現在、コラムニストとしてだけではなく、コント作家、脚本家、舞台のプロデューサーなど、多方面で活躍中のワクサカソウヘイさん。
そのワクサカさんの新刊『男だけど、』が、とにかく笑える、共感できると好評発売中です。刊行を記念して、本の読みどころを一部ご紹介します。
第2回は、日本のパワースポットの最高峰、出雲大社への旅・前編。食べ終わったモロゾフのプリンのガラス容器を捨てられないワクサカさん。出雲大社への旅は、プリン容器を襲った悲劇から始まります。
* * *
その日、その朝。僕は元気がなかった。
仕事に倦み疲れていた。
早朝になって、なんとか終えた、長い原稿仕事。ノートPCの電源を切ると、その真っ黒になった画面に、己の小汚い青ヒゲ面が映り込む。
QRコードにそっくりな自分の顔面の様に驚き、慌ててPCを閉じた。そしてそのまま風呂場へと直行し、熱いシャワーを全身に叩きつけるようにして浴びた。
こするように顔を洗い、ヒゲを丁寧に剃る。清潔さを取り戻すと、ようやく心は穏やかになった。
風呂上がり、パンツ姿のまま台所に向かうと、思わず口笛も飛び出す。思いつきで吹いたそのメロディをよくよく辿るとドリカムの曲だったので、自分に引く。
その恥ずかしさを打ち消すかのように勢いよく冷蔵庫の扉を開き、モロゾフのプリンを取り出し、食べ始める。
この辺りになって、内面に眠っていた“女の子ちゃん”がやっとのそのそ目を覚まし始める。
(なんか、疲れちゃったね)
“女の子ちゃん”が、僕に話しかけてくる。
(いつも、おつかれさま)
“女の子ちゃん”が、僕の労をねぎらってくれる。
(がんばった自分に、ご褒美をあげなくっちゃね)
“女の子ちゃん”が、そんな提案を僕に持ちかけてくる。
(どこか旅に出たいな、『ことりっぷ』を小脇に抱えて)
それは、素敵なアイディアだ。
(行くだけで元気になれるところ、ないかな)
プリンの容器を水で洗う僕に、“女の子ちゃん”が囁き続ける。
(やっぱり、パワースポットかな)
洗ったプリンの容器を、調理台の上に並べる。容器は窓から差し込む朝日を受けて、キラキラと輝いていた。
そのプリンの容器を収めようと、戸棚を開ける。戸棚の中には、すでに収納されている一〇個ものプリンの容器たちが新入りを待ちかまえていた。
ああ、モロゾフのプリンのガラス容器の、捨てにくさよ。もし僕が、ただの男らしい人間だったのなら。プリンを食い終わった瞬間に窓から道路へとガラス容器を叩き捨て、散らばった破片に右往左往する登校児童を眺めながら「ガハハ」と高笑いのひとつでもするのに。
悲しいかな、“女の子ちゃん”を心に宿している僕は「いつかこの容器に、道で咲いてる名もなき花でも生けようっと」などと夢想し、いつまでもそれら容器を捨てられないでいた。
“女の子ちゃん”と生きている自分の運命を軽く呪いつつ、戸棚にその洗いたてのプリン容器を置いた。
その瞬間、悲劇は起きた。棚の底板のネジがひとつ外れていたことを忘れていた僕は、よりによって一番重みを与えてはいけない場所にその容器を「ずどん」と置いてしまったのだ。とたん、底板はバランスを失い、大きく傾いた。そしてガラスの容器たちが、滝のように床へと流れた。ドリフの場面転換でかかる「ちゃっちゃっちゃっちゃんちゃかちゃっちゃっちゃんちゃかちゃっちゃつっちゃっちゃ」という曲が自然と頭の中に流れた。
一瞬にして割れた容器の破片たちが、床の上でまた朝日を受けてキラキラと輝いている。呆然とそれをしばし眺めたのち、ようやく我に返った僕は
「……神も仏もないのか」
と徹夜明けの頭で我が身を呪った。
(そうよ、神も仏もないのよ)
と“女の子ちゃん”が鞭を打つようなことを言う。
(……そうだ、神も仏もないのなら)
だるい身体をひきずりながら、ホウキで破片を掃きつつ、僕と“女の子ちゃん”は思いつく。
(こっちから神様に会いに行こう)
(それがいい。そうしよう)
こうして今回のご褒美旅の行き先が決まった。
そこは、パワースポットの最高峰、日本中の神々が神無月に大集結すると言われる、島根県は出雲大社。
“女の子ちゃん”が言うところの、「行くだけで元気になれるところ」である。
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次回は11月1日(土)更新予定です。
男だけど、カワイイものが大好きだ。
「カワイイ」は、女子だけのものじゃない! 新進気鋭のコラムニスト・ワクサカソウヘイによる、カワイイを巡る紀行。