ロザンの菅広文さんが書いた『京大芸人式日本史』 の進撃が止まりません! 受験生はもちろん、「日本史を学び直したい」と思っている大人の読者からも、「面白かった!」「日本史の流れがわかった!」との 声が届いています。続々重版を記念して、本書から一部抜粋してお届けします! まだ読んでいない人のために、ちょこっと公開。まずは、とにかく読んでみて ください!
とりあえず、弥生時代の有名な遺跡である静岡県の登呂遺跡付近に行くことにした。
登呂遺跡よりも大きい佐賀県の吉野ヶ里遺跡が発見されるまでは、日本一有名だった環濠集落だ。
環濠集落とは、敵から身を守るために堀や柵を造って村の周辺を囲った集落のことだ。
可哀そうな登呂遺跡さん。もう少し大きければ、ずっと有名でいられたのに。
タイムマシーンを降りてから辺りを歩いてみると、縄文時代には無かった建物がいくつも建っていた。
高床式倉庫(風通しを良くするために出来るだけ高いところに造った倉庫)と呼ばれる、穀物(食べ物)などを蓄えておく建物だった。
僕は辺りを見渡し、穀物をめちゃくちゃ蓄えている高床式倉庫を探すことにした。
さっそく、穀物がはみ出している高床式倉庫を見つけた。
火にかける前のもつ鍋ぐらいのボリュームがあった。
その横の田んぼで、黙々と耕している男に話しかけた。男は、先に鉄のついた道具を使っていた。
「すみません」
縄文時代の男とは違い、警戒心丸出しの顔で、男は僕を見た。
「あなたが、土器に縄で模様をつけるのをやめようと言いだした方ですよね?」
返事をすることもなく、男はまた田んぼを耕し始めた。
僕は質問を繰り返した。どうしても理由が聞きたかったからだ。
「どうして、縄で模様をつけるのをやめたんですか?」
男は質問には答えず、黙々と田んぼを耕していた。
残念だったが、僕は男としゃべることを諦め、他の人に話を聞くことにした。
辺りを見渡すと、穀物を少しも蓄えていない高床式倉庫を見つけた。
食べ終えたあとのもつ鍋の状態だった。もつどころか、もやし1つ残っていなかった。
その横の田んぼでは、鉄のついていない、木だけで出来た道具で、耕している男を見つけた。着ている服も、さっきの男とは違い、ボロボロだった。
僕は思った。
《可哀そうに。一生懸命田んぼを耕しているのは、さっきの男と変わらないのに、こんなに差が出るのか? この時代から、穫れる穀物の量によって貧富の差が生まれたって習ったけど、ほんの少しの場所の違いしかないのに》
僕に出来ることがあれば手伝おうと思い、男の田んぼに近づいた。
田んぼに近づいて、初めて分かったことがあった。
その男は田んぼを耕すのが、めちゃめちゃ下手だった。今まで1回も田んぼを耕したことのない僕が見ても、めちゃめちゃ下手だった。
手と足の動きがバラバラだった。
木の反対側(とがってない方)で耕そうとしていた。
田んぼがぐちゃぐちゃになっていた。
田んぼのカエルを追いかけるだけの男だった。
しかもカエルを捕まえることの出来ない男だった。
僕は思った。
《場所関係ないやーん! あんたの実力や──ん!》
稲作によって貧富の差が生まれたと習ったが、現代と同じように、《頑張る人》と《頑張らない人》がいたのも事実のようだった。
僕は男に話しかけた。
「すみません。あの人が土器に縄で模様をつけるのをやめようと言ったのですよね?」
火にかける前のもつ鍋男を指さして質問すると、その男は僕に言った。
「え? 土器に模様って、ついてなかったっけ? 土器自体を最近見てないから分からんなあ。ていうか土器ってなんでしたか? 美味しいですか?」
僕には見えた。
これからも貧富の差が広がっていくのが。