藤沢数希さんの小説『ぼくは愛を証明しようと思う。』のドラマが、いよいよ本日深夜0時20分~テレビ朝日にて放送です。主演は、滝藤賢一さんと堀井新太さん。小説の試し読みも本日が最後。恋愛工学がどう映像化されているのか。楽しみに待ちましょう!
第一章 非モテコミット-5
期待と不安で迎えた火曜日。
約束の焼き鳥屋に先に入っていると、永沢さんは7時半きっかりに現れた。
あのまん丸いメガネをかけていて、チノパンに白いワイシャツ、革のカバンというラフなかっこうだった。ナンパしていたときとは雰囲気がぜんぜん違った。
「永沢さん、今日はわざわざ時間を取っていただいてありがとうございます」
「そんな堅苦しい言い方はやめてくれよ」
僕が、自分の学生時代だとか、どういう経緯で弁理士になっただとか、そんな自己紹介をしていたら、注文したビールが運ばれてきた。
「わたなべ君のおかげで、この前はずいぶんと儲けさせてもらったよ」
「えっ、そうなんですか?」
「あの会社は、特許権侵害の訴訟を起こされて、株価が急落していたんだ。しかし、わたなべ君の分析のおかげで、今回の裁判は負けそうにないことがわかった。だから、暴落しているところで、大量に株を買うことにしたんだ」
「地裁では、予想通り特許が無効という判決が出ましたね。なるほど、そういうことだったんですね」
うれしそうにビールを飲んでいる永沢さんを見て、あのとき一生懸命仕事をしてよかった、と思った。それから、あの仕事をしていたときの麻衣子とのつらい出来事を思い出した。
失恋すると仕事も手がつかなくなるという人もいるけど、僕は恋愛でつらいことがあると、それを他のことで取り返そうとするタイプだった。ぐっすりと1日か2日眠り込めば、少なくとも仕事や勉強に集中することはできた。
「じつは、あのときは大好きだった彼女と別れた直後で、とても大変だったんですよ。僕が永沢さんみたいにモテる男だったら、こんなことで苦労しないんでしょうけどね」
「なんだ、女にモテたいのか?」
僕は子供みたいにコクリとうなずいた。それこそが、僕がこうして永沢さんに会いに来た本当の理由だったからだ。別に特許の話をしに来たわけでも、永沢さんから株式投資の話を聞きに来たわけでもない。永沢さんにモテる方法を教えてもらいたかったし、あわよくば永沢さんに合コンなんかに呼んでもらって、女を紹介してほしかった。
心に溜まった澱を全部吐き出すように、これまで僕がいかにモテなかったのか、包み隠さず話した。
永沢さんは焼き鳥を食べながら、僕の話をひと通り聞き終わると、質問してきた。
「わなたべ君、ところで女にモテたいっていうけど、モテるってどういうこと?」
「それは……、女の人に好かれるということです」
「好かれる? どういうふうに? その女子大生の美奈って子からも、ある意味で好かれてたんじゃないの? わたなべ君は」
「そのう、友だちとしてとかじゃなくて、僕はおつきあいがしたいんですよ」
「おつきあいして、何がしたいの?」
「いっしょにご飯を食べたり、旅行に行ったり。もちろん、セ、セックスもしたいです。でも、それがすべてじゃありません」
永沢さんはメガネを外してケースに入れると、それをカバンの中にしまった。雰囲気がガラッと変わって、あのバーで見たときの永沢さんを思い出させた。
「お前、本当はセックスがしたくて、したくてしょうがないんじゃないのか?」
もちろん、セックスは恋愛の中のひとつの要素だが、それがすべてじゃない。僕が反論しようとすると、永沢さんは「お前は、典型的なセックス不足の非モテ男だな」と、哀れむような口調で言った。
僕は心の中で反発しながらも、事実なので黙ってうなずいた。
「お前みたいな欲求不満のその他大勢の男がやることといったら、非モテコミットとフレンドシップ戦略だけなんだよ」永沢さんは耳慣れない言葉を使った。
「非モテコミット?」
「非モテコミットというのは、お前みたいな欲求不満の男が、ちょっとやさしくしてくれた女を簡単に好きになり、もうこの女しかいないと思いつめて、その女のことばかり考え、その女に好かれようと必死にアプローチすることだ」
「でも、それはその女の人のことを愛しているということじゃないんですか?」
「そうかもしれない。どっちにしろ結果は同じだがな。女はこういう男をキモいと思うか、うまく利用して搾取しようとするかのどっちかしかしないんだよ」
確かに、思いつめて麻衣子の携帯を見た僕は、キモいと思われて逃げられた。それでも麻衣子に非モテコミットし続けたら、麻衣子は突然連絡してきて、高いプレゼントだけ受け取ると、そのまま去っていった。美奈もさんざん僕を利用したあげくに、何も与えてくれなかった。
「フレンドシップ戦略というのはなんですか?」
「お前みたいなモテない男が、非モテコミットした女にアプローチするときにやる、唯一の戦略だよ。まずはセックスしたいなんてことはおくびにも出さずに、親切にしたりして友だちになろうとする。それで友だちとしての親密度をどんどん深めていって、最後に告白したりして彼女になってもらい、セックスしようとする戦略のことだ」
