やパージが出来る条項を設けていたことに、GHQ占領政策の強引な共通点が見出せる。

天皇とマッカーサーの写真で発禁処分を出した「内閣情報局」も解散

話を戻すが、プレス・コード発令から数日後、GHQが、日本政府の国内メディアへの統制を禁止する指令を出した。そして、45年9月27日、歴史的な出来事があった。昭和天皇のマッカーサー訪問である。

翌28日の各紙朝刊は記事だけだったが、29日の新聞に、軽装のマッカーサーとモーニングの礼装姿の天皇が並んだ写真が掲載された。日本の敗戦を象徴する写真と言われた。「発表もの以外の掲載禁止」を新聞社に通達していた情報局が、この写真を掲載した朝日、毎日、読売などを新聞配布禁止とした。問題の写真は、各社が米国人記者グループから入手したものだった。

GHQはすでに日本側に、情報局が国内メディアを統制することを禁じていたため、今回の情報局による新聞発禁処分に激怒し、処分解除を日本政府に命じた。こうして、有名な写真を載せた新聞は、半日遅れで読者に配られた。存在意義をなくした情報局は翌10月1日、機能を停止して、同年末に解散する。日本の言論統制、検閲は完全にGHQの手に握られたのであった。

*   *   *

この続きは幻冬舎新書『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』でお楽しみください。

関連書籍

齊藤勝久『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』

言論の自由を保障する新憲法下の日本で、GHQは、郵便・新聞・放送に検閲を行い占領政策への批判を封じた。 GHQはさらに民主化の名のもと、職業軍人だけでなく、政治家、言論人、経済人ら21万人を公職から追放。 そんな中、復興利権をめぐりGHQ幹部も巻き込んだ贈収賄事件が起こり、内閣が倒れ、政治はますます混乱を極める――.日本人が敗戦国の屈辱と悲哀を味わわされた占領期。今も続く「対米従属」のルーツでありながら忘れ去られようとしている、日米関係の「不都合な7年間」を、克明に描き出す。。

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占領期日本 三つの闇

1945年の終戦から1952年までの約7年間、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の支配下に置かれ、大きな変革を経験しました。この「占領期」の日本を克明に描いた幻冬舎新書『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』より、内容を抜粋してお届けします。

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斉藤勝久

1951年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒業後、読売新聞社に入社。社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当。「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。医療部にも在籍。読売・日本テレビ文化センター横浜センター長。2016年からフリーに。ニッポンドットコムで18年に「スパイ・ゾルゲ」を連載。同年9月から皇室の「2回のお代替わりを見つめて」を15回にわたり連載。主に近現代史と皇室の取材・執筆を続けている。

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