『永遠の仔』、『歓喜の仔』をはじめとして、見えにくい人々の孤立化を描いてきた天童荒太さんの対談集『だから人間は滅びない』が発売中です。
いま日本は、虐待、貧困、介護など問題を抱えた人々が助けを呼べず、周りも気づかないふりをする社会になりつつあります。本書は、そういった危機的状況を変えるために、他者と「つながる」活動をしている社会企業家16人の方と天童さんが対談した1冊になっています。
被災地の子ども支援、産後の母親ケア、障害者雇用などに携わっている人のもとを訪ねて対談した中から試し読み後篇では、国内約90店舗のショップやギャラリーを展開し、ファッション・アート全般を扱っている「アッシュ・ペー・フランス」の代表取締役の村松孝尚さんが登場です。
◆10年先から考える
村松孝尚さん(以下村松) 今日はお会いするのを楽しみにしていました。昔、書店で彫刻家・舟越桂かつらさんの作品を表紙に使った『悼む人』を見かけて。舟越さんの作品を使うなんて、どういう感性の人なんだろうって。
今日こうやってお会いする前にも、天童さんをアテンドしていたスタッフから電話がかかってきて、天童さんの行動を逐一報告してきた(笑)。対談の前に実際に店を訪れて、洋服を着てもらったり、買い物していただいたり、足を使ってくださった。最初からびっくりしました。
天童荒太(以下天童) いえ、とんでもない。僕はまったくファッションに疎いんです。四国の田舎の出ですしね、周りもファッションに気をつかう友人はほとんどいなかった。東京に出てからも、表現者になりたい一心で、ファッションのことを考える余裕が、精神的にも金銭的にもなかった。その感覚をつい最近まで引きずっていたので、服を買うこと自体、本が刊行されて取材を受けるときくらいにしかなかったんです。でもそれではいけないと(笑)。人間にとって根本的に重要な衣食住の「衣」、つまりファッションをきちんと見つめることが、今大切なんじゃないかと、勘のようなものが働きまして。この一連の対談は「つなぐ、つながる」をキーワードにしていますが、「ファッション」に対して、「つながる」というイメージはあまり持たれていないように感じます。そんな中、アッシュ・ペー・フランスは服飾だけでなく、インテリアやアートまでを扱って、多様な形でファッションと人々をつなぎ、各国のよきものを買い付けて、日本と世界をつないでいる。さらには、新人を発掘しつつ、アンティークなものにも光を当てて、これから輝くだろうものや、今まで埋もれていたよきものと社会とをつないでいる。
そんな仕事をされている村松さんとお話しすることで、これまでの、そしてこれからの日本のあり方が見えてくるのではないか。そう思って、今日はうかがいました。そのためにもまず実際に各店舗にうかがってみること、服を試着してみること、さらにやはり自腹で買うということをしないと、服のことは本当には分からないと思いまして。ちなみに本も、足で書くタイプの人間ですし(笑)。
さて、まず社名ですが、アッシュ(H)はフランス語の子音で、発音されませんよね。そういう文字をあえて持ってきたのは、どういう意味があったのでしょう。
村松 まず、僕はもともとファッション業界の人間ではありません。だからこういういろんなことができているんだとも思う。
最初は小さな出版社にいたんですが、給料が6万円で、結婚して子どももいたら食べていけない。たまたま家内が洋服屋につとめていて、オーナーが自分は引退するので店を買わないかと。それでファッションの世界に入った。
家内に仕入れから何から全部教えてもらって、店を始めたのが東京・原宿のラフォーレだった。原宿(Harajuku)でやる仕事(Project)だからHP。ベタな名前ですけれど、自分にとってはベタではなくて(笑)。原宿は日本中から若い人が集ま
る場所。いわば日本の思春期で、エネルギーがニキビのように噴き出していた。原宿から悪いものも、新しいものも生まれるんだと。そういう存在でありたいとの思いを込めました。
でもそのうち、小さな箱の中で洋服屋をやっているのに飽きてきた。外に出たくてしょうがなかったんです。そんなとき、たまたま地下鉄の駅で学生時代の知人に再会して、彼の奥さんがパリで帽子を作っているから扱ってくれないかと。「これでパリに行ける!」と思いました(笑)。
