初めてキャンティで食事をしたのは1975年、僕が25歳の時だった。イタリア料理専門店がまだ珍しかった時代である。連れていってくれたのは作詞家の安井かずみさんだった。
飯倉にポツンとあった店の2階に上がるとそこは落ち着いたピンク色に輝く空間で、一番奥の窓際の席に女優の加賀まりこさんが4、5人で食事をしているのが見えた。
その時食べたメイン・ディッシュはオーソ・ブッコ、パスタはスパゲッティ・バジリコで、それはしっかりと覚えているのに、飲んだワインやアンティパストを全く思い出すことができない。今のようにワゴンに載せた数十種類のアンティパストの中から幾つかを選ぶシステムになっていたのか、メニューの中から何かを一品選んだのか、それともアンティパスト・ミストだったのか、どうしても浮かんでこない。
『キャンティ物語』の中にも重要な役割で登場するウェイターの石井さんが強くオーソ・ブッコとスパゲッティ・バジリコをすすめてくれて、多分その二つが印象に残ってしまったのだろう。とにかく、デザートまで全ての料理が初めて経験するくらいの美味しさだった。次々に入ってくるどこかで見覚えのある客たちはそれぞれのテーブルの誰かと必ず知り合いのようで、僕が今まで行ったレストランとは全く違った雰囲気を醸し出していた。
以来、僕は仕事の打ち合わせと称してキャンティに通い続けた。西麻布に支店ができてから専らそちらが多くなったが、キャンティで過ごす時間は他のイタリア料理店とは違う独特の匂いがあって、大事な時はいつもキャンティと決めていた。
本書を読んでいただければ一目瞭然であるが、名だたるレストランは一朝一夕には成立しない。たくさんの人々の想いとセンス、そして技術が時間をかけて醸成されてやがて馥郁たる一本の銘酒のように生み出される。そして時を経た今もなお生き物のように微妙に変化していく。料理、酒、インテリア、サービス、オーナー、客、そのどれかひとつがちょっとずれても雰囲気は大きく変わってしまう。キャンティのように37年を経てもほとんど変わらない店というのは極めて珍しい。その理由は本書に余すところなく描かれている。変わらないということでキャンティは今も営業していながらまさしく"歴史"にもなりえているのだ。
五木寛之、坂本龍一、尾崎豊、吉川晃司、郷ひろみ、二谷友里恵、篠山紀信、松任谷由実、内館牧子、石原慎太郎、中上健次、村上龍、吉本ばなな、山田詠美、銀色夏生、森瑤子、林真理子、斉藤由貴、高木美保、小野みゆき、ビートたけし、宮沢りえ、楠田枝里子、黒木瞳、田中康夫、沢木耕太郎、小林麻美、藤真利子、桃井かおり、草刈民代、周防正行、森田芳光、田辺昭知・・・・・・。僕がキャンティで一緒に食事をした日本のきらめく才能は数え切れない。その食事のひとつひとつを思い出すことによって僕は自分の仕事と私生活のひとつひとつをかなり正確に思い出すことができる。
そのキャンティをいつしか僕はストーリーにして、出版したいと思い始めていた。折しも自分たちの出版社を起こしたばかりの時だった。『キャンティ物語』の作者となった野地秩嘉とは長年の友人だったが、不覚にも彼が『キャンティ物語』を書き始めているとは知らなかった。開店30年を記念して常連客のみに配った『キャンティの30年』という豪華本の編集に関わった彼は、キャンティの創立者である川添梶子と川添浩史の出会いから始まるキャンティの長い物語に着手していたのだった。大手出版社から出ることになっていたその作品が設立間もない幻冬舎から出版できることになったのは幸運としか言いようがない。強いて言えば僕のキャンティへの強い想いを作者が汲んでくれたということになるのだろうか。
「この本は見城さんのところで出して頂くのが一番幸せだと思います」
と言った野地秩嘉の言葉を自分の編集者生活20年の総決算として僕は聞いた。僕の編集者生活は、オーバーに言えば、キャンティとともにあったのだった。ここで僕は恋をし、仕事を決め、その時その時にぶち当たるさまざまな問題を抱えながら酒を飲み食事をしたのだ。新しく出版社を始めた直後に紆余曲折を経て、この話が決まったのは何かの運命のような気がして、僕にとって感慨深いものがあった。
かまやつひろしさんは単行本の推薦文でこう書いている。
「ふと見ると隣の席では、フランク・シナトラやマーロン・ブランドなんかが食事してる。僕ら若憎は震えながら挨拶し、いろんなことを教わった。それはあたかも、真夜中の学校のようだった。」
僕にとってもキャンティは真夜中の学校だった。
世界的レーサーだった福澤幸雄の死をプロローグに、「光輪閣」の支配人やアヅマカブキのプロデューサーとしてコクトー、カミュ、キャパらと親交があった国際人川添浩史と、19歳でイタリアの彫刻家エミリオ・グレコに弟子入りした梶子との世界を駆け巡る恋、キャンティの開店から日本の文化シーンに深い影響を与えた店の成り立ちと客たちの青春、そして、浩史それに続く梶子の死に至るまでを作者は極力自分の感情を排した低いトーンで淡々と描いていく。その手法が思い入れたっぷりに描くよりもそれぞれの登場人物に陰影を与え、「レストランとその時代」という、描くことが極めて困難な対象をモノクロームのドキュメンタリーの映像のように映しだすことに成功している。
精緻な取材と膨大な資料の収集に数年を費やしたというが、それに裏打ちされながらストーリーはごく自然にあるがままのフィルムのように流れていく。僕のようなキャンティに想い入れのある人間にとってはそれが思いこみのないリアルなキャンティの姿を甦らせてくれて、かえって想像を掻き立てられる。
作者が感情を少しだけかいま見せるところがある。
「すべてが豊かになった現在、『キャンティ』以上に本場のパスタやワインを供し、『キャンティ』以上に趣味の良いインテリアを持つ店はいくらでもある。しかし、そうした店のなかで、時代の空気を感じながら、未来を見つめる種々雑多な人間が集まっているところがどれくらいあるだろうか。有名人や金持ちより無名の若者に優しく接し、彼の肩をたたいて元気づけてやる主人が、はたして何人いるのだろうか。
『キャンティ』とは一軒のイタリア料理店を指すのでなく、そんな人々が集まったあの時代の、あの空間だけを指すのだ」
まさしく〈そんな人々〉〈あの時代〉〈あの空間〉を作者は見事に描き切っている。
安井かずみさんの訃報に接したとき最初に思い浮かべたのは初めてキャンティで食事をしたあの日の情景だった。彼女は〈あの時代〉〈あの空間〉を生きた〈そんな人々〉の一人だった。
人は生まれ、それぞれの生を営み、やがて死を迎える。しかし、何に対してであれ真摯に立ち向かったそれぞれの精神は次の世代に記憶され、受け継がれて新たな創造を刺激する。
その時、本書に息づいている川添浩史・梶子夫婦と客たちが作り上げたキャンティの伝説は現在進行形となって〈いま〉と〈いまの人々〉に彩りを与え続けるのである。
(平成9年8月25日発行 幻冬舎文庫『キャンティ物語』解説より転載)