
怒りっぽい人間だと自負しております。私は、それはそれはよく怒る。挨拶無視されたら怒るし、順番抜かされたら怒るし、すぐにイライラしてしまう。そういう自分の性格を、マジだるいな~もっと何も思わずに生きていこうぜって思っても、改善はなかなか難しい。だけど最近「あれ、もしかして私って本当は、怒りっぽいんじゃないかも」と思う出来事があった。
胸の奥をニードルで貫かれるみたいな、キリリとした悲しみを感じる言葉を食らった時のこと。でもその瞬間、私がまず感知したのは悲しみではなく怒りの方。私は最初、とっても怒っていた。「なんなんこいつ」って思いながら唇を噛んで家に帰って、数日経ってやっと悲しみの姿が見えた。あーなんだ。私、怒ってたんじゃなくて傷ついて悲しんでいたのねって、気づかなければ癒せない。
怒りってほんとは結構悲しみなのかもと思った二月のお話です。
残虐で鋭利な言葉は心に刺さり、なかなか抜けない。
思いもよらない角度から刺されることがある。「なんか危なそうだな」って人に対しては腹にジャンプ挟んで刺されないように気をつけられるけど、そうじゃない人間に対してはどうしても無防備。
安心している心に飛び込んでくる言葉はむちゃくちゃ鋭利だ。ご機嫌に過ごしていた柔らかい私の心に突然刺さった言葉はジンジン熱をもつ。「どうしてこんなこと言うんだろう」「何考えてんだろ」「想像力急に捨てた?」憤りが煮凝りして、固形になった感情にはすぐに「怒り」って名前がついた。この野郎この野郎って罵詈雑言がニコ動の弾幕みたいに心の中を右から左へ。だけど一向に、気持ちはおさまらなかった。
いつもなら、一通り怒ればスッキリするのに。寝て起きても、気持ちは澱んだままだった。言った本人はきっとすっかり忘れているであろう残虐な一言の波紋が止まらない。何をしようとしても、あの時、あの瞬間の景色を思い出してしまって、生まれて初めて「ブロックしようかな」などと思った。ガキかよ。

味の消えないガムなら是非とも、ウィリー・ウォンカ(※)に作ってほしい。噛んでるうちに、怒りが消える副作用がありゃ最高。だけどそんなもんはこの世にないから、徹底的に自分の気持ちと向き合うしかない。
紙の隅やスマホのメモ、あらゆるところに走り書いた。「信じられない」とか「もはや怖い」などと書いていくうちに「てか悲しい」って五文字が生まれて、おぅ? っと思う。悲しい……んですか? 「ショックだった」「嫌だった」「しんどかった」などがモチャモチャ続いて、最後に書いたのは「傷ついてしまった」。
一度書けばもうわかる。書いた言葉を目で見ると、自分の輪郭に触れたような気分になる。そうだ私は、とても傷ついてしまったのね。そんな事実、もっと簡単に辿り着けそうなものだけど、傷口を見るのって昔から勇気がいるものでしょう?
(※)編集部注/1964年にロアルド・ダール(英、1916-1990)が発表した児童小説『チョコレート工場の秘密』の登場人物。映画『チャーリーのチョコレート工場』(2005年、ティム・バートン監督)でジョニー・デップが演じて話題となった。
ちょっと勇気出して、ダチに言おう。マキロンがあなたを待ってる。
悲しみを怒りに置き換える、というか、怒りってことにすることは、自分を守るための一つの方法なのかもしれない。怒りはアドレナリンを生むし。怒ってる間は痛くない。傷口を見ないでいれば、怪我の具合を知らずに済むし。
私は今まで、そうやって自分を守って生きてきたんだなと知った。本当は傷ついていても、それより強い気持ちで拳を振り上げること。そうしている間は、血の滲んだ膝小僧を見なくて済むから。歩いているうちにかさぶたになるから。
だけどそれじゃあ、傷の治りは遅い。傷跡も残るかもしれない。だから、しんどくても傷口を見るべきなのだ。マキロンつけるその瞬間はピリリと新たに痛むけど、そのおかげで感染症も防げます。きっと治りも早くなります。だから、認めるべきなのだ。怒りで誤魔化さず「私は傷ついた」って事実を、直視した方がたぶん最終生きていける。
「傷ついた」って事実を認めた私は勇気を出して「この間人にこんなこと言われて~なんかとても傷ついちゃって~(笑)」と人に話してみた。慣れてないからきっとぎこちなかったと思う。傷ついた話とかされても困るよなと思って「テヘヘ」って照れ隠しもまぶしちゃったし。
だけど、話を聞いてくれた友達はすぐに「そんなやつぶっ飛ばせよ」と言ってくれた。「めっちゃムカつくな」とか「ありえない」って、私の代わりに怒ってくれた。
そっか。「傷ついた」って誰かに言うと、その誰かが怒ってくれるんだ。自分一人で傷つきから怒りまでこなさなくてもいいんだって、目の前で怒り続ける友達を見て気づく。この怒りこそがマキロン。あなたが私を消毒してくれている。ばっちいもんとはさよならだよって、丁寧に丁寧に吹きかけてくれる。ありがたさで胸がいっぱいになって、傷口の血は止まった。
傷ついたってことを誰かに話すのには少し勇気がいる。「そんなことで?」って思わせちゃうかなとか、話されても困るかなとか、心配なことはたくさんあるし、何より、話すために起きたことを振り返ることが辛い。それを実際声にすることも辛い。だけどその辛さの先には、マキロンが待っている。その誰かが良い友達なら、きっと代わりに怒ってくれたり、泣いてくれたりするから。誰かを通して語られる自分の気持ちで、やっと傷は癒えるのだ。
怒りが止まらない時には一度、それが本当に怒りなのかじっくり考えてみてほしい。もしかしたらそれ、悲しみかもよ? 怪我してるかもよ? なんにしたって友達に話してみよう。その友達が適切な処置をきっとしてくれるから。怪我した場所には行かないようにすればいい。
もうすぐ始まる新生活で嫌なことあったら、このことを思い出してね。

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キリ番踏んだら私のターン

相手にとって都合よく「大人」にされたり「子供」にされたりする、平成生まれでビミョーなお年頃のリアルを描くエッセイ。「ゆとり世代扱いづらい」って思っている年上世代も、「おばさん何言ってんの?」って世代も、刮目して読んでくれ!
※「キリ番」とは「キリのいい番号」のこと。ホームページの訪問者数をカウントする数が「1000」や「2222」など、キリのいい数字になった人はなにかコメントをするなどリアクションをしなければならないことが多かった(ex.「キリ番踏み逃げ禁止」)。いにしえのインターネット儀式が2000年くらいにはあったのである。
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