大ヒットシリーズ「思い出のとき修理します」の著者・谷瑞恵さんの最新作「がらくた屋と月の夜話」が好評発売中です。仕事も恋も上手くいかない主人公つき子が、「河嶋骨董店」に辿り着くところからお話が始まります。がらくたばかり置いてあるその店は、モノではなく、ガラクタに秘められた”物語”を売っている所でした。第1回に引き続き、つき子はがらくた屋の老人と次第に距離を縮めていきます。こちらから、第2回をお楽しみください。
「ゴミ屋敷?」
つき子の話を聞いていた米村成美は、そこに反応して問う。つき子が、トランクの老人の家をそう表現したからだった。
「どう見てもそんな感じ。粗大ゴミや段ボールが玄関前をふさぎそうになってた」
オフィス街に近い駅前のカフェは、昼休みのサラリーマンやOLで混雑している。通りに面したカウンター席で、つき子は成美と待ち合わせて、一緒にランチをとっていた。成美は学生時代からの友人だ。彼女が勤める会計事務所と、つき子がどうにか事務職を得たビル管理の会社とが近くにあるため、ときどきこうして会っている。
制服姿のつき子とは違い、黒いスーツに身を包んだ成美は、いかにもできる女といったふうだ。つやつやしたストレートヘアも手を抜いていない。一方でつき子は、肩までのくせ毛をもてあましつつも、とくに手をかけてはいない。小学生のころから変わりばえしない髪型だ。ときどき自分でもどうかと思うが、それはともかく、成美が見かけだけでなく、しっかり者で頼りになるのは昔からだった。
「あやしい話よね。ぼろぼろの水差しが売り物って? 店の手伝いって大丈夫なの? 危険なんじゃない? やめておけば?」
このまま約束を破っても、とがめられることはないだろう。老人はつき子がどこの誰だか知らないのだ。けれど名前を訊かなかったのは、詫びたつき子を信用したのではないだろうか。口約束だけでもちゃんと手伝いに来ると、そう思われているのなら、約束を破るのは心苦しい。
「でも、危ない感じじゃなかったな。服装とか、身なりはきちんとしてて、言葉遣いも丁寧な人だったの」
「つき子はさ、そんなふうに隙だらけだから人に付け入られるのよ」
「え、付け入られてる?」
「そうよ。昔から、知らない人に声をかけられること多いでしょ?」
「道を訊かれるだけよ」
「それが多いっていうの」
郵便局はどこですか? 病院は? バス停は? 自分がよく道を訊かれるのは自覚していた。みんなそういうものだと思っていたが、違うと知ったのは成美に指摘されてからだ。歩き方に目的がなさそうだから声をかけられるのだ、とは彼女の分析だ。
「道くらい、訊かれたっていいじゃない。親切そうに見えるってことよ」
「頼まれごともすぐ引き受けちゃうでしょ」
確かに、周囲に頼まれごとをされやすいかもしれない。ちょっとお願い、と言われると、いやとは言えない。そうして結局、損なことを引き受けているところはある。
「昨日もさ、飲み会なんて断ればよかったのに。あきらかに人数あわせだったんでしょ? そしたらその、変な老人に会うこともなかったわけじゃない?」
「飲み会は、まあ、おいしかったよ。料理が」
つきちゃんがいると盛り上がるし、と言った同僚の希望通り、盛り上げ役に徹していた。場は盛り上がったようだったから、よかったと思っている。同僚たちは楽しそうにしてくれていたし、たぶん、役に立っている感じがするのは嫌いではないのだ。
「で、本当に手伝いに行く気?」
「じつはさ、昨日落とし物をしたの。老人のトランクにぶつかったときじゃないかなと思って。あのへんに落ちてるかもしれないし、昨日の老人にも訊いてみたいし」
「落とし物って、だいじなもの?」
「ん……、ちょっと高かったんだ」
「自分へのご褒美ってやつ?」
「まあね」
本当のところ、そんなかっこいいものじゃないけれど、つき子はごまかした。
ついてないという流れは、まだ尾を引いていたようだ。その日は午後になって携帯電話に届いたメールがつき子を困惑させた。
〝昨日はどうも。よかったら、近々食事でもどうですか?〟
