「ホワイトカラー・エグゼンプション」という言葉を聞いたことがありますか? 一定の条件を満たす人を労働時間の規制からエグゼンプション(除外)するということです。
現在は、管理職を除く労働者について、1日8時間・1週40時間を超えて働いた場合には残業代を支払わなければいけないという規制(労働基準法)があるわけですが、それを職種(たとえば金融ディーラーやSE)や年収(たとえば年収1075万円以上)など、一定の条件を満たす人については取っ払っちゃう、つまり、どんなに長時間働いても残業代は払いません、ということです。
現在これを主眼とする労働基準法の改正案が、厚生労働省の審議会で審議されています。厚労省などは、ホワイトカラー・エグゼンプションを「脱時間給制度」と呼んで、社員の生産性・専門性を高め、多様な働き方を認める社会への第一歩、などと考えているようです。でも、ホワイトカラー・エグゼンプションには「残業代ゼロ法案」という悪名も。
神戸学院大学教授・中野雅至先生は、『日本資本主義の正体』で、どんなに働いてもあなたの給料が増えないのは、労働者は搾取されているからだと断じています(本連載第1回)。そして中野先生によれば、搾取の最も典型的なものは「サービス残業」。「サービス残業」は、中野先生が挙げる、日本資本主義の三大矛盾の一つでもあります。
そこで、今後ますます議論がホットになるだろう「ホワイトカラー・エグゼンプション」問題の予習として、「サービス残業」がなぜ問題なのかについて、知っておきましょう。
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給料が増えないのはなぜか? その理由を、現代資本主義の最大の三つの要因として説明していきます。
要因① サービス残業
最もわかりやすいのは賃金不払いのサービス残業です。本来は支払うべき残業代を支払わない。これほどわかりやすい搾取はありません。
こんなわかりやすい搾取がバブル崩壊後の20年間は非常に露骨な形で起こりました。もっともひどいケースは過労死です。すき家の1ヶ月500時間労働もそうです。1ヶ月=30日で土日休むことなく働くとしても、500÷30で1日平均で17時間近く働くことになります。労働基準法を遵守すれば1日8時間・1週40時間労働ですから、1ヶ月の労働時間は160時間です。残業代が支払われるのであれば、給料は3倍以上の額になります。これは、3倍以上搾取されているということを意味します。
「勤労は美徳だ」「働くことでスキルを身につけるのだ」と言っている場合ではありません。サービス残業は搾取の最もわかりやすい形です。その意味では、給料が増えないのは人災です。景気が悪いからといった偶発的な理由ではありません。
なぜ、こういう露骨な搾取が起こるかと言えば、サービス産業化が進んだことが大きな要因です。
製造業の工場労働と違って、サービス労働やホワイトカラー労働は時間の区切りが難しいため、どうしても労働時間は長くなります。
それに加えて、サービス産業は労働の成果物もはっきりせず、どこまでやれば給料分に見合うのかなど目安がありません。そのため、強欲な資本家はどこまでも要求してきます。労働者も「怠け者」「給料泥棒」と言われるのが怖くて、極限まで自分を追い詰めようとします。
こういう状況をよく理解する必要があります。「努力が足りない」「もっとポジティブになれ」という言葉に騙されてはいけません。努力や成果は人それぞれ。全くの怠け者は別ですが、人並みにがんばっているのであれば何も気にすることはない。
要因② 経済成長率の低下
その一方で、すべての資本家が労働者からむしり取ってやろうと考えているわけではありません。良心的な資本家は一杯います。また、名ばかり資本家の中小零細企業の社長の生活は本当に苦しいのです。大昔と違って、簡単に資本家と労働者に分類できない複雑な時代になっています。
こういう複雑さが念頭にあって、資本主義の構造を知りたいというニーズは高まってきています。「自分の生活が苦しいのは自分のせいではなく、構造的なものではないか」と疑っている人が増えているからです。
景気循環であるとすれば、あまりにも底が長いと一般庶民は感じているのです。エコノミストは景気が回復しているとか、株価が上がったとか、数ヶ月毎にあたかも経済情勢が変化しているように言いますが、1990年代の長期不況に入ってから、日本は経済成長していません。
20年間の経済成長率からは、ほとんど経済成長をしていないことが見てとれます。配分できるパイ自体が少なくなっているわけですから、給料が増えないのは当たり前です。それに伴い、国民全員の生活レベルが落ちていく。
経済成長率は伸びていないのに、仕事は尽きずサービス残業の毎日。この二つの矛盾した状況が同時並行で進んでいることを、どんな人でも自覚しているわけです。「もっと努力しろ」「もっとモチベーションを保て」と言われて、黙々と毎日がんばっているが、何も状況が変化しない。何かがおかしいという皮膚感覚があるわけです。
要因③ 格差社会
ただし、搾取されているんじゃないか……という疑念や恨みがどこかで根深く残っているのは、現代が格差社会と言われるほど貧富の格差が拡大しているからです。なぜこのような格差社会になったのかというと、グローバル化やIT化、自由競争の激化など様々な要因があって格差は発生したと言われます。
サービス残業をやらせる社長が儲けているかどうかはともかくとして、ソフトバンクの孫正義、ユニクロの柳井正氏、楽天の三木谷浩史氏など大富豪が誕生している一方で、国民健康保険料を支払えず医療を受けられない、生活保護に頼らざるを得ないという貧困層が増えている。「資本主義は行き詰まっているというが、現実に儲けている人がいるじゃないか?」と考えると、自分が搾取された分が誰かの懐に入っているのでは、という疑念が生じるのはやむを得ません。
ちなみに、資本主義システム自体がどうも行き詰まりを迎えているのではないか、というのはここ最近のホットなトピックです。また、ごく少数の富裕層にどんどん富が集中しているのではないかというのは、フランスの経済学者トマ・ピケティの大著『Le capital au XXIe siècle』の英訳『Capital in Twenty-First Century』(21世紀の資本論)が大きな話題になっていることからもわかります。
ものすごい大著であるにもかかわらず、米国で発売されるや、米アマゾンで売上ランキングのトップに躍り出て、米欧の言論界の話題をさらっています。このような大著がここまで注目を浴びること自体、いかに格差問題についての関心が高まっているかを示しています。
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次回のテーマは「経済成長」に対する日本人の意識についてお送りします。第3回 日本人は「景気教」「経済成長教」から抜け出せるか? はこちらから。