「アウトサイダー・アート」という言葉をご存じでしょうか? 障害者や犯罪者、幻視者など正規の美術教育を受けない作り手が、自己流に表現した作品群です。椹木野衣さんの『アウトサイダー・アート入門』では、社会からの断絶し、負の宿命に立ち向かうために芸術に身を捧げた者たちを紹介しています。ダイジェスト版の短期集中連載第3回は、「私たちがアウトサイダーかもしれない」という問題提起です。
アウトサイダー・アートと日本人
さて、最後にひとつの問題提起をすることで、本書の導入となる序章を終えたいと思う。私たちは、とかくアウトサイダー・アートを他人事のように捉えがちだが、実はほかでもない私たち自身がアウトサイダーかもしれないという可能性についてだ。そもそもこの領域に新しい光を当てたのは、デュビュッフェがそうであったように、あくまで欧米からの視点にほかならない。欧米は美術の内輪そのものであり、だからこそおのれを刷新し続けるための自己拡張の媒介として外部性を必要としたのだ。すると原理的にいって日本を含む非西欧圏はおのずと、かれらインサイダーに対してアウトサイダーということになりはしないか。ゆえにアウトサイダーとはなによりもまず、私たちそのものかもしれない、ということになる。
こうした外部的な視点を得にくいアール・ブリュットも含め、日本でアウトサイダー・アートについて考えるとき、この視点は絶対に外してはならない。ほかでもない私たちこそがアウトサイダーかもしれないのに、そのことに気付くことなく、まるで自分たちが欧米と同じインサイダーであるかのように振る舞い、アウトサイダーを自分から切り離された研究対象のように扱うことは、アジアにおける日本の立ち位置という過去の歴史に照らしても、私たちの自己認識をひどく歪めてしまうことになる。たとえば、先の戦争で日本がアジアを非西欧圏とみなし、自身は西欧と同じ権利を持つ准白人として侵略という帝国主義的な暴力を振るったり、他の国に先駆けてアジアの盟主たりうると独善的に決めつけた自己=国家像は、日本が実際にはアウトサイダーであるにもかかわらず、そのことを隠蔽して、無理矢理インサイダーであるかのように装ったことに多く由来するからだ。近代以降、やがて「大東亜戦争作戦記録画」へと至ることになる日本の近代美術も、この点では同罪だろう。
近年、欧米で日本のアール・ブリュットが盛んに紹介されるようになり、好評を博しているのは喜ばしいことである。が、私たちはそれを額面どおりに受け取ることに注意深くあらねばならない。アウトサイダー・アートと日本人は、もとよりとても相性がよいのだ。これはアウトサイダー・アートやアール・ブリュットに限らない。欧米の(インサイダー)アート界が高く評価する日本の美術家たちが、もとより多かれ少なかれアウトサイダー・アート的な振る舞いを求められ、それにうまくあてはまる作品や風貌(さえも)を期待されてきたのは明白だ。藤田嗣治(乳白色の肌)に始まり、河原温(日付という公案)や草間彌生(永劫回帰)を経て、近年の杉本博司(無限の地平)、荒木経惟(性の奔放)、奈良美智(子どもとロック)、村上隆(オタクとアニメ)に至るまで、これは脈々と続く系譜なのだ。むろん、ここに挙げた美術家たちはそのことを知りつつ、どうやってこの偏見を出し抜いて自己の創造をより高い次元で結実するかに成功した者たちでもあり、私たちはそのことをこそ高く評価しなければならない。けれども同時に、日本での純粋美術そのものが、もとより欧米から見た「アウトサイダー・アート」の極東での一変種であるかもしれないことは、十分に心に留めておく必要がある。他人のことをいっていたつもりが、実のところ鏡に映した自分にすぎず、しかもその一部始終を見透かされていたというのでは、洒落にもならない。アウトサイダー・アートとは、なによりもまず私たちの美術のありかと、そこに映る自己像を「内」に閉ざすことなく、新たな「外」へと向けて放つ契機でなければならない。