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 7、8年会っていない年下の知人に、連絡をしなければいけない用事があり、メールをした。滞りなく要件のやりとりがすんだ後、思い立って彼女を芝居に誘った。
 期限の迫った招待券を2枚いただき、誰と行こうか考えていたところだった。嗜好がわかれる観劇や映画は、とくに誘う相手が難しい。もし、それほど観劇の習慣がない人だったら、断りたい返事にも気を遣わせることにもなる。
 彼女は雑誌にテレビコラムの連載を持っていて、舞台出身の俳優にも詳しい。どんな劇団が好きかわからないが、声をかけたら乗るのではないかと思った。

 

 気持ちの良いふたつ返事で、「是非」となった。何年か前にその劇作家の演劇を観ていて、新作も気になっていたという。
 こういうものはタイミングなのだなと、実感する。
 「行きたい!」と思う瞬間が重なることが大事。「行ってもいいけど」「そんなに言うなら行ってみようか」というモチベーションだと、小さなアクシデントなどの捉え方が変わるのは、旅仲間と似ている。

 いざ約束をしてから、はたと困った。プライベートで、サシではご一緒したことがない。何度か大勢で会っただけだ。おまけに劇場は池袋で、私は土地勘がない。観劇後、食事をするとしたらどこがいいんだろう。酒を嗜むのは宴席で知っていたが、好きの度合いや好みまでは知らない。
 和食か洋食か。気楽な居酒屋か、気の利いたビストロか。そういえば、以前大勢で卓を囲んだ時、ビールをおいしそうに飲んでいたな。クラフトビールにしようか。池袋なら予約が必須だよな。劇場に近いクラフトビールの名店はあるか。いやその前に、フィッシュアンドチップスのような油っぽい料理は、胃にもたれるのでは。

 考えていくうちに、だんだん疲れてきた。

 知らない街。鑑賞後の時間はたっぷりある。これは、前回書いた「近くても旅と感じる三条件」のうちのふたつに当てはまる。だったら、残るひとつ「行き先未定」を、そのままやってみようと思った。
 彼女も、池袋は詳しくないという。知らないもの同士、知らない繁華街をそぞろ歩くのも楽しそうだ。大きな旅なら失敗したくないが、こんなショートトリップにも似た何時間かなら、笑い話で流せるだろう。

 東京芸術劇場の座席で待ち合わせ、久しぶりに再会した。観劇後は、とりあえず賑やかな方面へでも歩こうということにとなった。私は正直に告げた。
「気取った店より居酒屋が好きで」
「私もです! 吉田類さんの『酒場放浪記』なんて、かぶりつきで見てます」
「じゃあ、そんな店を探そう」

 なんとなく人の流れについていく。ひとつふたつ、路地を覗く。大きなビルの裏に、雑居ビル、質屋や金券ショップ、スナック、ガールズバー、小さなカラオケ店と続く。

「読んでないけど『池袋ウエストゲートパーク』の世界だねえ」
「ほんと、すごい数の人ですねえ」

 彼女は、各駅停車の駅のある静かな住宅地に住んでいる。私も最寄りは各停だ。出口が十も二十もある総合ターミナル駅ならではの雑踏を見る目は、やや異邦人である。

 彼女が思いつく。

「おじさんたちがたくさん入っていく店にしましょう!」
「それは間違いないね」

 私たちは、ある路地を遠くからじっと観察した。
 吉田類さんのような年齢の人たちが吸い込まれていく、3階建ての古い小さなビルがあった。
 店まで行き、そっとアルミの格子の引き戸から中を覗くと、カウンターにおじさんがずらり。<2階3階もご利用ください>の張り紙に、店名の看板には、メニュー名がぎっしり並ぶ。<きす天ぷら><さつま揚げ><にしん塩焼き><焼きそば>。
 たらやメカジキなど白身魚の天ぷらはいろいろあると思うが、きすのこだわりが気になるし、焼きそばのふり幅にメニューの豊富さを感じる。

 ゆるぎない直感で入ったその店は、想像を上回る居心地の良さだった。
 二階に通されると畳の小上がりがあり、壁は全て手書きのメニュー札で埋まっている。
 裏返したり書き換えたりができる手書き札というのは、季節の食材を扱っている証拠だ。冷凍で年中提供するなら、印刷でいい。そのとき市場で仕入れた旨い旬の恵みを大事にしているという店の基本姿勢がわかる。

 満席近い店内に、おかみさんのひときわ元気な返事が響き、活気にあふれていた。デパートやファッションビルがひしめく池袋で、ここだけ昭和の居酒屋にタイムスリップしたいみたいだ。勧められて頼んだまぐろのぶつの、活きがいい。きすの天ぷらは肉厚でやわらかく、「看板メニュー」に偽りなし。
 小さなテーブルを挟んで、何杯酌み交わしたことだろう。何年も会っていないとは思えないほど、話が弾んだ。おそらく、靴を脱いで上がるあのスタイルも良かった。心が緩み、裸になる。互いに愚痴や弱音、これからどんな仕事をしたいかなどという話も、次々ぽろりと口をついてこぼれ落ちた。

 偶然、隣のテーブルに、彼女がコラムに書いたことのある役者さんがいた。折を見て、すみませんが、と彼女が話しかけた。私たちと同じ芝居を観た後だとわかり、共通の話題で盛り上がった。

 旅は道連れ、ということわざがある。その昔、旅は命がけで難儀だった。しかし、道連れに恵まれると何かと安心で助けあえる。世を渡るのも、旅と同じように助け合い、情けをかけ合いながら行くことが大切という意味で使われる。
 かつては、気が合えば、「旅は道連れと申しますから」といって同行を申し出たり受け入れたりすることも多かった。
 劇場という目的地で同じものを観て、それをつまみに、ひとときの会話を楽しんだ池袋の半日は、そのことわざを体現するような体験になった。

 以来、たまに彼女に会うようになった。あのこたびがなかったら、そうならなかった気がしている。

<思い出の小窓>

(メニュー札が手書き、裏返し方式の店は旬の食材を大事にしている証。都内定食屋)

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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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