「確かに、そうやってきました。でも、それがふつうだと思うんですけど、ダメなんですか?」
「まったく、ダメだ。なぜなら女は男と出会うと、そいつが将来セックスしたり、恋人にするかもしれない男か、ただの友だちにする男かをすぐに仕分けてしまう。友だちフォルダだ。いったんこの友だちフォルダに入れられると、そこからまた男フォルダに移動するのは至難の業だ」
僕みたいな害がなさそうな男は、幸いなことに女の人と友だちになることまではできた。しかし、そんなふうに僕が女友だちと親交を深めていっても、性的な興味があることを示すと、とたんに疎遠になってしまうのだった。しかも、友だちといっても、それは美奈との関係のように、男である僕が一方的に何かを与え続けるわけで、対等な関係というものではなかった。
「だったら、僕はどうすればよかったんですか?」
「お前は恋愛というものを重く考えすぎなんだ。いや、ある意味ではまったく考えていない」
「重く考えすぎで、考えてもいない?」
「お前は、恋愛だとか、好きな女だとかを何か神聖なものというか、特別な存在だと思っている」
「確かに、そうですよ」
「お前は勉強や仕事では方法論について考えたり、効率的に目的を達成できるように努力するよな。恋愛でも、それと同じように考え、行動しているか?」
「いや、恋愛は、やっぱり特別ですから」
「そんなことはない。恋愛も、勉強や仕事といっしょだ。効率よくやるべきものなんだ。最小限の努力で最大限の成果を得る。生産性が大切だってことだよ。恋愛なんて、ただの確率のゲームにすぎないんだから、正しい方法論があるんだ」
永沢さんはそう言うと、テーブルの上にあった紙ナプキンにボールペンで数式を書きはじめた。
モテ = ヒットレシオ × 試行回数
「いいか。男の恋愛なんて、この一本の方程式で表されるとおりなんだ」永沢さんはその式を見せながら続けた。「まずは女と出会う。それから連絡先を聞き出して、居酒屋でもフレンチでもなんでもいいけど飲みに誘う。もちろん、昼間にカフェで会うのだっていいし、クラブやバーで出会って、連絡先なんか聞かずにそのままってこともある。とにかくふたりきりで話す機会を作る。それから手をつないだり、キスしたりして、家に連れ込むなり、ホテルに誘うなりする。最後にセックスするわけだ」
「それで1回の試行、ということですか?」
「そうだ。そして、その試行がうまくいく確率、つまり女が喜んで股を開く確率がヒットレシオ」
「なるほど」僕はうなずいた。
「お前みたいな欲求不満の平凡な男のヒットレシオは、試行回数の定義にもよるが、10%も行けばいいほうだ。まともにトライできる女の数は、年に3人ぐらいってとこだな。そうすると、1年当たりに獲得できる女の期待値は、10%×3人=0.3人。お前は男子校出身で、いま27歳だったよな?」
「そうですけど」
「大学に入ってから恋愛市場に曲がりなりにも参戦して、9年目ってことか。0.3×9=2.7だから、大体2、3人か。お前、生まれてからいままでにやった女の数は2人か3人だろ?」
「2人ですよ! あっ、それって風俗嬢とかは含まないんですよね?」
「もちろん含まない」永沢さんはそう言うと焼き鳥をほおばりながら、計算が当たったことに満足そうな表情を浮かべた。それから永沢さんは携帯を取り出して、「面白いものを見せてやる」と言った。
「いま何時だ?」
「ちょうど8時半です」
「会社の接待だとか、合コンだとか、デートだとか、ディナーは7時~7時半ぐらいにはじまる。今日みたいに」
「それが何か?」
「つまり、この時間は合コンだったら、お前みたいな欲求不満の男どもがどうやって二次会につなげるか必死で考えている時間だ。接待だったら、そろそろデザートかもしれない。デートだったら、やっぱりお前みたいなセックス不足の男が、今夜は最後までいけますように、と神様に祈りながら、期待に胸と股間をふくらませているころだ。いずれにしても、これより先は、女にとって完全なプライベートな時間になる。つまり好きな男と時間を過ごしたいわけだ」
永沢さんはそう言うと、LINEを開いた。
かわいい女の子たちのアイコンがずらりと並んでいる。
それからひとりを選んで、[いま何してるの?]とメッセージを送った。
「この女は彼氏がいるんだが、この前、俺とやった」
「彼氏がいるのに!? それって、ひどくないですか?」
永沢さんは、僕が言ったことを無視して、方程式が書いてあるさっきの紙ナプキンを、また僕に見せた。
「このヒットレシオと試行回数を最大化するために、様々な恋愛工学のテクノロジーが開発されているんだ」
「れ、れんあいこうがく?」
「進化生物学や心理学の膨大な研究成果を基に、金融工学のフレームワークを使って、ナンパ理論を科学の域にまで高めたものだ」
永沢さんはまた焼き鳥を口に運んだ。
僕はビールをゴクリと飲み込んだ。
しばらくすると、さっきメッセージを送った女の子から返事が来た。
[飲み会。もうすぐ終わるよ。圭一さんは何してるの?]
