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衰えません、死ぬまでは。

2025.04.28 公開 ポスト

第26話 死ぬまで新規事業 後半

若い頃の自分に言いたい。未来のおれを当てにするな。宮田珠己

奥歯がキーンとして痛くなったり、首にイボができたり、「老人化へまっしぐら!?」という体の異変とつき合う、宮田さんの日常…。

*   *   *

何の話してるんだっけ?

そう、年をとると気持ちが塞ぎがちという話だ。

若い頃想像していたのは、年をとると精神的にも何らかの成熟が起こり、年相応の心構えができて、平然と生き続けられるのだろうということだった。

 

実際世の中の老人はみな老いを受入れ、穏やかにすごしているように見えた。なので、人間は自然にそのように変化していくのだろうと思っていた。

しかし今になって気づいたのは、その穏やかさは、達観のせいではなく、体力の低下、つまり騒いだり慌てたりするのが面倒くさい、もしくは内心は穏やかでないが、それを外に出すほどのエネルギーがないせいという真実だった。

実際の内面は、若い頃からさっぱり成長していなかったのである。

(写真:宮田珠己)

年をとったらそのときはそのときだ、と若い頃は思っていた。根拠はないが、そのときの自分がなんとかするだろうと未来の自分を当てにしていた。老化に対応可能な自分になっているはずだと。

だが、若い頃の自分に言いたい。

未来のおれを当てにするな。

未来の自分は、当時の自分と同じだった。現実は、青年期の自分とほぼ変わらない心で、肉体の老化を迎え撃つことになるのだ。

還暦を迎えてみると、自分の精神は30歳頃の自分と何も変わらない。30歳なのに未来がみるみるやせ細って、え、もう終盤なの? という気分だ。まだ何も成し遂げていないというのに。

おかしい。30歳から還暦を過ぎるまで自分はいったい何をやっていたのか。少年時代に比べると、ほとんどたいしたイベントがなかった気がする。ひょっとして人生を無駄にしたのでは?

これである。今後面倒なことがいろいろやってくるのに加えて、この、人生を無駄にしたのでは? という問いが自分を苦しめる。でももう取り返すことはできない。気持ちが塞ぐのも当然だ。

一方で、そうは言っても、まだもう少し人生は残っている。マイナスの感情に支配されて生きるのはもったいない。

そんなわけで残り少なくなってきた未来をパッとさせるために筋トレをはじめ、運勢を好転させようと考えた私だったのだが、そうやって考えていくと、筋トレだけでは足りない気がしてきた。

健康寿命を伸ばし、運気を味方につけるだけでは足りない。未来への具体的な期待が必要だ。詭弁でなく、本当の意味での楽しみを設定しないといけない。

定年後は思い切り旅行しようという人は多い。これまで我慢してきたことをやろうと。それで旅行三昧の老後を楽しく思い描くことは可能だ。ただ残念ながら一生旅行し続けられるようなお金は自分にはない。お金はないし、実際のところ、旅行し続けることで、塞ぐ気持ちを払拭できるかどうか疑問もある。

(写真:宮田珠己)

無制限にあるわけではない貯えをちょっとずつ削って喜びを消費するような対処法は、貯えの減り具合が気になって、心の底からリラックスできない気がするし、旅行の楽しみ程度では、迫りくる終焉に対して目を逸らしきれないとも思う。結果としてその場しのぎで終わるのではないか。

たぶん本質はそういうところにはないのだ。

寿命に終わりがある以上、負け戦は確定しているのかもしれない。それでも私なりに、熟年以降の落ち込む気持ちを挽回する方法を考えてみたところ、いくつか思いつかなくもない。

そのひとつは、空想世界に遊ぶことである。

旅行もそれに似てはいるが、ずっと旅行ばかりしていられる予算はないので、映画やゲームに没頭する。現実を離れ、その世界に生きるのだ。思い返せば、これまでの人生、ゲームに対して禁欲的に生きてきた。ゲームしてるひまがあったら、現実に役立つ何かをしたほうがいい、とのめりこまないように注意深く暮らしてきた。

でももう将来に向けて自分を鍛錬しよう、何かを身につけようと思ってもその将来がないかもしれないのである。ならば今が楽しければそれでいいわけで、ずっと我慢してきたゲームに没入して、空想の世界の住人になってもいいだろう。いつかやってみたいと思いながら、手を付けないでいたゲームがたくさんある。それをやる。

ただ、この方法は、薬漬けと似たようなもので、現実に戻ったときに虚無感に襲われるかもしれない。

ほかに思いつくのは、誰かの役に立つことをする、という方法だ。

これまでやってきた仕事も、間接的に誰かの役に立っていたかもしれない。でもそれよりも直接目の前にいる人の役に立ちたい。介護の仕事などもそのひとつとは思うが、お金がもらえるなら役に立って当たり前と思ってしまうから、ボランティアだろうか。

よく小学校の近くの横断歩道などにおじいさんが黄色の旗を持って立っている。あれも案外やりがいがある行為なのかもしれない。

不思議なもので、年をとればとるほど小さな子どもがかわいく見えてくる。子どもからすれば、老人なんて目に入らない存在かもしれないが、それでもいい。子どもたちのために、縁の下で役に立ちたい。

これはいつかもっと衰えたときに考えてみてもいいアイデアだ。

(写真:宮田珠己)

さらに第三の方法として、新人になるというのを考えた。

新しい何かを今から始める。ゲームに没入するのとは違って、それで生計を立てるぐらいのつもりで人生の新規事業を始める。

60歳からピアノを始めて、コンサートを開いたりすることは可能だろうか。いきなりフィンランド語を始めて通訳になるのは?

何をやるにしても一筋縄ではいかないだろうが、何かが少しずつ上達していく快感は、いくら味わってもいいものだ。

できれば簡単すぎないものがいい。本気でそれで稼ぐつもりで難易度の高い何かに挑戦する。それが達成されたらきっと新しい世界が開ける。達成する前に死ぬ可能性も高いが、そうやって常に上を目指す気持ちは、空想の世界に遊んで気を紛らせる以上に死への不安を忘れさせるのではあるまいか。

というわけで私は、筋トレ+新規事業で、未来へ向かおうと思う。

さて何をしよう。

野菜作りでないことは確かだ。

(連載は「小説幻冬」でも掲載中です。次号もお楽しみに!)

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衰えません、死ぬまでは。

旅好きで世界中、日本中をてくてく歩いてきた還暦前の中年(もと陸上部!)が、老いを感じ、なんだか悶々。まじめに老化と向き合おうと一念発起。……したものの、自分でやろうと決めた筋トレも、始めてみれば愚痴ばかり。
怠け者作家が、老化にささやかな反抗を続ける日々を綴るエッセイ。

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宮田珠己

旅と石ころと変な生きものを愛し、いかに仕事をサボって楽しく過ごすかを追究している作家兼エッセイスト。その作風は、読めば仕事のやる気がゼロになると、働きたくない人たちの間で高く評価されている。著書は『ときどき意味もなくずんずん歩く』『ニッポン47都道府県 正直観光案内』『いい感じの石ころを拾いに』『四次元温泉日記』『だいたい四国八十八ヶ所』『のぞく図鑑 穴 気になるコレクション』『明日ロト7が私を救う』『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』など、ユルくて変な本ばかり多数。東洋奇譚をもとにした初の小説『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』で、新境地を開いた。

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