日本人人質事件で、ついに犠牲者が出たと報じられました。後藤さんが無事で解放されることを心よりお祈りします。
いまいったい何が起きているのか。連日ニュースに釘付けの人が多いことと思います。現状を正しく理解するためには、一歩引いた視線で、今回の事件を歴史の流れに位置づけてみることも大切です。
そもそもなぜ中東情勢は複雑で、戦争や紛争が多発するのか。その理由のひとつがパレスチナ問題、さらにもうひとつは、約100年前の「オスマン帝国」の滅亡にあります。そこから見えてくるイスラム国の「野望」とは……。
幻冬舎新書新刊『イスラム国の野望』(高橋和夫著)のなかから、発売に先がけて、一部を公開します。
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イスラム国は、「イラクとシリアのイスラム国」というもともとの名前からもわかるように、まずは両国を手に入れたいと思っています。そして、現在の名前からすると、もっと妄想が広がって、イスラム世界すべてを支配したいと考えているでしょう。バグダディも名実ともにカリフになりたいと、本気で思っているはずです。
拠点がイラクとシリアになったのは、たまたまイラクで活動を始め、シリアで成長して帰ってきたからです。もともとその辺りはオスマン帝国の一部だったわけですから、どこに拠点を置いてもさしたる違いはありません。東京か埼玉かくらいのものです。
かなり以前の話になりますが、実際に現地を訪ねたとき、レバノンの首都ベイルートからシリアの首都ダマスカスまで、タクシーで50ドルくらいでした。タクシーで5000円〜6000円の距離と考えれば、中東の国どうしがいかに近いかイメージできると思います。朝食はバグダード(イラク)で、昼食はダマスカス(シリア南部)で、夕食はアレッポ(シリア北部)でも、まったくおかしくない距離にあるのです。
「こんなに狭い土地に小さな国をたくさん作ってどうするんだ」というのが、現地のリアルな感覚ではないでしょうか。実際、昔はひとつの国だったわけですから、その言い分には一理あります。
私たちは世界地図を見るとどうしても国境線に目が行きますが、実際にその地域に生活する人たちには、国境線で国を分けることの必然性は、あまり感じられないものです。
イスラム圏の人々が、イスラム世界を統一し、欧米の干渉を受けない、古き良きイスラム国家を樹立したいと願うのは決して不自然な感情ではありません。サダム・フセインが率いたバアス党やエジプトのナセル大統領もアラブ統一の看板を掲げました。これはアラブ人の悲願とも言えます。
第一次世界大戦の敗戦で、オスマン帝国が分割されたのは、わずか100年ほど前のことです。いま活動している過激派の祖父、曽祖父くらいの時代まではまだひとつの国だったのに、欧米諸国がそれを破壊したという怨嗟(えんさ)がいまだに残っています。
これは当たり前のことで、日本で考えても、会津藩(福島県の一部)の人たちはいまだに長州藩(山口県)によい感情を持っていないといいます。1868年に勃発した戊辰(ぼしん)戦争で朝敵とされ、同藩を中心とした新政府軍に徹底的に郷土を壊されたと思っているからです。1986年、長州藩の藩府だった萩市が会津若松市に対して、「もう120年も経ったので」と会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れました。しかし、会津若松市側は
「まだ120年しか経っていない」と拒絶しています。
イスラム国は、サイクス・ピコ協定の破棄を主張のひとつに掲げています。サイクス・ピコ協定とは、1916年にイギリス、フランスとロシアがオスマン帝国の領土分割を取り決めた秘密協定です。イスラム国のメンバーが「オスマン帝国の分割からまだ100年も経っていない」と考え、イギリス・フランスが基礎を作った体制に牙をむき、イスラム世界の統一を願うのは、けっして荒唐無稽なことでも誇大妄想でもありません。
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*中東問題の第一人者・高橋和夫先生が複雑な中東情勢を徹底的にわかりやすく解きほぐし、「イスラム国」の正体に迫った『イスラム国の野望』(幻冬舎新書)は1月30日発売です。