永平寺で修行をつんだあと、現在、広島の禅寺で副住職を務め、精進料理のブログ「禅僧の台所」も人気の吉村昇洋さんが、書籍『心が疲れたらお粥を食べなさい』を刊行いたしました。禅的食生活の心得を説く本書から一部を抜粋してお届けします。(写真:中尾俊之)
自由に美味しく食べる方法を考えてみる
料理をしていると、必ず生ゴミが出てきます。料理に使えない部分や食べ残し、長期間冷蔵庫に眠って忘れ去られ、いつの間にかカビが生えてしまったものなど。食べ残したりカビが生えてしまいそうなものは、作る量をコントロールしたり、冷蔵庫内の整理をしたりすることで、その量を減らすことができます。そして、料理に使えなかった部分に関しては、「本当に使えないのか?」という視点から改めて考えることで、生ゴミの量を減らすことができると感じています。
例えば野菜の皮。皮は実に比べて抗酸化作用が高く、種類によっては栄養価も高いことが研究で明らかになっていますが、実際は「残留農薬が気になって食べない」という方も多いのではないでしょうか。
私の体験ですが、主宰する精進料理教室などで、「剥いた野菜の皮は料理に使いましょう」と提案すると、「農薬は大丈夫なんですか?」と質問されることがよくあります。表面に散布された残留農薬は、国内産のものであれば国の規定で極めて微量に抑えられていますし、規定値以下の農薬を用いた野菜の皮を食べたことが原因で体調を崩したという話も聞きません。どうしても気になるのであれば、しっかりと水洗いするか茹でることで、大半は除去することができます。
というわけで、あなたの家庭で捨ててしまっている野菜の部位はないでしょうか。例えば、椎茸の石突きは、木質化したところを削いで炒め物に使えますし、キャベツやレタスの芯は、みじん切りにしてハンバーグや飛竜頭に入れると食感が変わって美味しいですし、大多数の方が捨てるピーマンの種周りのワタは、種を除けばお吸い物の浮き実なんかにも使えます。さらにこのワタ部分は種が白く柔らかければ、そのまま天ぷらにしても美味しいのですが、多くの方は「そこまでして食べようとは思わない」と言われます。ただ、私の口から言えることは、“美味しいので、食べてみてください”の一言だけです。
他には、大根やカブの皮や葉、ブロッコリーの茎など、有効活用できる部位は枚挙に遑がありませんが、このように使える部位はできるだけ美味しくいただくことが精進料理の精神です。
『典座教訓』に「一本の野菜を仏さまだと思って十分に活用し、大切に用いなさい」という内容の一文がありますが、どんな食材ともしっかりと向き合って、余すところなく使いきる、ということです。もしも「仏さま」という表現に抵抗があるなら、「尊いいのち」と読み替えてもよいでしょう。そういった認識を、禅寺の修行僧たちは徹底的に叩き込まれるため、洗米の最中にうっかり流れ出てしまった米一粒をも無駄にはしないといった道元禅師の重んじる姿勢が、自然と身についていくわけです。
また、一流レストランの賄い料理は、こういったお客さまには出せない端物を利用して作られると聞きます。賄いにコストはかけられないという経営上の事情もあるでしょうが、一般的には端物とされるものも、プロの料理人にとっては工夫のしどころで、下っ端の料理人の腕を見るには、賄い料理は良い機会になります。例えば、普通は剥いて捨ててしまう人参の皮などは、フレンチではだしを引くのに利用されると言います。
こういったことは一般家庭でも積極的に取り入れていきたいですし、どうやったら美味しく調理できるかと考えるきっかけにもなります。その中で、新たな発見や気づきもあることでしょう。
固定観念にとらわれることなく、自由な発想の中で、どうやったら美味しくなるか考えるのも、実際楽しい作業です。今まで捨ててきた部分に改めて注目し、まずは味見してみてください。すべては、そこから始まります。