
子どもが小さい頃、毎年海外を長めに旅した。夫婦共に定休も有給もなしのフリーランスで、それだけが子どもたちにしてやれる唯一の贅沢だった。
とはいえ4人の移動は何をするにもお金がかかるので、1円でも安い方法を探す貧乏旅行に徹した。
その頃の癖が骨の髄まで沁みていて、今、友達とふたりで旅行するときも、「日祝前日に行こう」なんて言われると、それだけでひやひやしてしまう。行くならオフシーズン、曜日なら月火がいちばん安いから、もったいなく思ってしまうのだ。
まず、行き先は、飛行機も宿も安いアジアが中心だ。
行きたい国を決めたら、できるだけ鄙びた観光地を探す。日本でいう熱海のようなところが、どの国にもある。かつては栄えていたが、今は別の街に人気を取られてしまったとか、他のエリアの開発が進み、取り残されてしまったとか。今、熱海が静かな人気であるように、そういうエリアは、かつて高級なサービスを提供していた経験値が残っている。その上、鄙びてしまったけれど頑張ろう、お客さんに喜んでいただきまたきてもらおうという誠実なムードが全体にある。放っておいても人が集まるメインスポットではないからこその気概である。
バリ島では、サヌールという街に行った。検索すると、だいたい「昔ながらの」「のんびり」という形容詞がつく。「かつては人気のビーチリゾートで、日本でいう熱海のようなところである」というように。探すときは、旅行会社のスタッフブログを見ることが多い。仕事の合間に立ち寄る食堂など、プロならではのレア情報があるからだ。
サヌールというエリアは、ウブドや高級リゾート地ヌサドゥア、おしゃれなスミニャックの影に隠れて、少し鄙びている。ホテルの相場はグッと安くなり、プール付きヴィラにも手が届く。後にも先にも、専用プールとキッチンがついたホテルに家族で何日も泊まったのはサヌールだけである。
ベトナムでは、ファンティエットが思い出深い。
初めてかの地を旅した時分は、どれほど検索しても主要観光地以外の情報が少なく、熱海のような街がどこかわからなくて困った。
いつも格安航空券を個人で手配するので、私は購入する際に、メールではなくその旅行代理店に電話で相談をした。ベトナム担当のスタッフは、ダンディで落ち着いた年配の男性の声だった。長く安上がりに旅をしたい、名跡、立派なホテルでなくともよいというこちらの希望を伝えた上で、おもいきって尋ねる。
「あなたが仕事でベトナムに行くときはどこに泊まりますか」
彼は、ややとまどい気味に答えた。
「現地スタッフのいるホーチミンやハノイになりますね」
「では、プライベートでベトナムに行く時はどちらでしょう。ぜひ、そういう熟知された方が気に入っておられる場所に行ってみたいです」
逆の立場で考えた。自分も初めて日本に来た人には、六本木ヒルズや東京タワーやスカイツリーなど目立った観光スポットを案内する。反面、自分自身がほっこりしたいときはとっておきの場所に行く。格安旅行会社の人にも「自分のとっておき」があるはずだと思った。
少し沈黙した後、聞き返された。
「私はプライベートではただぼーっとのんびりしたいので、静かなところが多いです。街から離れてしまいますが、いいですか」
「そういうところがいいんです! できれば、住んでいる人の暮らしぶりが見えるようなところで、今はさびれてしまったけれど風景が美しいとか、開発から取り残されているようなエリアが希望です」
彼は弾むような声で饒舌に語り始めた。
「それならファンティエットです! 私は仕事でベトナムに行くときは、必ず延泊してその漁村に行くんです。ヌクマム(魚醤)の産地で、漁港として昔は栄えて、ムイネーというベトナムでは珍しい美しい砂丘もあります。白砂の砂丘から海が見えるんですよ」
今もお椀型のタライに乗って漁をする姿が見られるという。ホーチミンから車で南に5時間のため、海外旅行客で足を伸ばす人は少ない。最近は砂丘が知られてボチボチと高級ホテルが建ち始めているが、ビーチや自然がほぼ手付かずで残されている。国内のお金持ちが休暇に泊まりに来るエリアだったという。おお、まさに熱海。
その村ではちょっといいホテルを押さえたが、連泊してもホーチミンやハノイよりはるかに安い。
おかげで私たちは毎日ビーチで遊び、午後は散歩をして、お椀型の船体験、砂丘と気の向くまま、最高に楽しく過ごせた。ホテルのスタッフはのんびりしていて、幼い娘は好きなお兄さんができ、レストランでその人にばかりパンをお代わりする。帰るときは、皆で手を振ってくれ、娘は手紙をお兄さんに渡した。
人気観光地にはない人との距離感、ゆっくりした時間が流れていた。
わからなければその道のツウにきくのがいちばんだ。あの頃はどんなに調べても、ファンティエットは出てこなかった。
せっかく海外に行って、有名な街や観光地に行かないのももったいので、有名なエリアは、到着した日か帰国の前日に泊まる。ベトナムでは最終日にホーチミンに、バリ島では初日から三日間ウブドに滞在した。
ホーチミンは高層のアパートメント型ホテルで、窓を開けたら隣のビルだった。
「ここは一泊二日でちょうど良かったね」と夫や子どもたち話した。空港にも行きやすく、市場やナイトマーケットも二日間でちょうどいい感じに堪能できた。
一度だけアジア以外の地に、家族で旅行をした。スウェーデンである。やはりストックホルムは最終日の1泊だけにした。観光客がそぞろ歩く旧市街、マクドナルド、フォーエバー21、おしゃれなカフェにレストラン、バスでアウトレットにも行ったけれど、意外なことに子どもたちが先に飽きた。そのどれもが日本にもあるからだろうか。やむなく二日目は、息子の希望で急遽サッカー観戦をしにスタジアムに。阪神のように熱狂的ファンのいる地元チームだったようで、二日間で最もふだん着の市民を多く見た。
あとは南部のダーラナという緑深い地方を旅した。スーパーで買い物をし、地元の工芸学校を見学し、ブルーベリーを積み、野原を駆け巡る。予定のない旅の写真は、どれも背景が緑と青い空だった。
10日間、ときには北欧もあるなんて、ぜんぜん貧乏旅行じゃないと思われるかもしれない。けれども根っからケチな私は、大枚はたいて五泊六日の素敵なホテルに泊まる勇気がない。どうせ行くなら同じ予算で一日でも長く楽しみたいのである。だから郊外や寂れた街になってしまう。
節約根性は抜けず、先日夫とベトナムを再訪した際はふたりともマイルを使い、なおかつ中国の深圳空港では4時間の乗り換え便だった。
直行だと五時間で行けるルートを、わざわざ中国経由で行く人は私たちの他におらず、往路では、怪しまれたのか、ふたりとも深圳空港で別室に連れて行かれた。パスポートを持ってゆかれ、訳のわからぬまま二時間拘束の末、一〇本の指紋を取られ、ようやく解放。しかしまだ2時間も残っており、空港のショップを端から見て歩いた。書店で東野圭吾さんの中国語訳が一番いいところにずらりと平積みされていた。疲れすぎて羽田に着いてから家まで、一切会話がなかった。
節約旅行も、体力と相談する年齢になった。


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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。