対談最終回は、家族以外の人とのつながり、社会とのつながりの話へ。そして目が離せない『蜃気楼家族』の今後についてうかがいました。そしてこの対談から数年たった今日、全国発売される最終巻『蜃気楼家族6』は、さて当時の予測通りになっているのでしょうか……。
(構成:幻冬舎plus編集部 撮影:植一浩)
人とはつながったり離れたり、いろいろあってちょうどいい
沖田 話はまったく変わりますが、ちょうど来週フランスに行くんです。
荻上 おおフランスへ。お仕事で?
沖田 いえ、ただの行き当たりばったりです。『蜃気楼家族』に出てくる看護婦のてるみんとは今でも友達で、彼女の趣味が海外旅行で、今まで何か国かいっしょに行ったんですけどアジアが中心。今回は彼女が有給が長く取れたから、「ヨーロッパに行きたい。じゃあ、パリで」と言われて。実は私、パリにまったく興味ないので、行く前にテンション上げてる状態です(笑)。
荻上 まあ旅行も、沖田さんのようなスタイルだと、仕事に直結しますもんね。ネタがそこで手に入ればと。
沖田 でも、最初にてるみんと行ったのはインドだったんですが、その時は帰ってこれなくなっちゃって。そのインド旅行以上のトラブルは、おそらくフランスに行ってもないかな。
荻上 インドから帰国できなかったのは、なんで?
沖田 金沢のインド人の友達がいて、その人がチケットを手配してくれたんですが、「往復取ったよ」と言ったのに、嘘ついて片道しか取ってなかったんです。仕方ないから、現地でチケットを手配して帰ればいいやと思ってたんですけど、大晦日で全然取れない。飛行機は行っちゃったし、てるみんは明日、看護婦の仕事があるのにどうしようとなって。とりあえず有給取ったんですけど、それからさらにフライトまで1週間ぐらい待ちました。
で、やっと飛んだと思ったら、今度はバードストライクでエンジンに鳥が入っちゃって、ボーン! デリーを出て1時間くらいしたら、Uターンして戻っちゃって(笑)。結局、さらに3日間向こうにいました。それでようやく帰国できたとき、そのインド人をムチャクチャ怒ったんですよ。ファジールっていうんですけど、彼に「いい加減にしろ!」と。「私、ファジールのことを信用してお金も払ったのに、なんでこういうことすんの?」と言ったら、そいつ自分が悪いくせにいきなり泣き出して「日本人の言葉、きついです」とか言って。「いや、おまえが悪いんだ」と(笑)。
荻上 あっはっは(笑)
沖田 「年上のくせに何、涙なんか流してるの!こっちが泣きたいよ」と。
荻上 そのお金は返してもらったんですか。
沖田 いや、「割り勘で」と彼が言うから。
荻上 わ、割り勘?
沖田 割り勘の意味がわかりませんけど(笑)。
荻上 全面的に向こうが悪いですけどね。
沖田 「喧嘩両成敗で」と言うから「全然、両成敗じゃないよ」なんてやりとりをして(笑)。ファジールとはそれっきりになってしまいました。
荻上 金の切れ目は、というか。
沖田 インドに行くまでは、めちゃいい人だったんです。
荻上 びっくりだわ。なんでそんなことをしちゃったんだろう。
沖田 インドの体質なんですかね。
荻上 わー、トラブルの解釈がザックリしすぎ。
沖田 「私、インド、大丈夫です。何でも知ってます」とファジールが言うので、「本当? じゃ、頼む」という軽いノリだったのに、そんなことになってしまって。まあ、でも、私たちもそのときインド人のことをよくわかってませんでしたし。金沢の病院に勤務していたとき、近くのカレー屋さんによく行っていたらファジールがいて、ちょっと仲良くなって。「ファジール、たまにはカレーじゃないところ行こうよ。何か行きたい店ある?」と聞いたら、「何でもいいです」と言うから、ステーキ専門店に連れて行ったことがありました。彼、ヒンズー教だから食べないんですよね(笑)。で、「どうしたの? 食べないの?」「いや、僕、牛、ダメなんで」「じゃ、なんで何でもいいと言ったんだ。ミックスベジタブル食えよ」とか。ウチらもけっこうひどい付き合いをしてたと思うんですけどね(笑)。
荻上 「異文化交流」の度合いが違う。でも『蜃気楼家族』を読んでいると、何だろう、×華さんはアスペルガーで漫画家で、といった括りで捉えられたり、ご本人もそう自己認識してたりもしますけど、絶対それだけじゃないですよね。てか、過剰なエピソードは、アスペルガー「だから」起きてるわけじゃない。
沖田 周りがおかし過ぎ。男の人と付き合ったときも、自分は真面目な女なんだなって思いました。それも大きな間違いなんですけど、でも私は別に犯罪も何もしてないし、借金もしたことないし、自分でちゃんとメシ食ってるし、親にもお金送ってるし。私、いい部類に入ってるはずなのに(笑)。
荻上 コメントしづらい。
「蜃気楼家族」はこれからどこへ……
