9月下旬に発売された平井正修さんの『花のように、生きる。』が、じわりじわりと全国に広がっています。誰もが抱える「どう生きるか?」という悩みに対して、「花のように」という涼やかな指針を与えてくれた本書。では、花なような生き方とはどのようなものなのでしょう? 本書から一部抜粋してお届けします。
「看脚下」という禅語があります。それにまつわるエピソードとして知られているのが次の話。
中国宋代におおいに臨済宗の宗風をふるった五祖法演禅師ですが、禅師がある夜、三人の弟子たちと出先から寺に向かっていました。すると、突然、一陣の風が吹いてきて、灯火を消したのです。あたりは一面の闇となった。そこで、法演禅師は「灯りがなくなったいま、さあ、おまえたちどうするかいってみよ」と問うたのです。
二人の弟子がそれぞれにみずからの心境を示しました。そして最後に、圜悟克勤という弟子が「看脚下」と答えました。これがもっとも意に適い、禅師はこの弟子を絶賛した、と伝わっています。
看脚下とは「足元を見なさい」という意味です。灯りがないなかで闇夜を歩くには、まず、足元を見ることが大切。それが、なすべきことの第一です。
闇夜は心の闇、絶望の淵にも通じます。そんな場面に立つことがあったら、足元を見ることです。狼狽えて、あれこれ考えたり、動いたりするより、じっと自分が立っているところをたしかめる。そして、なすべきことをするのがいい。
腹が減っていたら飯を食えばいいし、眠たかったら眠ればいいのです。何を悠長なことをいっている、と思うかもしれませんが、闇に包まれているのは心だけ、絶望しているのは心だけなのです。身体は絶望などしません。
腹が満たされたら、眠りが足りたら、つまり、身体に十分なエネルギーが注ぎ込まれたら、次になすべきことも見えてきます。闇を振り払う手立て、絶望から抜け出る方策が、必ず、見つかるものです。
心にわだかまりや不安があって、飯ものどを通らない、夜も眠れない、などといいますが、何があろうと、腹は減るし、眠くもなる。だったら、そこから手をつけていくことです。足元を見るとは、きっとそういうことだ、と思います。
<読者からの感想>
「心の栄養剤となる本です」
「どれも心に残る教えでしたが、特に気に入ったのは、次の項目です」
〇生きることが生きる目的です。求めすぎるのをやめなさい。
〇孤独と向き合い、自分を律していく厳しさを持つことです。
〇そもそも、苦しい事、思い通りにならないことばかりあるのが世の中です。
〇心にも掃除が必要です。
〇まず、動きなさい。
〇どんな失敗も「実を結んでいる」のです。
〇「心配」と「心配り」は違います。
「子供たちもみな独立した今、自分の人生を振り返り、新たに踏み出すにあたり、これからの人生の羅針盤として読ませていただきました。梅のように実を結べる日が来る時を信じて、暮らしていきたいです」