永沢さんは、僕に見せながらメッセージを返した。[俺もディナーがもうすぐ終わるところ。今夜会う?]
「いいか、わたなべ。恋愛というのは運とスキルのゲームなんだよ。頭を使って戦略的にプレイしないとダメなんだ」永沢さんがそう言うと、さっきの女の子から返事が来た。
[会いたい! どこにいけばいいの?]
僕は少し不愉快になって、「永沢さん、ゲームって、ちょっとひどいんじゃないですか?」と言った。この女の子だって、永沢さんのことが好きだから、大好きだからこんなふうにすぐに会いたがっているのに、それをゲームだなんて……。
「おやおや、わたなべ君。『ひどい』とはあんまりじゃないか」永沢さんはLINEでこの店の名前を彼女に送っていた。
「でも、やっぱり女の子と友だちになって、好きになって、それからやさしくして、結ばれるのが恋愛じゃないんですか? 非モテコミットとかフレンドシップ戦略と永沢さんは馬鹿にしますが、たとえば『世界の中心で、愛をさけぶ』というラブストーリーでは、まさに友情から恋に発展し、そして、ひとりの女性を愛し続ける、死んでしまったあとでさえ、ずっとずっと愛し続ける、という話じゃないですか。ドラえもんのしずかちゃんだって、最後は、何の取り柄もなかったけどずっと一途だったのび太を選ぶんですよ。やっぱり、非モテコミットでも何でも、本当に愛し続ければ、いつかは報われるんじゃないですか?」
「だったら、そんなわたなべ君に、女たちはどうやって報いてきたと言うんだい? 現実はフィクションのようにうまくいったのか?」
僕は黙った。
永沢さんの言うとおりだった。好きになった女たちが僕にしたことは、ひどい仕打ちだけだ。女たちは、永沢さんみたいないけ好かない男たちに、みんな持っていかれた。
「もうすぐ、この彼氏持ちの女は俺に会いに来る。おそらく彼氏とのデートを切り上げて」
麻衣子が僕とのディナーのあとに、急に用事ができて帰ってしまったことが幾度となくあったことを思い出した。
「永沢さん、僕に恋愛工学を教えてください!」
「なぜ、教えてほしいんだ?」
「やはり、女の子を幸せにするには、まずは僕自身がモテないといけない。そのためには、僕も力をつけないといけないと……」
「ん? 何を言ってるのか、よくわからないな」
「永沢さん、僕、永沢さんみたいに、女に求められたいです。セックスがしたいです!」
「わかったよ」永沢さんは静かにうなずき、射るような視線で僕の目を見た。「ただし、条件がある」
「なんでも言ってください」
「いまから言う、ふたつのルールを絶対に守ってもらう。いいか」
ルール#1 恋愛工学のことは決して人に言わないこと
ルール#2 俺がなぜ恋愛工学なんてものを知っているのか決して聞かないこと
「恋愛工学のテクノロジーは特許じゃ守れない。たくさんの男が恋愛工学を使えば、その優位性は薄れてしまう。だから、これから教えることは、俺たちだけの秘密だ。それに、俺たちが会社が終わったあとにこんなことをしているなんて、人に知られても何もいいことはない。わかるな?」
「もちろんです」
「よし」と永沢さんが力強い声で言った。「お前の場合は、まずは試行回数が決定的に少ない。これを圧倒的に増やそう」
「それは僕も常々思っていたことです。永沢さんが、僕を合コンに呼んだりしてくれるんですか?」
「そんなふうに魚を直接やったりなんかしない。俺がお前に教えてやるのは、魚の釣り方のほうだ。まずは50人にトライだな」
「えっ。1年に3人やそこらだったのが、1年に50人もですか?」
「いいや。1日に50人だよ」
(第一章終わり)
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続きは、書籍でお楽しみください!
『ぼくは愛を証明しようと思う。』目次
プロローグ
第1章 非モテコミット
第2章 出会いのトライアスロン
第3章 はじめてのデート
第4章 恋愛プレイヤー
第5章 Aを狙え
第6章 星降る夜に
エピローグ