簡潔すぎて、相手の顔が見えてこない文面だったが、それ以前に、つき子はまったくその人の顔が思い出せなかった。弓原、と名乗っているメールの文字を穴が開くほど見つめても、横にしても逆さまにしても、つき子の記憶にはない名前だ。しかし、昨日の飲み会にいた人なのは間違いなく、よく考えてみると、そこにいた男性の名前や顔を誰ひとり思い出せないことに愕然とした。
かすかにおぼえているのは、集まった男性陣がみんな公務員だと言っていたことくらいだ。
どんな人かわからないのに、食事の約束をする気にはなれない。いくら隙だらけの自分でも、ほいほいと出かけていくものではないことくらい承知している。何よりつき子は、今のところ恋愛をする気がない。何をするにも不器用で、間の悪い自分が、恋などしたらろくなことにならないだろう。
そう、浮かれた気分になったりしたらろくな結果にならないというのが、これまでの人生で得た教訓だった。とくに、異性に関しての失敗が目立っている。
中学生のとき、つき子に気があるかのように振る舞う男の子は、親しくなるとたいてい、友達が目当てだったと判明した。高校生のとき、はじめて告白されてつきあうことになった男の子には、ある日突然、「なんか違う」と言われてふられた。その後も似たり寄ったりだ。
だからメールのことも、あやしいDMでも開いてしまったような気さえして、頭から追い出すことにしたのだ。
しかしそれからも、いろいろと困惑する出来事は続いた。
定時で仕事を終えたつき子は、約束通り駅裏へと向かうことにしたのだが、昨日は酔っていたため、道順がよく思い出せなかった。目印になりそうな銭湯をさがして歩いていくが、古い建物と狭い道はどこもかしこも似通っていて、何度も同じところをぐるぐるとまわった。
高校らしい校門の前を通ったのは三度目だ。
だんだんと、昨日の老人や狭間の家は、本当に存在しているのだろうかと思えてくる。酔っぱらって幻を見ていたなんてことはないだろうか。
いや、昨日トランクに打ちつけたすねは、今朝大きな青あざになっていたのだから、すべては間違いなく現実だったはずだ。思い直して、つき子はちょうど通りかかった人を呼び止めた。コンビニの袋を提げていたし、近所の人だろうと思ったのだ。
「銭湯? あれだよ」
よく見ると作業着姿だったから、仕事中の人だったのかもしれないが、土地勘はあったようだ。その若い男は、上のほうを指差した。つられて見上げると、昨日とそう変わらないように見えるまるい月が、黒い影になった煙突に引っかかっていた。低い家並みが多いので、煙突はなかなか目立つ。あれなら迷うことはなさそうだと思いながら、つき子は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「今日は休みだよ、銭湯」
「あ、隣の家をさがしてたので、大丈夫です」
隣? と彼は急に怪訝そうになった。
「まさか、あのゴミ屋敷じゃないだろうな」
「知ってるんですか? そこの老人に用がありまして」
「ガラクタ屋の?」
「あ、ガラクタ屋さんなんですか」
それでゴミみたいなものがトランクに詰め込まれていたのか、と納得していいのかどうかわからずに、つき子は首を傾げた。
ガラクタ屋という商売は普通にあるのだろうか。ものにあふれた現代で、ガラクタが商品として成立するのだろうか。ますます疑問が頭に浮かぶ。
「ガラクタ屋に何の用なんだ?」
男は、つき子を上から下までじっと見た。いかにもOLといった若い女と、老人のガラクタ屋は結びつかなかったのだろうか。
親切なのか失礼なのかよくわからない彼は、初対面なのにやけにくだけた口調だ。とはいえ、誰彼となく気安く話しかけられるのは、つき子にはよくあることだった。
「ええちょっと、手伝いを頼まれまして。今日だけなんですが」
彼は、今度は眉間にしわを寄せた。
「ふーん、ああいうものに興味あるんだ」
「興味というわけでは」
なぜ、道を訊いただけの人とこんな話をしているのだろう。不思議に思うが、彼はまた問う。
「トランク、見なかった?」
「古くて大きなやつですか? ガラクタがたくさん入ってましたけど」
「あんたさあ、あれに入りそうだよな。詰め込まれて連れ去られないよう気をつけたほうがいいぞ」
まさか、と思いながらも、急に不安になってくる。トランクは、小柄な女なら入れそうな大きさだった。人通りも少ない路地裏で、ガラクタを売る老人の目的は、本当は人さらい?
