1. Home
  2. 読書
  3. 書くこと読むこと
  4. 柚月裕子さん『逃亡者は北へ向かう』:いろ...

書くこと読むこと

2025.03.30 公開 ポスト

柚月裕子さん『逃亡者は北へ向かう』:いろんな立場の方がいたことは入れようと思いました。瀧井朝世

「書くこと読むこと」は、ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。

今回は、新作長篇『逃亡者は北へ向かう』を刊行された、柚月裕子さんにお話をおうかがいしました。

小説幻冬2025年4月号より転載)

 

*   *   *

柚月裕子:岩手県生まれ。2008年『臨床真理』で第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。著書に『検事の本懐』『孤狼の血』等。

柚月裕子さんの最新長篇『逃亡者は北へ向かう』は、震災の混乱の中で逃げる殺人犯と追う刑事、そして一人の父親の物語だ。自身も被災者である著者には、どのような思いがあったのか。

「デビュー後すぐ新潮社さんからご依頼をいただき、ぜひと話しているうちに震災が起きて。直後ではないのですが、震災後1年以内には、漠然と、自分は震災をベースにした作品を書かなければと思うようになりました。その段階で基本的なプロットはありました。ただ、原稿に取り掛かると必ず津波や地震の夢を見てしまい、辛くて止まってしまいました」

執筆再開のきっかけは、2019年1月だった。

「自分が生まれた街でもある岩手県釜石市を訪ねた時、振袖姿とスーツ姿の若い人が大勢いて、なにかと思ったら成人式でした。小6か中1の時に辛い思いをした子どもたちが、成長していま笑顔を見せている。すごく尊く感じました。それに引き換え私は何をやっているのか、ちゃんと書かないと駄目だ、と思ったんです」

物語の始まりは福島県さつき市。二十二歳の真柴はタチの悪い同僚のケンカに巻き込まれ勾留されていた。大地震が起き処分保留のまま釈放された彼は、誤って人を殺めてしまい、逃げだす。

真柴は家庭環境に恵まれず、不運に見舞われてきた。その結果が殺人かと思うと同情してしまう。

「以前、幼い女の子が餓死した事件があって。裁判官が“どうして一週間も食事を与えなかったのか”と母親に尋ねたところ、彼女は“私は1週間与えられなくても大丈夫だった”というようなことを言ったんです。それが頭に残っていました。いま起きた事件も、その遠因は過去に遡ったところにあるのでは、と感じます」

とある理由で岩手県を目指す真柴は道中、家族とはぐれた少年と出会う。一方、彼を追うさつき東署の刑事、陣内は自分の幼い娘が行方不明であるなか捜査に尽力。一緒に娘を捜してほしいと望む妻からは責められ続けている。

「陣内は冷静に自分がすべきことは何かを考えて動く人間です。ただ、彼の妻のように“そこに情はないのか”と考える人もいる。100人いれば100人のとらえ方がある、と思います」

3人目の視点人物は岩手県で被災して親と妻とを失い、行方不明の息子を捜し続ける漁師の村木だ。

「村木の視点は絶対に必要でした。真柴と陣内の視点だけだと事件に関心がいきがちです。でも震災をベースにして書くと決めた時、あの時期いろんな立場の方がいたことは入れようと思いました」

真柴と行動をともにする少年は、言葉を発しない。

「少年については、地上で右往左往する人間を俯瞰している、無垢な存在をイメージしていました。彼は真柴が何者であろうと、ただただそばにいる。それに支えられながら真柴は北へ向かうんです」

作中、東日本大震災という言葉は使われない。地名も県名以外はほぼ架空である。

「この小説には、読む人が読めば、“この人冷たいよね”という人物も登場します。でも具体的な誰かやどこかを名指しして何か言うつもりはないんです。それで具体的な地名は避けました」

彼らが訪れる場所には、さまざまな立場の人がおり、そこでは複雑な感情が絡まり合う。悲嘆にくれる避難所を後にした陣内が漏らす「自分で泣き止むしかない」という言葉が心に残ったと伝えると、「ああ、そんな台詞も書いたかもしれません」と柚月さん。特に意識して書いたのではないそうだ。

「常日頃から感じていることなので。今ご指摘いただいて、昔、ある先輩作家が“エッセイでは嘘がつけるけれど、小説では嘘がつけない”とおっしゃっていたことを思い出しました。やっぱり小説には、自分が考えていることが出るんですね(笑)」

他にも心に響く言葉がたくさんある。そして逃亡劇の結末は──。

好きな本の印象的なフレーズに選んだのは、小池真理子さんの『冬の伽藍』の最終ページ、〈悠子は今、義彦を見ている。義彦もまた、悠子を見ている。〉からラストに至るまで。

悠子は今、義彦を見ている。義彦もまた、悠子を見ている。

風にあおられるようにして、雪が二人の間で舞い乱れた。上り列車の発車ベルが止まった。扉が閉じられた。新幹線は東京に向かって、静かに動き始めた。

義彦が歩き出した。悠子もまた歩き出した。義彦の顔が、それとわからぬほどかすかに歪んだ。それは笑みのようにも見え、苦悩のようにも見えた。

ホームの上をすべるようにして風が吹き過ぎた。雪が二人を包みこんだ。二人のすぐ真後ろに、雪をかぶった離山が、その遥か彼方に浅間山が、しんと密かに、冬を湛えてそびえていた。

義彦が肩にかけていたリュックをホームに落とした。次の瞬間、悠子は義彦の腕の中に静かに、安心しきった様子で抱きとめられ、二人のシルエットはまもなく、溶け合い、固まってしまったかのように、降りしきる雪の中で動かなくなった。

――『冬の伽藍』小池真理子著(講談社文庫)より

「読み返すたびに打ちのめされています。あらすじを説明しても、この作品の本質は語れませんよね。風景描写と、その風景のなかで登場人物が喚起するものの描写が素晴らしくて。たとえばAがBを好きだという時に、その“好き”という感情の中に怒りや蔑みも含まれていることが伝わってくる。私は凍てつく寒さの中のシーンが好きなんですが、この最終ページはまさにそんなロケーションで、無音の中から情景が浮かび上がってくる。このような文章に強く惹かれます」

柚月裕子『逃亡者は北へ向かう』

東北で大地震が発生。混乱のなか、福島県で暮らす真柴は誤って人を殺してしまう。逃げ出した彼は、ある目的のために北へ向かう。彼を追う刑事、そして岩手県で行方不明の息子を捜す父親、それぞれが各地で出会う光景、そして人々の姿とは。

取材・文/瀧井朝世、撮影/米玉利朋子(G.P.FLAG)

{ この記事をシェアする }

書くこと読むこと

ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。小説幻冬での人気連載が、幻冬舎plusにも登場です。

バックナンバー

瀧井朝世

フリーライター。多くの雑誌などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。2009~13年にTBS系「王様のブランチ」ブックコーナーに出演。現在は同コーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)、『あの人とあの本の話』(小学館)、『ほんのよもやま話 作家対談集』(文藝春秋)など。

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP