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Crazy Baby By LiLy

2009.11.01 公開 ポスト

story 5 Bitch (前編)LiLy

 家から駅まで、15分。真冬の夜道を歩いてくるあいだにすっかり冷えて感覚を失ったつま先を見つめ、親指に塗ったピンク色のマニュキアがはげてきているなぁ、と思っていると電車が勢いよくホームに入ってきた。追い風に目を細めながら、私は椅子から立ち上がる。
 中目黒行きの日比谷線の終電は、いつも通りガラリと空いている。私は電車に乗り込むと、外の冷気から逃げるようにしてドアから一番遠いはじっこの席に座り、網タイツにサンダルを履いた足を、暖房の熱が出ている座席の下にピタリとくっつけた。
 地元駅の北千住から六本木まで、30分。私は肩にかけていたバッグを隣の席にドカンと置いた。中から鏡とコテを取り出すと、ドアがプシューッと音を立てて閉まり、電車がガタンガタンと動き出した。足元の暖房に解凍されるようにして、少しずつ感覚を取り戻してきたつま先が、ちょっぴりかゆい。
 手の爪につけた長いスカルプチュアが折れないように気をつけながら、コテのスイッチをカチッといれると、私はコテを膝のあいだに挟んで固定した。スイッチがオンになっていることを確認するために、右の手の平でコテを包み込むと、よし、少しあたたかくなってきている。完全に熱くなるまでの時間で化粧を直そうと、私は鏡を持って中を覗き込んだ。
 すると鏡越しに、斜め前に座る二人組の若い男と目が合った。これから都内のクラブに行く、という感じの20代の男たちだ。細身の服装からして、好きな音楽のジャンルはヒップホップではなく、ハウスかドラムンベースだろう。私が彼らを見ていることに気付くと、男たちはすぐに私から視線をそらし、気まずそうな顔をしてうつむいた。
 あ、そっか、なるほどね。膝に垂直に挟んだコテを右手で握っていた私を見て、彼らが何を想像したのかが分かると、つい口元がゆるんでしまう。男に注目されるのは、悪い気がしない。
 私は持っていた鏡を下ろし、もう一度右手でコテを握ってみせた。すると右側に座っているグレーのダッフルコートを着た男がブッと噴き出し、つられてもう一人のオシャレ黒ブチメガネの男も腹を抱えて爆笑しはじめた。私が期待していたのは、メスである私を求めるオスの視線と、オンナである私を誘い出すためにオトコたちが使う甘い台詞だったのに、彼らの口から発されている笑い声は明らかに、私をバカにしているようなものだった。
 これだから、日本人の男ってキライ。
 まぁいいや。移動中の電車の中なんかじゃなくて、これから、六本木に着いてからが勝負なのだから。家を出る前にもたっぷりと化粧をしてきたつもりだけど、まだ完成していない。男たちが声をかけずにいられないほどの女へと、変身しなくては。私は、まだしつこく笑っている彼らを無視して鏡を広げた。
 あーあ。つけまつ毛用の接着剤がはみだして、まぶたの上で白く固まっている。アイプチしたところも、同じようにノリの跡が目立っている。家で化粧をしている時は、気が付かなかった。部屋の照明が暗すぎたのが原因かもしれない。私は慌ててバッグの中に左手を突っ込んで化粧ポーチを探り当て、その中からアイライナーを取り出した。
 目を細め、白く固まった接着剤とアイプチの跡を、黒いリキッドインクでなぞるようにして消していく。そっと目を開いてみると、まぶたの3分の1が真っ黒になってしまっている。バランスをとるために、もう片方の目もライナーで同じように黒く塗りつぶすことにした。
 両目についたつけまつ毛をバサッと見開いて鏡を確認すると、スッピンの時よりも3倍くらい目が大きくなったように見える。私は満足して、アイライナーをバッグの中に戻した。車内のアナウンスが、もうすぐ上野に停車することを告げている。
「ねぇねぇ」
 やっと熱くなったコテにエクステの束をグルグルと巻き付けていると、私を呼ぶ男の声がした。斜め前の座席の二人組に視線を向けると、黒ブチメガネをかけた方が「ねぇねぇ」とまた言った。その声に私に対する媚が含まれていることが感じ取れたので、私は機嫌を良くして返事をした。
「なーに?」
「あのさぁ」
 今度はグレーのコートの男が答えた。やっぱり、私をオンナとして意識しているような口調だ。さっきは私を見下したように笑っていたのに、どうしたのだろう。化粧直しが、効いたのかもしれない。
「なによー?」
 本当は切れ長の目が、つけまつ毛とアイプチ、そしてさっきの極太アイライン効果でクリッと丸く見えているところを想像しながら、私はわざと大きく目を見開いて彼らをまっすぐに見つめてみた。
「あんたさぁ、クククッ」
 そう言ったそばから笑いはじめた男の目線が、私の太ももの方へと降りてきた。そのことに気付いていないふりをして、私はまばたきをした。視界の上の方でパサパサと、つけまつ毛が上下に揺れた。
「さっきから、パンツ、見えてるよ」
「あー、そう」
 コテを挟んだ時に広げたまま、ずっと股を開いて座っていたことに気付いた私は、骨盤の方までせり上がってきていたヒョウ柄のミニスカートを下にひっぱりながら足を組んだ。
「あっそう、だってさ。すげぇな」
 黒ブチメガネの男がそう呟いて、眉をひそめながらわざとらしく目を大きく見開いた。
「…………」
 男のその表情は、私を何より傷つける。私はショックを受けたことを彼らに気付かれないように顔をそらし、コテにエクステを巻き付けた。
 女としての魅力をまったく感じない相手、ううん、それどころか、魅力がなさすぎて嫌悪感を持ってしまう女に対して、男が向ける“軽蔑の顔”。こっちだって何の魅力も感じていない、まったく興味のない見ず知らずの男に一方的に拒絶される瞬間ほど、屈辱を感じる時はない。トラウマにもなっている、ここ数年間のイヤな記憶がよみがえってきてしまいそうだったので、私は髪を巻くことに意識を集中させた。