荻上 そういえば、×華さんは看護婦のお仕事をされていたとき、周りには発達障害だと伝えていたんですか。
沖田 いや、まったく。説明できるスキルがなくて。何ができなくて困ってるのか、それをどうやって同僚にわかりやすく説明できるのかという知識も伝え方もわかりませんでした。目の前にはできなかったという結果しかない。その理由を考えていくうちに周りの状況は進んでしまうので、私が話す頃にはもう終わっちゃってる。自分の何が悪いのかもわからない。
それを唯一教えてくれたのが、さっき話した、てるみんです。同じ病棟の中で、「あのね、うちらは今、こういうことをして、×華にもやってほしいんだけど、なんでそれを今しないのかな」と具体例を教えてくれた人でもあるんです。
彼女の指示や指摘はすごく入ってくるのに、どうしてほかの同僚の話が入ってこないのか。それは今考えると、曖昧さというんですか、代名詞を使わない。「それ取って」「あの人呼んで」といった指示、そういうがわからないんです。みんなができるのに、私ができないのはおかしいというのがずっとあって、自分なりにメモ取ったりしてたけど、けっこうずれたやり方をしてましたね。そこからコミュニケーションがうまくいかなくなって、お局さんからしたら、指示通り動いてくれないのでドンくさい、となる。どんどん評価も下がり、同僚も冷たくなる。本当に大変でした。
荻上 よく発達障害は、「コミュニケーションの障害」といわれたりするけど、発達障害の研究者の人の中で、その定義に反対している人もいますね。コミュニケーションの障害というと、あたかも何をやってもコミュニケーションが取れないかのような定義になる。けどやり方を工夫すればいいのであって、取れないかのように言うのは違う。
加えて、そういう定義だと、当事者にしか原因がないかのように思われてしまう。コミュニケーションは必ず双方向で行われるものだから、互いがやり方を工夫すれればやりとりできるにもかかわらず、当事者の能力だけの問題にしてしまうと、それ自体が障害になる。
僕、『機関車トーマス』をよく見るんです。あれ、時々、機関車たちが全員、発達障害のようにも見えるんですよね。一度でも褒められると、それに過集中して周りが見えなくなって暴走しちゃう機関車たち。少しでも予定と違うことが起こるとパニックになる機関車たち。そこにトップハム・ハット卿が現れてきて、「トーマス、何やってるんだ」と叱る。「ごめんなさい、僕、てっきりナントカだと思って」と言って、そのあと名誉を挽回するために、「もう一回やってみます」とチャンレジする。今度は指示をちゃんと頭に入れてやるので褒められて、「トーマスは鼻が高くなった」「ゴードンは嬉しそうに汽笛を鳴らした」みたいに終わる。いつも思うんだけど、もうトーマスたちはそういう機関車たちなんだとすでにわかってるんだから、トップハム・ハット卿、お前らはもうちょっと適切な指示を出してあげろよと。
沖田 なるほど(笑)。
荻上 機関士も乗っているのに、機関車ばかり叱られて。機関士は何してんだよ、途中で注意しろよと。あれは雇用責任者のガバナンス不足ではないのかと。メモ書きとか渡してやれよと。『トーマス』って、子どもたちに聞かせる「教訓譚」じゃないですか。だいたいが「こうならないように周りの話を聞きましょう」「友達に配慮しましょう」という話の流れになってる。『トーマス』以外の子供向けアニメでも結構、暗黙に道徳の問題にしてしまう作りが多いですね。しかも、エピソードを挟むと記憶が継承されないから、同じようなミスばかりするので、見ていて時々辛くなります。不機嫌な職場じゃないけれども、労働者の道徳ばかりじゃなくて、トップハム・ハット卿のあの管理能力を問うべきだなと思いながら、いつも見てますね。
沖田 なるほど、なるほど。
荻上 最近は、×華さんはどうでしょう、就職していた時に比べてラクになりましたか。
沖田 そうだよねえ……うーん、生きやすいか……。漫画家になってから格段にストレスフリーにはなりました。
荻上 自営業だし。
沖田 自営業は素晴らしいですね。
荻上 「蜃気楼家族」は4巻が出たあともまだ連載が続いてますよね。
沖田 そうですね。どうやって終わるかというのを最近は考え始めていて。でもオチが見つからないんです。
荻上 エッセイ漫画の終わらせ方はどこかで唐突になりますよね。
沖田 誰かが亡くなったとか、たとえば、いちばんいいのがうちの親父が死ぬのが一番いいんですけど、あと10年はかかっちゃう(笑)。でも多分、4巻目以後とかは笑いとしては少し落ち着いていくような気もするんですけど。
荻上 話聞く限り、そんなことはなさそう。
沖田 描くことはいろいろあって。
荻上 映画にもなりそうですよね。
沖田 してもらいたいですけどね。絶対にうちの親族は誰も見にきませんね(笑)
荻上 でしょうねえ(笑)
(了)