成果が上がらないとき、やる気がないとき、いいアイデアが出ないとき、つい、ビジネス書に助けを求めてしまう方も多いでしょう。でも、ビジネス書を読んだだけでは、ビジネスのこと、仕事のことがすべてわかるわけではありません。本連載では、「一見ビジネス書には見えないけれど、実はすっごく仕事に役に立つ!」という本を選りすぐってご紹介。仕事のヒントは、思いもかけないところから吸収できます。
第3回は、一見タレントのトレーニングエッセイ本に見える『優雅な肉体が最高の復讐である。』(武田真治著)ですが――。『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』の著書もあり、ビジネス書の目利きであるライターの漆原直行さんは、ビジネス目線でどう読み解くのでしょうか。
■本書の新たな魅力
一見、かつて華奢だったタレントがいかに自らの肉体を鍛えかを綴ったトレーニングエッセイ。しかし、本書が放つ言葉は自分の中にある慢心、欺瞞を浮き彫りにする。自分が仕事に手を抜いていると思ったとき読めば、背筋が伸び、緊張感が戻ってくること間違いなしの本でもある。
反マッチョ志向の肉体エッセイ
ビジネスパーソンたるもの、自分の肉体をマネジメントするのも仕事のうち──そうした考え方が流布されるようになって久しい。
いわく「アメリカでは、肥満の人は自己管理能力が足らないと判断され、出世することができない」とか、「運動習慣がなく、食生活も行き届かない不摂生な人間は、仕事もストイックに取り組めず、アウトプットも雑である」とか、「健康的な生活を送る意識が持てないと、ビジネスでは成功できない」といった形で、ビジネスパーソンと健康を関連づけた、さまざまなアジテーションが声高に叫ばれている。
今回紹介する『優雅な肉体が最高の復讐である。』も、広い意味ではフィジカルトレーニングに関する本だといえる。しかし、この世に存在する多様なトレーニング関連書籍とは、決定的に違う特色を備えているのだ。その手の本にありがちな、アジテーションが皆無。危機感を煽り、首根っこを捕まえるようにして禁欲的なトレーニングを強制する居丈高な姿勢も、「身体を鍛え上げなければ成功者にはなれない」といったマッチョ志向に基づく自己啓発的言説も、一見ロジカルに説明しながら我流の方法論を押し付けるような傲慢さも、一切見られない。
中身もさぞやマッチョイズムに充ち満ちていて、筋肉礼賛で、全身をくまなく鍛え上げるトレーニング量と方法論ありきのストロングスタイルな内容かと思えば、さにあらず。武田氏が推奨するのは、縄跳びと、ジョギングと、ベンチプレスのみ。それも、著しくレベルの低いところから、自分のペースで続けられるローインパクトなトレーニングだ。
ハッキリ言ってしまうと、アバウトなところはとことんアバウト。下手に食事制限などに血道を上げてストレスをためるくらいなら、自分の食べたいモノを食べたいだけ食べて、その後、動けなくなるくらい無邪気にトレーニングしたらいいのだ、と提案する。実際、自身も「お酒を飲むときは倒れるまで飲むし、締めのラーメンは汁まで飲み干します」と告白している。
たとえば、本書の「イライラしないでヘラヘラする」というパートに、次のような一節が登場する。運動習慣がなかった人は、ジョギングやベンチプレスなどを始める前に、まずは縄跳びを100回、ノーミスで飛べるようになりましょうと推奨する武田氏。それに続く文章だ。
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できないことにイライラする必要はありません。むしろヘラヘラと笑いながら、何度でもトライする無邪気で小さなおバカさんでいてください。イライラしてもできるようにはなりませんし、何をするにしても負の感情を野放しにして人は成長できないのです。
そして安心してください。人は無意識のうちに工夫する生き物です。毎日やっていれば、1週間くらいでなんとなくできてしまうはずです。(中略)「できて当たり前」感を自分の中に感じたら、レベルアップのタイミングです。
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一貫して穏やかな筆致。ストイックさを強制するわけでもなく、それでいて楽をするための小賢しいテクニックを吹聴するわけでもなく、極めて真っ当で、身の丈感のある言説。読み進めるにつれて、その清々しさに魅了されてしまうことだろう。
一方で、「負の感情を野放しにして人は成長できない」のように、気づきを与えてくれる印象的なフレーズが、本書全体に散りばめられているのも魅力だ。ともすると〈いかにも芸能人らしい自己愛過多な美学を、耳障りのよい言葉で語っているだけじゃないか〉……そんなふうに捉えてしまう人も出てくるかもしれないフレーズが、次々に登場する。見方を変えるなら、こちらが気恥ずかしくなるほど純粋で生真面目なのだ。
が、全編をつぶさに読み解いていくと、その根底には自身の挫折やコンプレックス、周囲の色眼鏡や誤解に対する葛藤、過去の自分の言動に関する含羞や慙愧(ざんき)の念といった赤裸々な思いがあり、それをどう乗り越えていったのかというシビアな克己の歩みが隠されていることに気づかされる。この本で綴られているのは、美学というより、武田氏の苦悩とそこから導き出された哲学と解くほうが適切だろう。
