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他人を許せない人たち ~不寛容という病~

2015.01.23 公開 ポスト

第1回

世界が小さくなり、僕らは過激になっている岩波明(精神科医)

SNSがぼくらにもたらした成果

今、世界は確実に「小さく」なっている。さらに、すべての人において個人の秘密を保つことが難しくなっている。それに伴って、他人を許せない人たちや、バッシングしないではいられない人たちの動きが騒々しい。

 大雑把な図式を言えば、「唾棄」すべき「悪人」が発見されたとき、マスコミとネット社会は先陣を競うようにして、バッシングを開始する。いったんその流れが定まってしまうと、一般の人々はよく理解しないままに追随し、さらに大きな「世の中の声」を作るようになるわけだ。

 いうまでもないが、これは、インターネットとSNSの普及による「成果」である。新しいデバイスを得たことで、ぼくらは容易に他人の弱みにアクセスして、それに付け込むことができるようになった。

 さらに言えば、ネットの匿名性が、ぼくらの過激さを助長する。ひきこもりでも、ニートでも、ブラック企業の社員でも、だれであろうと、多少の文章のレトリックと他人をふみにじる傲慢さを備えていれば、一瞬のことではあるが、この世界の「王」のように振る舞うことができる(しかし、この匿名性も実は仮のものであり、あらゆる情報はサーバーに管理されていることを知っておく必要がある)。

 ここではまず、あるTVドラマのシーンを例としてあげてみよう。最近のアメリカの人気テレビドラマに、『ハウス・オブ・カード』という作品がある。

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他人を許せない人たち ~不寛容という病~

記憶に新しい、STAP細胞騒動、ゴーストライター騒動、号泣議員。「悪人」というレッテルを貼られた途端に、彼らはマスコミとネット住人たちによってバッシングされ始める。やがて一般の人々もそれに追随し、あたかも「全国民の声」であるかのごとくバッシングが「正義の常識」として広まっていく。
――これは、今や当たり前の風景だ。罪は罪であり、負うべき責任は負うべきであるが、実のところは“よく知らない人たち”によって、バッシングの波、正義という名の偏った見方が、伝播していっている。この現象は、異常としか言いようがない。
精神科医・岩波明氏が、現代人の心に潜む「狂気」を斬る。

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岩波明 精神科医

1959年神奈川県生まれ。東京大学医学部医学科卒。 精神科医、医学博士。 発達障害の臨床、精神疾患の認知機能の研究などに従事。都立松沢病院、東大病院精神科などを経て、2012年より昭和大学医学部精神医学講座主任教授、2015年より昭和大学附属烏山病院長を兼務。著書に『狂気という隣人』『精神科医が狂気をつくる』『大人のADHD』『発達障害』『発達障害という才能』ほか多数。

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