猫の得意ワザは、化けること。
ちょびヒゲひとつで、オッサンに変身。
猫ではありません。スミレの花です。
女子高生です。若干ヤンキー系ですけど。
姫でごじゃる。
くじゃく。
バニーちゃん。
アメリカザリガニ。
でんでん虫虫、かたつむり。
スーパーマン。
バットマン。
キティちゃん。
鏡もち。
ロボ。
宇宙飛行士。
トカゲに食われた。
これじゃただのコスプレじゃないかって?
バカにするな、衣装などなくてもこの通り。
(銅像に化けています)
どう見てもシャチホコです。
完全にカラヤンに化けてるやん。
どっちがぬいぐるみか、わかる?
グラマー。
二匹で狛犬に化けました。
四匹でマトリョーシカに化けました。
植木鉢の土。
水。えっ?水? うーん…
これはお見事、カレーライス。
犬のウンコ。
化ける女
片岡 K
例えばドラマなどを撮っているとよく思うのだが、ボクは女優さんが大好きだ。男優さんよりも断然女優さん。えっ? そりゃそうだろって? ボクは男だし、しかもその男の中でもかなりスケベな方だし、美人ばかりの女優さんが嫌いなはずがないだろって? それは否定しないが、そうじゃない。女は化ける。だから好きなのだ。
女優さんというのは、メイクひとつ、衣装ひとつで、別人のように見えたりする。照明ひとつ、撮り方ひとつで、まったく違う人物に変身しちゃうことがある。だから、撮っている側からすると非常に面白い存在だ。男優さんは何をしても変わらない。いい意味でも悪い意味でも、化けてはくれない。きっと、男の魅力というのは、内面からにじみ出てくるようなモノなんだと思う。対して、女の魅力というのは、たったひとつの化粧や衣服一枚に大きな影響を受けて変化するシロモノなのかもしれない。
さらに告白すると、ボクはどちらかと言えば、芝居のうまい女優さんよりも、あまり上手ではない女優さんの方が好きだ。その方が、より「化ける」から。ついでに言うと、他の作品で当たり役を演じた女優さんよりも、どの作品に出てもそんなにパッとしない女優さんの方がやりやすい。キャンバスは真っ白である方がいろんな色を塗りやすいからだ。
深夜ドラマなどを撮っていると、たくさんの新人女優さんにお会いする。新人女優はまだ何の色にも染まっていないから、ボクにとっては最高の素材になってくれる。中には本当に何も出来ない女優さんがいる。お芝居以前に、脚本を渡してもそこに書かれた人物像や隠れた感情を読み取る力がなかったり。ひどいのになると漢字がまったく読めなかったりする。たいていの監督はそんな女優さんに出くわしたら頭を抱えるらしいが、ボクは違う。いつもの何倍もやる気が出てくる。
お芝居で感情表現するということは、簡単に言えば人間の喜怒哀楽を見せるということだ。お芝居の下手なコというのは、この喜怒哀楽の表現が出来ない、いや、正確に言うと「哀」がちゃんと伝えられないコである。喜と怒と楽、この三つはお芝居をした経験がない人でも案外出来ちゃうのだ。ヤッホーと喜んだり、コノヤローと怒ったり、キャッキャと楽しんだり、そういう感情は普段友だちと遊んでいる時にだって十分に表現している。時には相手に気を使って、半分お芝居のようにそういう感情を伝えていることだってあるだろう。ところが「哀」、つまり哀しみというのは、ほとんどの場合は見えないように隠してしまう気持ちなので、表現手段を持っていないものなのだ。
名前を出すのは控えるが、過去にいくら演技指導してもこの「哀」のお芝居が出来ない女優さんがいた。脚本には「寂しげに佇む」というト書きが一行書いてあるだけだが、ドラマ全体からするととても大事なシーンだった。
この時ボクは「おととい何を食べたか覚えてるか?」と彼女に聞いた。覚えてないと答える彼女に「思い出せ。じっと考えてろ」と命じた。考え始めた彼女の姿をモニターで見て、ボクは確信した。よし、後はカメラワークと音楽を乗せるだけでも十分イケる!ボクの演出で、彼女が寂しげに佇む女に化ける瞬間だった。これだから監督はやめられない。
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