『鍵の掛かった男』
有栖川有栖
幻冬舎刊 \1,836
大阪のプチホテルで老齢の男が死亡。警察は自殺と断定。アリスと火村は死の謎を解明すべく動くが、男の来歴がまったくわからない。自殺か他殺か? 悲劇的結末が関係者全員を待ち受けていた。
ミステリーは好きだけど
本格推理はちょっと……
この原稿を書いている今、まさに読書の秋の真っ直中であります。で、思ったのですがこの読書という趣味、他のものと比べると特異性があるなあと。例えばですね、野球、サッカーが好きな人同士なら一緒に球場やグラウンドに行って身体を動かしたり、観戦したりするわけです。映画だって、グルメだって同じ趣味の人と同時に楽しめるのですが……
「ねえねえ、○○先生の新刊が出たんだって」
「ホントー? じゃあ週末一緒に読もうよ!」
それはありえない。
でも、好きな作家さん、作品、読後の感想などを話すことができる。それが読書かなと。
それで私事ですが先日、本好き女子の方とお話しする機会がありまして、こんな話がありました
「私、ミステリーは好きなんですけど、本格推理がダメなんです」
「え、どうして」
「だってほら、密室とかトリックありきで殺人事件が起こって、最後は崖っぷちで犯人が船越英一郎に真相を喋っちゃう……そんなお約束的な展開に入り込むことができなくて」
「そ、そうなんだ」
崖っぷちで船越英一郎はテレビなんですけど……まあ確かにトリック、推理ありきのミステリーは根強いファンの方がいる一方で、彼女のように拒否反応を示す方がいるのも事実です。
今回は、そんな女子のみなさんの食わず嫌いを払拭していただく、オススメの一冊があるんです。
新本格派ミステリーの
代表的な作家さん
有栖川有栖さんをあまりご存じない方にサラッと説明いたします。一九八九年にデビュー。八〇年代後半〜九〇年代あたりのミステリー界のムーブメントに「新本格派」があるのですが、その代表的な方と言われています。新本格派の定義や作家さんのカテゴライズは説明がなかなかに難しいのでここでは割愛しますが、先述した密室殺人などの謎解きが魅力のひとつと言えるでしょう。
作品の中でも人気なのが「有栖川有栖」が作品に登場する、火村英生シリーズです。今回ご紹介いたします『鍵の掛かった男』も、作家である有栖川と、探偵役である大学准教授の火村英生が難事件に挑み……と書いてしまうと「え〜密室ですか?」と食わず嫌いされてしまいそうですが……いえいえ、この作品はなかなかに深いんですよ。その深さをご案内していきますので、お付き合いください。
大阪中之島のホテルで起こった
事件は自殺か他殺か?
まず、あらすじはこんな感じです──作家が集まるパーティで、有栖川(以下アリスにします)は大物作家の影浦浪子に相談を受ける。
彼女が常宿にしている大阪中之島の「銀星ホテル」で梨田稔という宿泊客が遺体で発見された。梨田はベッドの手摺りに、カーテンを束ねる紐を結んで、そこで首を吊っていた。司法解剖の結果自殺という判定が下ったが、生前親交のあった影浦は自殺とは思えないと言う。遺書がないし、亡くなる数時間前の様子が普段と変わらなかったからだ。
死亡推定時刻は一月十三日の午後十一時から翌午前二時。五階建てのホテルは内側から施錠されていたので、もし他殺であるとしたら犯人は従業員か、当夜の宿泊客となる。影浦はアリスと友人の火村に自殺でないことを証明してほしいと頼む──。
ここでミステリーの軸は梨田の死が自殺か他殺かになり、他殺とすれば犯人は誰で、どのようなトリックで自殺に見せようとしたか……となります。ミステリーとしては正統なものでありまして、有栖川さんが新本格派と言われるのも頷けます。けれどこれ、ただの謎解き小説でないのです。深くて重厚な人間ドラマとして、じっくり味わえる要素がいっぱい詰まっているのです。その一つが、亡くなった梨田には身寄り、来歴がほとんどなく、作品名通りに「鍵の掛かった男」であることです。
調査で見えてくる
過去、実在の風景
銀星ホテルに五年も暮らしていた梨田は人柄もよく、彼を悪く言う人はいませんでした。つまり殺人だったとしても殺される理由が不明なのです。アリスは事件当日の様子、故人の過去を探るべく単独で調査を始めます。ちなみに相棒の火村は勤務先の大学入試が終わるまで身動きがとれない状態です。
アリスはわずかな手がかりから梨田の空白の歴史を埋めていくのですが、まずそのディテールで読ませてくれます。ホテルでは紳士であった梨田の過去を探ると意外な事実が次々と現れる。そこには彼の人生の悲哀が浮かび上がり、ドキュメンタリーのような厚みを持たせます。
また著者は生まれも育ちも、そして現在も大阪ですので舞台となる中之島の描写がとても緻密です。例えば第二章の冒頭、二〇〇八年に開業した京阪中之島線でホテルへ赴く風景描写は、現地をご存じの方ならありありと浮かんでくることでしょう。
場所だけでなく時勢もリアルです。事件は二〇一五年の出来事であり、アリスは二十年前の阪神・淡路大震災のことを思い、作中では3・11の話題も上がります。さらにはこの年の初頭に日本を震撼させたシリアの人質事件のことも─かなりリアルな「今」が盛り込まれているのです。崖っぷち&船越英一郎の世界とは程遠いことがおわかりいただけますよね。しかも、これらはページ数を増やすためのモノではないのですよ、フフフ──と申し上げておきます。だってミステリーだもの。
交わす会話の妙が
作品のスパイスに
今とシンクロさせた主人公の調査に、読み手もいつのまにか彼と同じく推理をするようになるでしょう。それもミステリーの醍醐味のひとつですが、有栖川さんの小説にはファンを楽しませる会話の巧さがあります。特にアリスと、彼の友人である火村の会話です。十四年来の仲であるが、どこか脆そうで理解しかねるところが多い──というのがアリスの火村評です。でもそれが面白くもあると語ります。お互いに手の内を知り尽くしたようなツンデレで、それでいて相手のことを思っている乾いた会話は男の友情を感じさせ小気味よいのです。
他にも若い支配人夫妻、夫人の女友達、宿泊していた演奏家、呉服屋の主人など、一癖も二癖もありそうな登場人物が「何か」を感じさせる物言いでヒントをちりばめていきます。それを聞いたアリス、火村は、掛かった鍵を開けることができるのか?
本作は五百ページを超える大作ですので、アリスと調査を共にし、謎について考えるのは大変かと思います。けれど、この重厚なドラマを最後まで読みきったときに、ただの本格推理ではない深みを感じていただけると思うのです。最終章で影浦浪子が語った言葉を紹介し、今回は終わりにいたします。
「人の世は、なんと危うく残酷で、なんと出鱈目で得体が知れないのでしょうか! だから私たちは小説を読み、書くのですよ」
『GINGER L.』 2015 WINTER 21号より
食わず嫌い女子のための読書案内
女性向け文芸誌「GINGER L.」連載の書評エッセイです。警察小説、ハードボイルド、オタクカルチャー、時代小説、政治もの……。普段「女子」が食指を伸ばさないジャンルの書籍を、敢えてオススメしいたします。
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