写真は日本の記憶――。
私たちは普段、新聞やあらゆるメディアで写真を目にしています。教科書などで見慣れた写真、見たことのない写真、それぞれに収められた決定的一瞬。その1枚1枚に秘められた意味と背景がそこにはあり、それを伝えるのが報道写真です。
戦後70年の今年、日本最大のニュースネットワークである「共同通信社」も、同様に創立70年を迎えます。戦後70年の日本の歴史を記録し続けてきた写真の保有数は2000万枚。その貴重なアーカイブと全国55の新聞社から発掘、厳選して綴る年代記「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」。
連載第4回目は、『ザ・クロニクル 戦後日本の70年』の表紙写真より、戦後からこれまでの日本の歩みを振り返ります。報道写真が語る当時のそれぞれの日本の姿をご覧下さい。
79年ごろには東京で代々木公園や通称「ホコ天」といわれた原宿の歩行者天国に、原色の派手な衣装を着て集団で踊る若者たち「竹の子族」が現れた。【第7号(1975-79)より】
1982年2月8日未明、東京都千代田区永田町のホテルニュージャパン9階客室から出火し、昼ごろまで燃え続けた。9、10階を中心に焼く4200平方メートルを焼失した。【第8号(1980-84)より】
バブルの乱舞。米国の象徴ともいえるニューヨークのロックフェラー・センターやコロンビア映画などの買収は米国民の反感を買い、ジャパンバッシングが巻き起こった。【第9号(1985-89)より】
89年11月のベルリンの壁崩壊からわずか11ヶ月で東西ドイツが統一を達成し、「ドイツ共和国連邦」が4誕生した。ベルリンのブランデンブルグ門広場には大勢の市民が繰り出し、新しいドイツの誕生を祝った。【第10号(1990-94)より】
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県の淡路島北部を震源地とするマグニチュード7.3の地震が発生し、神戸市などで観測し蒸発の震度7を記録した。死者6434人、重傷者約1万人、被害家屋は焼く64万棟に上った。【第11号(1995-99)より】
沖縄サミットでの歓迎夕食会前に首里城をバックに記念撮影に収まるG8各国首脳ら。左からブレア英首相、クリントン米大統領、金田のクレティエン首相、ドイツのシュレーダー首相、森首相、ロシアのプーチン大統領、EU欧州委員会のプローディ委員長、イタリアのアマート首相、フランスのシラク大統領=2000年7月22日【第12号(2000-04)より】
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続きは、戦後70年を14冊で振り返る「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」をご覧下さい。
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