人は必ず死ぬのに、なぜ苦しんでまで生きるのか? 救急医療の第一線で多くの命と向き合ってきた著者によるエッセイ『見守られて生きる』が、3/10(火)に発売。連載第2回は、科学万能主義の現代において、私たちの体にすりこまれてしまっている「意識の壁」について言及します(全5回)。
魂についてのお話は前回の通りですが、私たち人間という存在は「霊・心・体」の三つのバランスで構成されています。ここでいうところの霊とは「たま」であり、これを魂と簡単に理解していただいても構いません。
こういう話はピンと来る人もいれば、いつまで話してもわからない人までさまざまですから、私自身は論争を仕掛けるつもりも受けるつもりもありません。自分が実感していることを述べるだけです。
それでも申しあげたいこと、それは霊(魂)・心・体という構造があるとかないとかいうレベルの議論を、そろそろやめたほうが良いということです。
科学万能主義である現在の世界では、そんなものがあるわけないという意見が大半を占めています。しかし今の科学で証明できないものを、ないと主張する行為はいかがなものでしょうか。
長年すり込まれた「意識の壁」を乗り越える時期に、私たちはそろそろ差し掛かっているのではないでしょうか。
私たちは皆「分け御霊(みたま)」という存在であり、元はたった一つです。
分魂(ぶんこん)とも呼ばれますが、当て字が違うだけで同じ意味です。なぜ元はたった一つの存在から、わざわざ分離するのかというと、それぞれがこの世で「学ぶ」ためです。
学びには、一つとして同じものがありません。
似たように見える人生でも全く違います。
ちなみに魂は「雲」のような存在です。
私たちがあの世と呼んでいる次元、さらにもっと高いレベルの次元でも、魂の「個性」は残りますが、面白いのはその個性が他の個性と入り混じることもあれば、逆にどんどん分かれることもあるという、大変自由な特性を持つ点です。
また、人によってはかなり高いレベルの意識、つまり「神々の分け御霊」を持つ人もいます。日本人にはとくに多いと言われます。
私たちはそれぞれ、何かを学ぶためにこの世に生まれました。
目的があるのです。
その目的が果たせなければ「次の生(来世)」へと課題が持ち越されます。これが仏教などで言われる輪廻転生、そして業(ごう/カルマ)というしくみです。
現在の科学では、残念ながらこうしたしくみにまつわる情報が議論されることはありませんが、近い将来、例えば量子力学などの分野なら、この手の情報を解読できるかもしれないと少し期待しています。
*第3回「直感は天からのギフト」は3月13日(金)公開予定です