
「健康診断結果は気にしない」「毎日の晩酌は欠かさない」「お金はためるより使う」……。ホリスティック医学の第一人者で現役医師の帯津良一先生が実践する、人生100年時代を楽しく健やかに老いるコツとは。新刊『ときめいて大往生』より、一部をお届けします。
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お金はときめきのために活かす
先述したとおり、私は幼少時、お小遣いをすぐに使い切っていました。大学生になってもそれは変わらず、アルバイトで稼いだお金は、酒と麻雀に消えていきました。
要するに、目の前のときめきを得るために、お金を使ってきました。
そんな私が、お金と引き換えに、最も大きなときめきをキャッチしたのは、1982年のこと。我が故郷・埼玉県川越市に自分で病院を建てたときです。
私は、自分が思い描く医療を提供するために、それまで勤めていた病院をやめることにしました。当時の役職は外科医長。あとは部長、副院長とのぼっていくので、世間一般ではエリートコースだったかもしれませんが、私はそういうものには興味がありませんでした。
しかし、開業を決意してみたものの、お金の管理は女房に任せていたので、貯金がいくらあるかもわかりません。女房に通帳を持ってきてもらうと、600万円ありました。「こんなにためたのか!」と驚きましたが、病院を開業するにはまったく足りないようでした。そのため、医療金融公庫といくつかの銀行からお金を借りて、なんとか開業しました。
その後、2004年には池袋のホテルメトロポリタンから、ホテル内にクリニックを作りたいと声をかけられ、二つ目のクリニックを開業しました。
そのおかげで、私のもとには大きな借金が生まれ、今も必死にそれを返しています。
しかし、それと引き換えに私は大きなときめきを得たのです。「一人でも多くの人に健康を取り戻してほしい」という思いで病院を作り、患者さんと共に明るい未来を目指すことで、日々、ときめきをキャッチしているのです。
野垂れ死にの覚悟があればラクになる
「お金がないのに大病を患ったらどうするのですか?」と聞かれることがあります。
私はこう答えます。
「そのときはそのときです」
言われた方は、顔をしかめます。「お金がないせいで治療を受けられずに死んでしまうかもしれないじゃないか」と、言いたげです。
たしかにそのとおりです。でも、お金があるからといって助かるものではないのも事実です。
以前、資産家の男性から「金はいくらでも払うから、先生、なんとか私を助けてください」と懇願されたことがありますが、残念ながらお金で命は買えません。運命の前では、金持ちもそうでない人もみな平等なのです。
だから私は、「そのときはそのときだ。なるようになる」と思っています。
それに、そのままあっちの世界へ行ってしまうのも悪くありません。
作家の五木寛之さんは、「野垂れ死にがいい」とおっしゃっています。
野垂れ死にというと、看護もされずにそのまま死んでしまう惨めな最期というイメージがありますが、五木さんはそこにむしろ自由な清々しさを感じるそうです。
五木さん曰く、あのブッダは典型的な野垂れ死にだったとのこと。
ブッダの最期は、貧しい鍛冶屋から供された食事を食べたのち、激しい腹痛に襲われ、よろめきながら旅を続けて、林に身を横たえて入滅したとされています。
なるほど、たしかにそれは野垂れ死にです。
しかし、ブッダの死に方は、決して哀れではありません。己の道を突き進み、全身全霊で生き切った素晴らしい最期と言えるのではないでしょうか。
少なくとも、ブッダ本人に悔いはないはずです。「布団の上であと1ヶ月長生きしたかった」なんて思っていないでしょう。
つまり、本人が、「これぞ我が生涯のラストシーン」と胸を張って死んでいければいいのです。
五木さんは、「野垂れ死にの覚悟があれば、もっと生き方の自由な幅や可能性が生まれる」とも言っています。
通帳の残高を気にしたり、大金を稼ぐために苦労したり、欲をかいたりすることなく、ただ一日一日を大切に生きていけるのではないかと言うのです。
私もまったく同感です。
野垂れ死にの覚悟があれば、大抵のことは受け入れることができます。
だから私は、貯金がなくても不安はないし、晩酌代を稼げれば充分幸せです。
いつどこで、どんな死に方をしても「我が人生に悔いなし」と、胸を張ってあの世に飛び立てます。
まぁ、もしも患者さんを診察しながら、見ている医者のほうが先に逝ってしまったら、患者さんはびっくりしてしまうかもしれませんが……。
ときめいて大往生

ホリスティック医学の第一人者が教えるごきげんに長生きする秘訣とは。新刊『ときめいて大往生』より、試し読み記事をお届けします。