11月8日に投票が行われたミャンマーの総選挙の集計が進むなか、アウン・サン・スー・チー氏率いる野党NLD=国民民主連盟が国会の過半数を制し、政権交代が確定しました。。長く軍事政権下にあったミャンマーで民主化運動を率いてきた、スー・チー氏。彼女はミャンマー国民にとってどのような存在なのでしょうか? 今こそ知りたい、ミャンマーの歴史、スー・チー氏と国民の関係を『ミャンマー経済で儲ける5つの真実』から抜粋してお伝えします。
経済成長の裏に残る民族・宗教問題
2013年5月、日本国首相として36年ぶりにミャンマーを訪れた安倍晋三首相はテイン・セイン大統領と会談し、ミャンマーの経済成長への支援を約束しました。具体的には企業の進出の障壁にもなっている電力不足の解消に向けて、2030年までに同国全土の電力開発の基本計画の立案や、ミャンマーに対する債権5000億円の全額返済免除、1000億円規模の政府開発援助(ODA)などを表明しました。
また、安倍首相の訪問と同時に日系企業・団体約40社の代表がミャンマーを訪問しています。現地では安倍首相を筆頭に両国の経済関係者約540名が出席したセミナーが開催され、ミャンマーの発展に向けた日本企業への期待や、日本企業ができる協力について意見が交わされています。
国民レベルでの良好な関係を基盤に、新たなスタートを切ったこの国に日本政府・民間企業が一丸となって支援・協働を続けることで、日本の巻き返しが見られることを期待しています。
しかし、未だにミャンマー国内には解決すべき問題が残っていることも忘れてはいけません。
国内の民族問題、宗教間の争いもその一つです。
2012年6月、ミャンマー西部のラカイン州で仏教徒とイスラム教徒の衝突が起きました。イスラム教徒であるロヒンギャ族の若者による仏教徒の女性への暴行がきっかけとされています。報復として仏教徒はロヒンギャ族の乗ったバスを襲撃し10人を殺害。これを受けロヒンギャ族は仏教徒の村を次々と襲撃し住宅や店舗に放火、7人を殺害しました。テイン・セイン政権は発足後初の非常事態を宣言。軍隊が出動し厳戒態勢を敷く事態にまで発展しました。
さらに2013年3月、ミャンマー中部マンダレーのメティラで仏教徒とイスラム教徒の衝突が起きました。きっかけは商店でのいさかいでした。店主のイスラム教徒と客の仏教徒が口論の末に殴り合いに。そして両宗教を巻き込んだ報復の応酬へと発展したのです。政府は夜間の外出を禁止するほど緊迫した状態が続き、一連の騒動で40人もの人が亡くなりました。そして数千人規模の難民が発生しました。
前述したロヒンギャ族の人々はミャンマー国内に約80万人が暮らしています。しかし、彼らはミャンマーでは市民権を持たない「無国籍者」として扱われています。ミャンマー政府はバングラデシュからの不法移民だと主張。軍事政権時代から不当な扱いを続けてきました。一方のバングラデシュでもロヒンギャ族は受け入れられず、難民として逃れてきた人々はミャンマー側から再び追い返され、あるいは国境付近の難民キャンプでの生活を余儀なくされています。さらに過去にはタイにボートで逃げ込んだ人々が受け入れを拒否されたばかりか、あろうことか暴力を加えられた上、十分な水・食料がない状態で再び海上に戻されるという痛ましい事件も起きています。
ミャンマーは多民族国家です。約70%がビルマ族で135もの少数民族が暮らしています。宗教で見ると約90%が仏教徒、キリスト教徒やイスラム教徒は少数派です。
ミャンマーのイスラム教徒の多くはイギリス統治時代にインドから渡ってきた人たちです。イギリスはインドの人々を介した間接統治を行っていました。そのため、ミャンマーの人々(少なくとも当時の人々)はインド系の人たちにあまりいい感情を持っていなかったと言います。とはいえ、ミャンマーでは普段から仏教徒とイスラム教徒がいがみ合い、互いに攻撃し合っているかというとそうではありません。同じ地域に暮らし、少なくとも表面上は穏やかに暮らしている人々がほとんどです。衝突が起きたメティラの街でも同様でした。それぞれ個人の付き合いの中ではいがみ合うことなく暮らしていますが、一度火がつくと、個人を超えた次元の問題へと発展してしまうのかもしれません。
正直なところ、民族問題、宗教問題は民族の多様性に乏しい日本に暮らしていると実感が湧きにくい問題ではないでしょうか。隣人同士が互いの命を奪うほどの怒りは一体どこから来るのかと首を傾げてしまうかもしれません。歴史をひも解くとその理由の一端を推測することができる気がしますが、長年にわたって積み重なってきたその土地の人々が互いに抱く感情は外国人が理解できるものではないのでしょう。そしてこの問題はその根深さ故に、民政移管したからといってそうやすやすと解決できるようなものではありません。
本項で触れた内容はあまり日本には伝わってきませんが、アジアのラストフロンティアとその輝かしい部分にスポットがあたるその裏で、今もなお明日の暮らしすら保障されない人々がいることもミャンマーの一つの側面として覚えておくべきでしょう。