「ねぇ、あんたってさぁ」
 エクステの束をすべてクルクルに巻き終わり、クシを使ってトップの髪に逆毛を立てていると、またさっきの男が話しかけてきた。グレーのコートの方だ。無視しようとしたが、「ねぇ、それって盛り髪ってやつ?」と男は私に質問をしてきた。
「……うん。まー、そうだよ」
 さっきまで私のことをバカにしていたのに、髪型がキマッてきた途端、私に少し興味を持ってくれたのかもしれない。私のことを、ちょっとカワイイって思ったのかもしれない。そんなことを期待して気分が良くなった私は、つい愛想良く返事をしていた。
「ねぇ、何系なの? あんたって」
 男が続けて質問をする。
「てか、あたしのこと、あんたって呼ばないでよぉ」
 甘えたような声を出している自分に少し、驚いた。さっきは彼らから一方的に拒絶されたような感じを受けたから、私も彼らに興味がないと思っていたけれど、よく見てみると今ドキのイケてる雰囲気をした――今まで私が相手にしてきた外国人の男たちとはまったく違うジャンルの――二人組だった。
「じゃあ、お姉さんって何系なの?」
 そんな男にお姉さんと呼ばれて、気分がいい。
「何系、とかはよく分からないけどさ、一応」
「……一応?」
 今度は、黒ブチメガネが私に聞いた。私の答えにとても興味があるのだろう。真剣な顔をして私を見つめるその表情に、女として認められたような気がして嬉しくなった。
「小悪魔アゲハとか、読んでるよ」
 私がちょっぴり得意気にそう答えると、
「え、そっち? そっちなの? オレてっきりお姉さんはBガール目指してんのかと思った」
「あー、今日はクラブ行くから、ビッチ系もミックスしてる」
「小悪魔にビッチをミックスって……」
 グレーのコートの方がまた、クククッと、こらえきれないといった様子でにやけた口元から笑いを漏らした。
 何がおかしいの? バカにしてるの?
 喉まで声が出かかったけれど、それを言ってしまえばもっと傷つけられるような気がして私は言葉を飲み込んだ。彼らに対してうっかり開いてしまったココロを猛スピードで閉じようとしてみたけど、私はもう既に傷ついていた。
 電車が停車し、もう六本木に着いたのではないかと私が慌てて窓の外を見ると、ホームの看板に日比谷と書いてあった。さっきの二人組が席から立ち上がったのを視界の隅で確認したが、私は知らん顔してコテをバッグにしまっていた。でも、黒ブチメガネが私に近づいてくるのが分かる。
「……お姉さん、」
 何よ、と言う代わりに視線を上げると、男のメガネのレンズが私の顔を反射して映していた。つけまつ毛とアイラインで囲んだデカ目と盛り髪が、我ながらキマッている。これから遊ぼう、とナンパされたら、オッケーして一緒にこの駅で降りよう。私が自分でも驚くほどの速い決断力をもって心の中でそう決めていると、
「サンダル、網タイ、メイクにヘアに、全部マチガッテルよ」

 気付いたらプシューッと音を立ててドアが閉まっていて、車両から男たちの姿は消えていた。

 

 

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Crazy Baby By LiLy

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LiLy

作家。1981年、横浜生まれ。NY、フロリダでの海外生活後、上智大学卒。音楽ライターを経て2006年デビュー。女性の共感を呼び圧倒的な支持を受ける。小説『オンナ』(幻冬舎文庫)、エッセイ『目もと隠して、オトナのはなし』(宝島社)など著作多数。現在は雑誌「オトナミューズ」「VERY」「Numero TOKYO」にて連載。「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)に審査員として出演中。

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