「あの、もしかしてそういう噂でも?」
うろたえるつき子をじっと見て、彼は急に笑い出した。
「なあ、だまされやすいタチじゃない?」
くすくす笑いながら、男は去っていった。
からかわれたと、だんだん理解するとともにむかついてくる。昨日から妙なことばかりだ。鈴カステラの店が見つからないばかりか、そもそも駅の裏側へ来たのが間違いだったのだ。早くここから抜け出したほうがいいのではないか。
ガラクタ屋の手伝いなんてやめて、帰ろうか。悩んだまま突っ立っていたとき、背後から声がした。
「おや、道に迷いましたか」
チェックの帽子をかぶった、昨日の老人が立っていた。
「こちらですよ」
と手招きする。
「……すみません」
結局ついていくことになっていたが、落とし物をさがさなければならないのだから、どのみちこのまま帰るわけにはいかなかった。
老人について歩き、ふたつほど角を曲がると、煙突が間近に見えてくる。その隣にある間口の狭い民家に、老人はさっさと入っていった。
家の中は、昨日とは違い明かりがともっている。戸口から漏れる光は、玄関前の段ボールや粗大ゴミを目立たせ、さらに異様な感じがする。そこには折れたトーテムポールや壊れた窓枠や、クローゼットの扉みたいなものまであった。
道ばたに突っ立って、ぼんやりと眺めていると、古い家そのものまでガラクタのように見えてくる。格子の入った引き戸も、蛍光灯のランプを飾る透かしの金具も、ゆがんだ屋根瓦も、うち捨てられて朽ちるのを待っているかのようだ。伸び放題の植え込みだけが生き生きとして、ますます廃墟じみている。両隣にせまる銭湯もアパートも年季が入っているが、それ以上にここは、降り積もった時間に押しつぶされてしまいそうだった。
「そこの段ボールから、陶器やガラスを取り出して、こちらの箱へ入れてもらえますか。隙間に新聞紙を詰めてくださいね」
再び戸口へ現れ、老人はつき子を手招きした。彼が指差した段ボールを開くと、やはりというかガラクタが詰め込まれていた。
欠けたティーカップ、ぼろぼろの本、錆び付いた錠前にペンチ、どこの誰だかわからない人物が写ったセピア色の写真や、色あせたテーブルクロス、とにかくゴミにしか見えないものばかりだ。
けれど、こんな場所へ引き寄せられた自分も、ガラクタみたいなものではないだろうか。ひとつひとつ取り出し、壊れ物とそうでないものとを仕分けしながらふと思う。動かないラジコンカー、耳が取れたぬいぐるみ、そんなふうに、自分もどこか壊れていて、もう新品じゃない。
「あの、昨日わたし、落とし物をしたんですけど、このへんに指輪は落ちてなかったでしょうか?」
つき子は立ち上がり、建物の中にいる老人に向かって声をかけた。何のためにここへ来たのか、自分に言い聞かせることで妙な考えを追い払いたかった。
「さあ、気づきませんでしたね。持ち主を待っている落とし物なら、ここにもたくさんありますけどね」
声だけが返ってくる。
ここにあるものに、持ち主なんているのだろうか。見回して、つき子はため息をつく。
「そういえば、家の前に落ちていたからここのだろうと、知人が何やら投げ込んでいきましたけど。……指輪ではなくて、ネックレス、と言っていたような」
「それ! ネックレスのチェーンに指輪が通してありませんでした? サファイアの指輪なんです」
「ちょっとわかりませんね」
「さがしてもいいですか?」
「どうぞ。懐中電灯を貸しましょうか?」
明るいのは街灯の下くらいだ。ここも、玄関のランプひとつしかなく、少し視線を動かせば暗がりに包まれている。
「やっぱり、明るい時間に来てみます」
まったく、落とし物をさがすなら夜は不向きだと気づかなかった自分にあきれる。しかし昼間でも、指輪を見つけるのは至難の業だろう。ガラクタだらけのそのへんをかき分けなければならないのだ。うんざりするが、ここにあるのが確かなら、さがすしかない。
「では行きましょうか」
再び外へ出てきた老人は、つき子がまだ段ボールのものを仕分けしているにもかかわらずそう言った。
「今度はこちらを手伝ってください」
段ボールのそばに置いてあったトランクを、「よいしょっ」という掛け声とともに持ち上げる。
「あの、どこへ行くんですか?」
「売りに行くんですよ」
歩いたのは十分くらいだった。小さな児童公園へ、老人は入っていった。
古い長屋が並ぶ一画に、いびつな形の空き地があり、シーソーや鉄棒が黄色っぽい街灯に浮かび上がっている。回転式ジャングルジムの前にトランクを置くと、老人は商品を陳列するかのように中のものを見栄えよく整える。とはいえもともとガラクタだから、やっぱりゴミを並べたようにしか見えない。
「わたしは何をすればいいんでしょうか」
「商品を物色するふりをお願いします」
「サクラですか?」
「まあそうです」
確かに、先客がいたほうが通行人が足を止めやすいだろうけれど、そもそも通行人らしき影もない児童公園だ。道路のほうへ視線を動かしても、通りかかる人さえまれなのではないだろうか。少なくとも今は誰もいない。
それでも老人は、悠長に座り込んで、ポケットから棒つきキャンディーを取り出した。
「あなたもいかがですか?」
「いえ、わたしは」
「そうですか」
それからは、ずいぶん静かな時間になった。
こんなに静かな場所が、都会にあるとは知らなかった。つき子の自宅マンションでは、夜中でも近くの道路を通る車が絶えず、何かしら雑音が聞こえている。そういうものだと思っていたから、そよ風の音だけが聞こえる静けさは、やわらかな膜に包まれているかのように感じられ、不思議な安心感をもたらした。
トランクの前に座ったまま視線を上げると、回転式ジャングルジムが大きな地球儀みたいに見えた。その上方には、同じように球形の月が浮かんでいる。公園の上は電線がなく、月だけがある。その光が明るいせいか、星は見えない。
月と地球とガラクタ売り。つき子の目には、想像したこともない情景が映っている。現実離れしていると思えば、最初の戸惑いも、自分の落とし物のことも忘れ、好奇心でいっぱいになっていた。
なぜここで老人は、ガラクタの露店を開くのだろう。なぜ夜なのだろう。本当に買いに来る人がいるのだろうか。
次回は、10月19日(月)公開予定です。