「八時までに連絡いただけなければ、全てのサーバを爆破します。データセンタの中にはデータのみならず、人質がいることをお忘れなく。」アルティメイト社に届いた犯人からのメール。人質になっているのは、部下の神谷翔。丸谷との電話で、この危険な状況を理解した的場は、夏木理沙にすぐ電話した。神谷とメール連絡ができる夏木に、状況を知らせてもらわなければならない。
人気のないお台場のオフィスに、電話の着信音が鳴り響いた。
的場課長からだ。
理沙は急いで、社用の携帯電話を耳に押し当てた。
「もしもし、俺だ。丸谷君に連絡が取れた」
「何か分かりましたか」
「はっきりした状況は分からないが、新しい情報が入った。まだ確実な状況じゃないから、落ち着いて聞いてほしい」
落ち着けと言いながら、的場自身が少々落ち着きを失っているようだった。いつもは冷静な的場の声が、うわずっている。
嫌な予感がしたが、理沙は黙って耳を澄ました。
「例のアルティメイト社宛ての問い合わせだが、先月に来ていたものらしい」
「先月……そんな前から。今までずっと放っておいたんですか」
「昨晩までは、悪戯だと思っていたそうだ。それがつい二時間ほど前、今度はデータセンタを占拠したと連絡が入った」
「占拠?」
耳慣れぬ言葉に、理沙は思わず聞き返した。
「電子的な占拠という意味ですよね」
「分からない。ただ、犯人は、クラウドを乗っ取ったのではなく、真岡市のデータセンタを占拠したと言ってきた」
真岡市————。
理沙は身震いした。
データセンタの所在地まで指定してきたということは、犯人はクラウドが物理的に置かれている場所を知っているのだ。
「今度こそ警察に連絡を……」
「犯人は、警察に通報すれば、データセンタを爆破すると言っている」
「爆破? データセンタを?」
理沙は耳を疑った。
あまりにも信じられない話だった。
システムの脆弱性をついて、論理爆弾(ロジックボム)を仕掛けたというならば、まだ話は分かる。
しかし、データセンタに物理的に忍び込み、爆弾を仕掛けるなど、前代未聞のことだ。
銀行の金庫に爆弾を仕掛けたというようなものである。
「事実かどうかは分からない。しかし、少なくとも犯人は、あと一時間以内に送金しなければ、全てのサーバを爆破すると言っている」
「ちょっと待ってください、今データセンタに神谷君がいるんですよ!」
理沙は思わず椅子を蹴立てて立ち上がった。
「落ち着いてくれ、裏は取れていないんだ。ただのハッタリかもしれない」
これが落ち着いていられるだろうか。
とてもじっとしていられず、理沙は内線電話兼用の携帯を片手に、辺りをうろつき回った。
「犯人から送られてきているのは、メールだけですか。裏を取る方法はないんですか」
「データセンタの担当者に連絡しようとしているそうだが、捕まらないらしい」
遠く離れたデータセンタの中で、いったい何が起きているのだろう。
せめて現地の神谷には状況を伝えておかなければ。
「お願いです、そのメールを転送してください」
「分かった。だが、今の話は絶対に他言無用だ。いいね。また情報が入り次第連絡する」
電話が切れた。
犯人がデータセンタを占拠したというのが本当なら、神谷に危険を知らせなければ。
どうすれば、犯人に知られずに神谷と連絡を取ることができるだろう。
やがて、犯人と監視センターのやり取りしたメールが、大量に転送されてきた。
最後のメールは、こんな文面になっていた。
準備する時間は十分にあったはずです。
六千万という価格が不当だと思うなら、適正な価格を提示してくださいとも申し上げたはずです。
もう一度質問します。
一、 貴社の保有するアルティメイトクラウド・システムの資産価値はどのくらいと算定されますか?
二、人間の命にはどのくらいの価値があると思われますか?
三、それらを守るのに、どのくらいの予算を投じられますか?
理沙は怒りに唇を噛みしめた。
*第9回は5月5日(火)公開予定です。なお本作はフィクションで、登場人物、団体等、実在のものとは一切関係ありません。
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