柔道家・篠原信一さんと言えば、2000年シドニー五輪では金メダル確実と言われながら「世紀の大誤審」により銀メダルに終わった、という過去を覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。今回は、著書『規格外』からその決勝戦の顛末について綴った箇所を公開します。
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シドニー五輪、決勝。試合開始から1分30秒が過ぎたあたり。
ドゥイエ選手が僕の後ろ帯を摑つかんだ体勢で強引に内股をかけてきました。
内股すかし。
相手に内股をかけられた時、かけられている方の足を外すようにすかして上半身で相手の体勢をコントロールをし、回転させて投げる技。ドゥイエ選手の得意技が内股であることは分かっていたし、僕もまた内股すかしを得意としていたので、この展開をどこかで意識していました。
でも柔道の試合は予想通りに相手が動いて技が決まるという甘いものではない。こうきたら、こう返すと考えて動いていてはとても間に合いません。あくまで身体が自然に反応した結果。もちろんそうなるために日々練習を重ねてきたわけですが。
決勝の相手となったフランス代表のドゥイエ選手はバルセロナで銅、アトランタで金を獲った強豪で、シドニーでも優勝候補の一人と言われていました。
1997年のパリ世界選手権の決勝で敗北を喫して以来となる対決。不可解な判定で勝負が決まり、「誤審」という声も上がった試合だったので、柔道関係者の間では因縁の対決という見方もありました。
でも僕にとってのドゥイエ選手は、準決勝で戦ったトメノフ選手に比べると特別やりにくい相手ではなかった。もちろん、誰が相手でも優勝することしか頭にない、とにかく勝つことだけを考えて臨んだ決勝戦でした。
なかなか思うようには組ませてくれないドゥイエ選手でしたが、僕はどうやって一本を取るかを全身で集中して探っているような状態でした。そんな中で内股すかしが決まり、ドゥイエ選手の身体は一瞬宙を舞い、背中から畳に落ちました。
勝った!
僕自身も投げた勢いで体勢を崩し、肩をついて倒れ込んでいましたが、彼をしっかりと投げた手応えはありました。
目の前に見える副審も一本を示しています。
僕は思わず両手を掲げてガッツポーズ。やっとこの日、この時が来たという喜びと興奮が一瞬にして湧き上がってきました。
勝ち名乗りを聞いて礼をするために場内中央に戻ろうとした時、主審の有効の判定が目に入りました。
え、なんで有効なん?
わけが分からないまま、「はじめ!」の合図とともに試合が再開されました。でも僕の頭の中には、今のは絶対に一本だったという思いが渦巻いています。
一本でしょ? なんでまだ試合を続けないとあかんねん!
「待て」の合図がかかった時に、斉藤先生がしきりに何かを叫んでいるのが聞こえてきました。
「信一、お前が取られてるぞ!」
なんで?
斉藤先生の言葉をそのまま受け取るのであれば、さっき投げられたのは僕ということになります。僕の内股すかしではなく、ドゥイエ選手の内股が有効。
なんでやねん!
試合は続いていましたが、なんで? という心の声に支配された僕は、相手に集中できません。
当時、柔道の試合では誤審と思われる審判が下されると、その後の試合を中断して、審判たちが協議をするということがありました。そこで判定が覆り、やっぱり一本だったとなれば、そこで試合は終了です。
僕もそういう展開になることを確信していました。
はよ試合を止めてくれよ。
しかし一向にその気配はありません。電光掲示板を確認しても、ドゥイエ選手の有効という表示は変わらない。
「信一、攻めろ!」
斉藤先生の声が聞こえてきます。
え、まだ続けんの?
頭が真っ白になって、がむしゃらに攻めようとしました。しかしなかなか思うように組ませてもらえません。奥襟を取りに行こうとしてもさばかれてしまいます。
やがて攻めの姿勢が見られないということで、ドゥイエ選手に指導が入り、ポイントでは並ぶことになりました。でも技で取った有効の方が判定では有利とされるので、このまま試合終了を迎えれば、僕の負けとなってしまう。
試合時間は刻々と経過していきます。さっきまで、なんで? でいっぱいだった僕の頭の中に焦りの感情が芽生えてきました。
やばい。このままでは負ける。
早く組んで、早く投げなければ負ける、負ける、負ける……。
摑もうとしては逃げられ、中途半端な技をかけてはかわされる時間が続きました。焦りはどんどん募つのっていくばかりです。
残り1分を切ったところで、無理矢理に繰り出した内股を返され、逆に有効を取られてしまいました。
ここから先のことはもうあまり記憶にありません。
気が付いたらブザーが鳴って試合終了。
僕は負けました。
はっきりとドゥイエ選手の勝利が宣言されたのです。
その瞬間、僕は何をしていたのか。どこを見ていたのか。まったく思い出せません。
ただ負けてしまったという事実に打ちのめされたまま、試合場を後にして、気が付けば控え室で号泣していました。