SNSを避けて通れない現状とどう付き合っていくべきかを、元教員のITジャーナリストが独自の観点で解き明かす『ソーシャルメディア中毒』。その一部をダイジェスト版でお届けします。(全5回)
前回の「いくつ知ってる?ティーンのSNS用語」では、SNS世代の独特のコミュニケーションやサービスの使い方を“言葉”という視点から垣間見ました。今回は彼らの中で“数”がどのような意味を持っているかを見ていきます。
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元々SNSは、人間関係を可視化するサービスとして誕生した。
つながりが見えるため、相手との意外な共通の友人や意外な共通点が分かったり、会いたかった人に会ったり、趣味や興味関心などでつながりやすくなった。しかし、それ以外の多くのものも可視化してしまった。
たとえば、友達の数だ。
SNSでは、ごく少数とのみつながる人もいるし、逆に数千人とつながっている人もいて、極端に差が出る。大人なら、SNS内の友達数と実際の友達数が必ずしも比例しているわけではないことは分かるだろう。SNS内での活動を頑張っているだけの場合もあるし、私生活が忙しすぎてSNSを使う時間がない場合や、単純にネットやSNS自体が苦手という場合もある。
しかし、ティーンの場合はそうではない。友達が多い方が人気者で偉いとされてしまうからだ。
最近の大学生は、SNSで友達が数百人いることがもはや普通であり、数十人の友達しかいないと「他の人に友達が少ないとか暗いと思われる」という。一般にSNSアカウント(ユーザーが特定のサービスを利用するための権利のこと)を見る時、フォロワーや友達数が多い方が価値があるとされるが、このような見方も影響しているのかもしれない。
かつては、友達の数など比べようもなかったし、ましてや他人の友達の数など知る方法もなかったが、SNSがあればできてしまうのだ。SNS内では、友達やフォロワーが数値化される。しかも、他人のアカウントを見ることで、友達やフォロワーの数を比較することができるのだ。多ければ多いほど偉いし、自慢できるということになる。
ツイッターなどを見ていると、この意識が強いユーザーが、こんなツイートをしているのを見かけることがある。
「僕のフォロワーは○千人、あなたのフォロワーは△百人。差は歴然。フォロワーが多い方の言うことを聞くのは当たり前」
だから、彼らは少しでもフォロワーの数を増やそうと懸命になってしまう。
リアルの人間関係には濃淡があるのに、SNSの人間関係は“1”か“0”かしかない。SNSによって、大切なのは友達の質ではなく、誰とつながるかでもなく、「数」になってしまった。どんな人も“1”は“1”。実際の関係性なら関係が自然消滅することはよくあることだが、SNSで友達が減ると減ったことが目に見えるため、躍起になっていなくなった犯人を探す人も多い。
SNSによって比較できるものは、友達の数だけではない。投稿に対するコメント、「いいね!」、リツイートなどの数だ。反応が多いということは注目されているということであり、影響力と人気があることの証だ。だからこそ、ティーンは自分も友達に負けないくらい反応がもらえるように、面白おかしいネタを投稿したいと思うようになる。ツイッターで炎上事件が起きた原因は、多くが友達ウケを狙っての投稿のためだ。承認欲求が一連のツイッター炎上の遠因となったのだ。
もちろん、投稿内容も大切だ。投稿内容によって私生活が充実しているかどうか、いわゆる「リア充(リアル/実生活が充実している人のこと)」かどうかが分かる。当然、リア充の方が周りからの反応が良い。リア充の投稿を見たティーンは、自分もリア充になろうとする者と、友達と自分を比較してしまって落ち込んでしまう者に分かれる。
たとえば、ティーンに限らず、フェイスブックのニュースフィードは楽しげなキラキラした投稿、つまり、リア充の投稿であふれている。お洒落なレストラン、楽しそうな仲間との時間、旅行先のきれいな写真、仲が良さそうな家族や恋人たち。しかし実際は、そんな毎日ばかりのはずがない。ファストフード店や牛丼チェーンで食事をする時もあるし、一人でごろごろと寝て過ごす休日だってある。ただ、そのようなことはSNSにはあえて投稿しないだけだ。
SNSでは、「チェックイン」といって、自分がいる場所を友達に知らせることができる機能がある。ユーザーローカルによるフェイスブックのチェックインランキングを見ると、1位は「東京ディズニーランド」、2位は「東京ディズニーシー」、3位は「東京スカイツリー」。以下、「東京ドーム」「東京国際展示場(東京ビッグサイト)」「関西国際空港」「Tokyo Disney Resort」「六本木ヒルズ」「東京タワー」「幕張メッセ」などとなっている。ランキングにお洒落な場所や人気スポットばかりが並んでいるのに気付くだろう。人は他人に自慢したい時、多くの人に知らせたい場所にいる時にチェックインするのだ。つまり、SNS上で「ここにいたい私」のブランド化を行っているというわけだ。
ツイッターでも同様だ。喫茶店のスターバックスとドトールを比較すると、「スタバ(スターバックス)なう」というツイートは、「ドトールなう」に比べて約10倍多くなる。たとえば、2014年8月26日時点のツイート数を単純に比べると、「スタバ(スターバックス)なう」:「ドトールなう」=1303件:103件で、何と13倍もの差がついている。スターバックスの店舗数とドトールの店舗数に差はない。あくまで、ユーザーがその店にいることを周囲に知らせたいかどうかで、それだけの差が生じていることになる。お洒落なスターバックスにいることは周囲に言いたいが、カジュアルな店であるドトールにいることはあえて言わないということだ。
人は、SNSに投稿するかどうかを「誰かに知らせたいかどうか」「反応が良い(と思われる)かどうか」の二点で取捨選択している。当然よく思われたいので、必然的に楽しそうで充実した幸せそうな写真や文章ばかり投稿することになるというわけだ。
SNSでは外部の記事をシェアできる。この場合も、芸能人のゴシップ記事は読まれる割にシェアされる割合は少なく、社会的な記事はシェア率が高くなる。これも、ゴシップ記事よりも社会的な記事をシェアした方が賢そうに見えるからという理由だろう。
ティーンにとってコミュニケーションとは役割演技だ。所属している場でのポジションが何よりも重要であり、その役を演じ続けるためにはどんなこともできてしまう。
※次回「自撮りで満たす承認欲求の、暴走と過激化」は、3月21日(土)更新予定です。
ソーシャルメディア中毒 つながりに溺れる人たち
全国でネット依存の可能性がある人は421万人、中高生は10人に一人といわれています。ミクシィの誕生から10年。SNSはコミュニケーションインフラと化した一方で、若者を中心に問題が後を絶ちません。なぜ事件は頻発するのか、なぜ依存してしまうのか。その危険性と不自由さを暴くと共に、SNSを避けて通れない現状とどう付き合っていくべきかを、元教員のITジャーナリストが独自の観点で解き明かす『ソーシャルメディア中毒』。その一部をダイジェスト版でお届けします。(全5回)