仕事でも生き方でも、得意な手を発揮できる勝ちパターンは必須。ところがそれが弱みになるから壊せと強者は言う。
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型を壊す
パターンができたら自ら壊せーーー 桜井章一
私が標榜(ひょうぼう)している雀鬼流には、武道のような型といったものがない。何か特殊な麻雀の型を教えてもらえると思って道場にやってくる人の中には、学ぶべき型など何もないと知ると、いささか拍子抜けしている人もいる。
もっとも型はなくとも、1秒で牌を切るとか、第一打で字牌(ツーパイ)を切ることを禁じるとか、いくつかの決まりごとはある。これらの決まりごとは勝つことに囚われず、結果に至る過程においてきれいな麻雀を打つために設けた制約といってもいいだろう。そうやってきれいな麻雀を打つ練習を重ねることで、結果的に強い麻雀が打てるようになるのである。
型のある、なしでは、いったい何が違ってくるのだろうか。
たとえば、空手や柔術といった武道に限らず、スポーツにはどんなものにも型がある。その中で練習を重ねていくと、次第に自分のスタイルが磨かれ、「このパターンにはまれば強い」という得意技を身につけるようになる。つまり、それぞれのスポーツが持っている型の中で、さらに自分だけの型を築くのである。
確かにそんな型を持っていれば、勝負においては強みとなるだろう。だが、型にこだわりすぎると、変化に対する柔軟な対応ができなくなる恐れがある。
型は固定観念となり、体や心を硬くする要因ともなる。そのことが変化についていく際のブレーキになるのだ。
この型の話は、何もスポーツに限るものではない。仕事でも生き方でも、このパターンにはまれば、自分の得意な手を発揮できるという型をみんな持っているはずだ。
だが、「型にはまれば強い」ということは、裏を返せば「その型で戦えなければ弱い」ということである。
常に周りの状況が変化していく中で、自分の型にはまるタイミングをじっと待っているだけでは、いつまでたっても本当の強さをものにすることはできない。
いうまでもなく、変化に対しては、自分の都合のよいときを待っていては、いざというときに間に合わない。あくまで変化には柔らかく対応していくことが何よりも大切なのだ。
雀鬼流麻雀が型を持たないのは、「変化を敏感に感じ取り、瞬時に対応できる」感覚と動きを身につけるためである。
人は型をつくると、ついそこに安住してしまう。だが、築いた型にはこだわらないほうがいい。型を惜しげもなく捨てられるかどうかが、その人の伸びしろを決めるといっても過言ではないのだ。
変化慣れが成長をうながす ーーー藤田 晋
僕が麻雀から学んだことは、決して少なくありません。実際、会社の経営にもそれはかなりの部分で活かされています。麻雀のルールには、ビジネスの世界のそれに通じるものがあるからです。
たとえば将棋は対戦相手とまったく同じ駒が与えられますが、麻雀はどんな牌が配られるかわかりません。将棋はフェアな状態で始まりますが、麻雀は不平等な状態でゲームが始まります。不平等な状態で始まって、そこから一定のルールに基づいて、いかに早く、大きく上がるかの競争なのです。
テスト勉強を中心とした学校で教えられるものは、ほとんどがフェアな状態のものです。しかし仕事も人生も、実社会に出てみると、ほとんどは不平等な状態から始まるものではないでしょうか。
僕は学生時代、桜井さんが主宰する雀鬼会にしばらく通ったり、雀荘でアルバイトをしたりと、けっこう麻雀漬けの時間を過ごしていました。でも社会に出てからは時間がないこともあり、長らく麻雀からは遠ざかっていました。
ところが縁あって「麻雀最強戦2014 著名人代表戦」に出場することになり、優勝しました。それで4カ月後に行われる、麻雀プロの代表選手を交えた「麻雀最強戦2014 ファイナル」への出場権を手にしたのです。そこで、やるなら「麻雀最強位」を目指そうと、それをきっかけに麻雀を本格的に再開しました。そこで驚いたのは、麻雀がこの10年ほどの間にかなりの進化を遂げていたことです。
それは明らかにネット麻雀の影響です。勝ち方のパターンなどいままでよく見えなかったものが統計的なデータで表されるようになり、それをベースにして勝負する風潮もある。そういう中で一つの打ち方のトレンドが出てきたら、それをさらに上回るものがまた生み出されるという目まぐるしい変化も起きている。いままでと同じ打ち方をしていては、研究されて勝てなくなってしまうのです。それはまさに、将棋の定跡(じょうせき)が改善され、どんどん進化していくようなものです。
当初はデジタル的な麻雀に対して僕は否定的だったのですが、いまのトレンドを知ると、データや知識をしっかり把握した上で勝負しなければ、もはやいくら強い打ち手でも勝てないと思うようになりました。トレンドの最先端に追いつこうとして「受験生みたい」と妻にいわれるくらい、家では麻雀の勉強をしています。
麻雀の世界が、型をつくってはまたそれを上回る型をつくるというふうに変化しているように、経営やビジネスの世界でも、それと同じことが起こっています。
僕は最初からベンチャー企業で働き、起業するときもゼロからスタートしたので、自分で組織やビジネスモデルの型をつくったり、またそれを壊したりすることには慣れているほうだと思います。
うちの会社の創業期は、広告代理店業がメインでしたが、インターネットの広告代理店では業界1位だったにもかかわらず、それに甘んじることなく技術者をたくさん集めたメディア企業になるという方向にも舵を切りました。新しい型をつくろうとしたことは、会社も自分自身も大きく成長する機会になりました。
リクルートの創業者である江副浩正(えぞえひろまさ)さんは「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉を社是として掲げましたが、自分で型を壊して新たな機会をつくることをしていかないと、本当の成長というものはありません。
受験勉強の弊害もあるのかもしれませんが、日本人は既存の型を壊して、新しい型をつくることが苦手です。決まった型での改善とか工夫といったものは得意ですが、破壊的イノベーションのようなものはなかなかできない。
うちの会社では、一つの型にはまって固まらないよう、意識的に変化に慣れるような工夫をしています。たとえば役員会ではみんないつも同じ席に座りたがりますが、毎週同じメンバーが同じ場所に座っていては頭が固くなるので、席順を変えるようにしています。また3カ月に一度は雰囲気を変えるために都心から離れたところに役員合宿に行って議論をします。その他にも社員の席替えは頻繁にあるし、プロジェクトチームのメンバーを入れ替えたり、役員を替えるということも定期的にやっている。それもこれも社員が変化慣れしてくれたらという思いからなのです。
それまでの型を壊して新しい型をつくることは、成長には欠かせません。
一方で矛盾しているようですが、会社ではルーティンなものを手堅くやっていくことも、同時にものすごく大事なことです。ルーティンを確実に繰り返すことで安定的な収益が確保でき、それが会社の土台になるからです。
ただその繰り返しばかりだと頭が固くなり、変化に対して臆病になってしまいます。会社の衰退はそんなところから始まるので、型に囚われず変化していくということを常に考えながら、実践していくべきだと思っています。
連載第5回「崖っぷちに強い人にツキは舞い込む」は、6月30日(火)公開予定です。