服の下に隠された厚い胸板が持つ説得力
身体を鍛えていることは、自分だけの秘め事としておき、周囲に言いふらさないほうがよい。周囲に“鍛えている自分”をアピールし、肉体を披瀝し、称賛を得ることにモチベーションを置いてしまうと、褒めてもらえなくなったときに、鍛えることを怠るようになってしまう──武田氏はそのように諭す。
そして「フォルムは性能を表す」というパートで、このように語る。
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世間には肉体を披露していないのに、気づいてくれる人はちゃんと気づいてくれる。
(中略)
僕は身体のフォルムをキレイに見せるために、鍛えているつもりはありません。あくまで性能を高めたいのです。
逆に言うと、肉体の性能を高めれば、フォルムは勝手についてくるもの。速くもないのに速そうなカタチをしている車にはハリボテ感があります。人の身体も同じでフォルムだけを整えようとしてもダメ。性能を高めたときに後からフォルムがついてきます。
もちろんフォルムの変化は、辛いトレーニングの最大のご褒美の一つになりますが、ご褒美を先に手に入れることはできません。
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甘く端正な面差しは一見、フェミニンな印象すら醸す。小柄で細身な体躯は、ときに小動物のような優しさを放つこともある。しかし、服の下に隠されたその腹筋は、磨き上げられたナイフのように鋭利であり、その胸板は屈強な強者をも黙らせてしまうほどのたくましさをたたえている。もはや、これほどの説得力はない。
文章からもそうした説得力が滲み出ており、本書全体が箴言集のようなオーラを放っているといっても過言ではない。
ラ・ロシュフコーの箴言に通じる強い言葉たち
「完全無欠な武勇とは、人前ならやって見せられるであろうことを、誰も見ていないところですることである」
これは『ラ・ロシュフコー箴言集』に登場する一節だ。先ほど、武田氏の本を箴言集と評したのは、ロシュフコーの本の中にこの一節を見つけたからでもある。
ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世は17世紀を生きたフランスの貴族であり、モラリスト文学者だ。彼の書き残した『箴言集』は非常に辛辣で、ある種の毒気すらまとっているが、「なるほど」と膝を打つようなフレーズに溢れており、現代にも通用する格言・箴言に満ち溢れている。後の自己啓発書やビジネス訓話の文脈にも多大な影響を与えており、愛読している経営者やビジネス理論家も多い。
いくつかのフレーズを紹介しよう。
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賢者を幸福にすることはほとんど何も要らないが、愚者を満足させることは何を以てしてもできない。ほとんどすべての人間がみじめなのはそのためである。
情熱はしばしば最高の利口者を愚か者に変え、またしばしば最低の馬鹿を利口者にする。
われわれを幸福にするために肉体の諸器官をかくも巧妙に組織した自然は、どうやらそれと同時に傲慢を与えて、われわれが自分の不完全さを知る辛さを味わわずにすむようにしたらしい。
狡知は小知に過ぎない。
自己愛という邪魔もののために、われわれを嬉しがらせるどんな人も、われわれを最も嬉しがらせる人には決してなれない。
節制とは健康を愛すること、もしくはたくさん食べる力がないことである。
人は皆、相手が自分の中に見つけるあらを相手の中に見つける。
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辛辣だと評されることの多い『ラ・ロシュフコー箴言集』だが、見方を変えれば、茶目っ気やウィットを感じさせるフレーズとして読み解くこともできる。そうした茶目っ気であったり、何気ないふうを装って含蓄のあるフレーズを読者に刻み込む、言葉そのもの強度であったり、『優雅な肉体が最高の復讐である。』と『ラ・ロシュフコー箴言集』には、思いのほか相通じるものがあるように思えてならない。
『優雅な肉体が最高の復讐である。』と『ラ・ロシュフコー箴言集』から得られるのは、自分の中にある慢心への警句だ。自分を大きく見せよう、賢く見せようと狡猾に立ち回ったり、大言壮語を口にしてしまったりすることの欺瞞性に気づかせてくれる。ときおりページを開いてみると、思わず背筋が伸びてしまうような言葉に出会えるはずだ。
ただのタレント本、フィジカルトレーニング本と思ってナメてかかると、足もとをすくわれてしまうだろう。ビジネスパーソンであれば、学ぶべきところの多い奇書である。
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見かけは違うけれど、実は仕事に役立つ本
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