永平寺で修行をつんだあと、現在、広島の禅寺で副住職を務め、精進料理のブログ「禅僧の台所」も人気の吉村昇洋さんが、書籍『心が疲れたらお粥を食べなさい』を刊行いたしました。禅的食生活の心得を説く本書から一部を抜粋してお届けします。(写真:中尾俊之)
己の行動のすべてが修行
私が修行をしていた頃の永平寺では、修行僧の約6割が、修行を開始した最初の1年の間に、食事を司る2つの典座寮で経験を積みます。この配役は、修行僧のとりまとめを行う指導役の僧侶が決めるので、自分の力ではどうにもなりません。
私などは、最初の転役で典座寮のひとつである大庫院に配属され、「やったー!!」と希望が叶って嬉しかったのを覚えていますが、配属された全員がそういった心境になるとは限りません。永平寺に来るまでは、包丁すら持ったことがない人などざらにいるわけですから、不安に感じるのも頷けます。
しかし、配属されてしまえば、慣れていようと不慣れであろうと関係なく、皆平等に同じ修行メニューが待っています。厨房の大掃除に始まり、大鍋から小鍋まですべての調理器具を磨き上げ、仏さまへお供えするお膳作りを通して基本的な味付けを習いつつ、徐々に修行僧の料理を作る役が回ってくるようになります。
修行生活全般に言えることですが、与えられた役割は、本人の好むと好まざるとにかかわらず、必ずやり遂げなければなりません。どんなに無理難題をふっかけられたとしても、実行に移す前から「できません」とは、口が裂けても言ってはならないのです。
あるとき私は、完成までに2~3時間はかかる特別なお膳を、事前に把握した数とプラスαの1食分余分に作っていました。そこに受処から「もうあと5人分、どうにかならないか?」という連絡が入りました。すでに作り終えようとしているところだったので、正直、私は「どうにもならない」と思いましたが、何と返答すればよいか分からず困惑していると、同期の仲間が何事かと近寄ってきたので、「ちょっと、聞いてくれよ!」と不満を交えつつ、事情を説明しました。
私はこのとき、彼らも一緒に憤慨してくれるのではないかと予測していたのです。ところが、事情を聞いた彼らは、予想に反して、「いっちょ、やりますか」と一斉に調理を手伝ってくれました。
私を襲ってきたのは、驚きと感動です。
“計算に合わないお題を遂行する”という選択肢が、自分の頭にはなかったのです。はじめから無理だと決めつけて、“そんなことはできるわけがない”という方向性でしかモノを見ることができなくなっていました。
しかし、結果を見れば、彼らの大車輪の活躍によって、大した遅れもなく無事に終わらせることができました。そして、その彼らのほとんどが典座寮に配属されて初めて包丁を握った人たちだったのです。
全く経験のない人でも、やらなければならない状況に置かれれば、逃げ出さない限り嫌でも経験値は上がっていきます。初めは煮物の味付けもろくにできなかった修行僧が、日々料理にたずさわるうちに、学生時代にほぼ毎日料理をしていた私なんかよりもよっぽど美味しく作るのを見て、ひどく驚いたこともあります。
「個人のセンス」と言ってしまえばそれまでですが、そこには自分の問題として取り組む姿勢、つまり己の修行としてひとつひとつのことを彼が行じていた証拠なのではないかと思います。
修行というのは、何も僧侶だけの専売特許ではありません。普段、一般的に雑用と呼ばれることであっても、己の向き合い方次第では修行になり得ます。
「修行」と言っても、いろんな立場がありますが、私は、いかに自分と向き合い、自分ではどうにもならない変化の渦の中でどのように気づきを得ていくかを問い続ける作業という修行観に立っていますので、己の一挙手一投足のすべてが修行になり得るのです。
そして、その意識が高まれば、自然と真剣に事を行うようになります。同時に、集中力も高まるので、放っておいても上手になるわけです。といっても、その過程では何度も失敗を繰り返すことでしょう。ところがここで、「嫌な思いをするから」といってその事実から逃げることをせず、失敗を成功への過程として受け止めて、それでもやり続けることができれば、徐々に洗練されていく道に乗っていけます。
料理に関しても、私の修行仲間の例を見るまでもなく、どんな人でも上手くなる可能性があります。「私は料理がヘタだから……」と、自信をあまりお持ちでない方もおられますが、それはあくまでも上手くなるまでの工程です。料理上手になる簡単な方法は、上手い人をじっくりと観察することですが、普段自分で作っていないとその差が分かりません。
いつも自分の前には、可能性が広がっていることに気づけるかどうかがカギなのです。