鬼才・園子温監督が20年間あたため続けたという魂の集大成「ラブ&ピース」。間もなく公開になる映画に先駆け発売中の監督自身による描き下ろし絵本には、その魂が凝縮されて詰め込まれています。映画公開と絵本発売を記念してお届けする特別企画の第3回。
今回は、絵本巻末に綴られたエッセイ「鈴木良一の闇」の一部をお届けいたします。本作「ラブ&ピース」が生まれることとなった25年前、園子温さんの眼前に広がっていた世界とは……。
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今から約25年前、オレは映画「ピカドン」(現「ラブ&ピース」)のシナリオを書き始めた。
二十代後半で、アルバイトをしながら映画会社に持っていくためのシナリオを日々、せっせと書きためていた。
22歳で自主映画を撮りはじめて、その頃は自主映画仲間からはそこそこの「名声」があり、あとほんの少しのステップで上に行けるはず、と過信していた。ぴあフィルムフェスティバルという自主映画を作る人間なら、誰もが出品している一大自主映画祭でグランプリを獲り、ぴあのスカラシップで16ミリ映画「自転車吐息」も撮った。評判も悪くなかった。
すべてはとんとん拍子だった。うまくいくと思った。甘い夢だった。
2015 年の現在なら、そこまでいったらすべてうまくいくはずだ。今ならとんとん拍子。映画監督の新人が育っていくシステムがある。
しかし、当時そこからの道筋などまったくなく、ただ荒野が、絶望的なくらい森の闇が、深い谷がそびえたっているだけだった。
それでも口笛吹いて崖を登る自信があった。負けないぞ。
ところが崖を何回登りつめても、まだその先に崖があったし、森もあった。最初のうちこそ、口笛なんぞ吹いて長い遠足になりそうだね、とうそぶいてゆっくり歩き始めた。
そのうち口笛も自然に止まり、無口になって険しくなってくる坂を黙って登りはじめた。この崖を越えればと思ったら、また向こうに崖が見えた。最後の崖っぷちの向こうも、また険しい森。すでに道はなかった。走り抜けるのも不可能な本格的な森だ。
木を伐採し、けもの道をさがし、四つん這いでそこを駆け抜け、泥だらけで歩かねばならなくなった(今だったらそこは綺麗な舗装道路ができていて、スポーツカーに乗ってフリーウェイをびゅんびゅん走ってたちまち「映画監督」とやらになれる。だってオレが道を作ってやったから)。
そう、あの「映画監督」っていう職業が自分のものになるんだ。
もう少ししたら、映画監督になれるはずだ。そう、自分に言い聞かせてけもの道を歩き続けた。
もう少ししたら「あなた、何やってる人ですか?」と人に聞かれ、「はい、映画監督です」と堂々と言えるようになる。
あの頃もしも交通事故で死んでいたら、それが二十年後まで叶わなかった!「自称映画監督の園子温さんが死にました。」と呼ばれたんだろうな。
いや、それもないかもしれない。
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そんな暗澹とした日々の中で「ラブ&ピース」は生まれることとなるのでした。この後、園子温さんに起きた衝動とは……。続きは、絵本「ラブ&ピース」をご覧下さい!