国際社会をテロから守るためには、シリアの内戦を止めることが緊急かつ根本的な課題だと、高橋和夫さんはインタビューで述べています。
そもそも、「シリア内戦」とは何なのか。『イスラム国の野望』のなかで、高橋さんはこんなふうに解説しています。
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■シリア問題をどう片づけるか
現在、反イスラム国という点で世界各国の足並みはそろっています。この問題はイラクとシリアの安定化という課題を避けては通れません。その点において、各国の思惑が交錯しています。
特に問題なのはシリアで、まずはアサド政権を倒すべきという理想論がひとつ。そうは言っても倒れないのだから、まずはイスラム国からという現実論がもうひとつ。この亀裂が埋められていない状況です。
理想論的認識では、アサド政権が諸悪の根源で、この政権を倒さなければ根本的な問題の解決はありません。他方、現実論的認識によれば、アサド政権を倒して民主的な政府ができれば素晴らしいのですが、それまでには長い時間がかかりそうです。その前にイスラム国の脅威に対処する必要があります。
現実を言えば、もはやイラクという国もシリアという国もなく、実質的にはバラバラになっている状態です。
シリアは実際は、アサド政権の支配地域と反アサド政権の地域に分裂しています。もっと悪く考えると、アサド・シリアとごちゃごちゃシリア、といった感じでしょうか。イラクにしても、南部から中部にかけてのシーア派の中央政権の支配地域、北部のクルド人の地域、そして中部のイスラム国の支配地域に3分されています。
■アサド政権を倒すのは困難
アサド政権はおそらく倒れないでしょう。ロシアとイランが倒させまいとしていますし、本人たちも必死ですから打倒は困難です。
アサド勢力を応援して戦っている組織にヘズボッラーがあります。これはレバノンのシーア派の組織です。1982年、レバノン南部へのイスラエル侵攻に対し、イランの支援でできた武装組織です。
ヘズボッラーは非常に組織化されており、政治部門、民生部門などが整っています。パレスチナのイスラム勢力であるハマスと似たような感じです。
しかも、イランから最新の兵器が入ってきますし、死ねば天国に行けると本気で信じていますので士気も高い。いつも中東で最強のイスラエル軍と戦ってきましたので、実戦経験も豊富ですし、かなりの強さを誇ります。そのため、当初は劣勢だったアサド勢力が、その加勢によって息を吹き返しました。
先述した通り、もともとアラウィー派は貧しい山岳地帯の出身です。地理的には、アラウィー派の故郷はシリア北部の海岸沿いになります。劣勢になれば、首都ダマスカスを放棄して故郷に戻り、山中の籠城戦にもちこむくらいの覚悟はあるでしょう。
しかし現状では、アサド勢力がダマスカスと故郷を結ぶラインを確保しています。それゆえに、大方が、当面負けることはないという予想をしているのです。
また、内戦が始まってすでに約4年が経過し、お互いに疲弊してきたため、部分、部分では停戦となって状況は安定しつつあります。
もっとも、国内の多くの都市は戦場となって破壊しつくされ、国内はめちゃくちゃな状態となっています。
■「シリア」が「国名」から「地名」に?
2014年6月、政権もかなり安定してきたということで、アサドは大統領選挙を実施しました。結果は88・7%の得票率で再選されました。もちろん八百長(やおちょう)で、政権の安定度を誇示するのが狙いのショーにすぎません。
もっとも投票が行われたのは、アサド政権の支配地域だけですが、実質的にはアサド大統領が内戦に勝ったと言っていいでしょう。より正確に言えば、アサド政権は負けなかった。
しかし、離反者が出ていることも事実です。議会の議員はダマスカスにいるため、逃げるわけにいきませんが、外交官には亡命した人がかなりいます。また、軍治安関係者ではかなりの数が反政府側に寝返っています。
シリアに関しては、カタールの衛星テレビ局アルジャジーラが詳しく報道しています。その報道姿勢は、アサドに批判的です。
ちなみに、カタールはとてもお金持ちの国ですが、その理由の一端は、日本が天然ガスを高額で買っていることにあります。中部電力がお得意様です。つまり名古屋の元気が、アルジャジーラの元気なのです。
話を戻すと、アサド政権が続くということは、シリアの分裂状態が続くということです。アサド政権が、シリア全体をもう一度支配するとは、ちょっと考えられません。このままだと、「シリア」は、「国名」からたんなる「地名」に変わってしまうかもしれません。
さらに問題なのは、現在、何百万人ものシリア人が、難民となってトルコ、ヨルダン、
レバノンなどに逃れていることです。この難民にいかに対応するかは不透明です。
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高橋さんが本書で案じていたとおり、2015年夏以降、大量の難民が押し寄せ、欧州社会がその対応に翻弄されている間に、今回の事件が起きました。
しかし、欧州社会は決して一方的な被害者ではなく、中東が紛争多発地帯になってしまったことに、欧州社会は大きな責任を追っています。
次回最終回では、今回の事件の遠因を、「イスラム国」出現までの100年の歴史をさかのぼって考えます。