で、すぐにパリに行ったんですけれど、そこで出会ったのが、帽子や指輪、バッグとかをいろんなデザイナーから集めているフランソワーズという女性のバイヤー。当時、アクセサリーの価値は、金きんの重さや宝石の大きさで決まっていたのですが、彼女が集めてくる指輪は、石を針金でぐるぐる巻いたようなもの。でも、そこにはクリエイション(創造性)という価値があるんですね。それを見つけるのが彼女の「目」なんです。そもそもバッグなんて、物が入らない(笑)。
バッグっていうのは、物を入れるものだと思うけど、そうじゃない。おしゃれという、全体を作るための部品なんだと。そういうものの見方を彼女が全部教えてくれました。日本での売り上げを全部ポケットに突っ込んでいったんですけど、あれ買えこれ買えと、彼女に全部巻き上げられて(笑)。
で、東京に持って帰るんですけど、在庫の山になる(笑)。経理担当者に「2000万円やるから、これを使い切ったら終わりにしてくれ」と言われて、また会社を作った。HPに、フランスを付けて、「アッシュ・ペー・フランス」。
僕はもともと、ファッションを分かってファッションの仕事をしたのではなかった。出版社では今でいうカルチャー誌をやっていたんですが、オルタナティブ(現在あるもののかわりに選びうる新しい選択肢)という考え方がテーマだった。オルタナティブの原型っていうと、ヒッピー。ヒッピーっていうといろんな説明の仕方があるので難しいんですけど、僕は「新しい考え方、生き方」だと思う。つまり、テーマでいえば、出版社での仕事と30歳過ぎてから始めたファッションの仕事はつながっているんです。
天童 村松さんはかつて魚河岸で働いていらっしゃったんですよね。ホテルの皿洗いをしていたこともあると。いわゆるブルーカラーですよ、なのに過去のインタヴューで「魚河岸より稼げると思って婦人服のお店を買った」とおっしゃっているんですけど、ファッションのファの字も知らない人がなぜそう思えたのか。普通、何も知らないのに稼げるなんて思えないし、素人がお店なんて怖くて買えないですよ。よりにもよって婦人服という、それまでのキャリアとはまったく関係のない、先の見通しも利かない仕事をなぜ選択したのか、なぜやる気になれたのか。大きなポイントだと思うんです。
村松 なんであの話受けたんだろう……いろんなことを考えないでやってきていますね……。どうしよう、気の利いた答えがないんですけど(笑)。魚河岸にいたのも、とにかく考えるのをやめて体を動かそうと。考えててもお金にならないから、起きているあいだは全部体を動かしていようと。婦人服店を買ったのも、自分で自分のお給料を決められるとか、そっちのほうだったのかな。がんばればなんとかなると思っちゃったのかな。
天童 子ども時代からファッションに憧れていたとか。
村松 まったくないです(笑)。僕は長野の山奥の出身で、自分でズボンなんか買ったこともない。自分の原風景にファッションや、アート、クリエイションという要素はまったくなかった。土瓶を正面から描けと言われても、どう描いていいか分からないような人間ですから。
天童 自分の中にある可能性を探ることが大事だと気づいたとき、人は大抵まず自分がクリエイターになろうとする。でも、村松さんは紹介する側に回った。これは?
村松 自分でこういう役割をしようと決めたわけではないんです。でも、今振り返ってみると、人からいただいた話は断っていないですね。家内も、まさか僕があの話を受けるとは思わなかったって(笑)。パリのフランソワーズにしても、あれ買えこれ買えって、言われたとおりにしてきただけ。自分で全部決めてるんだけど、その反対、自分では何も決めていない。出会った人との何かで決めていく。
天童 自分では何も決めずに、ここまで大きな組織になった……って意外ですね。まったく立志伝が書きにくいじゃないですか(笑)。ともかくフランソワーズさんをはじめとして有能なバイヤーさん、また才能あるデザイナーやクリエイターの方々、店舗やストリートおよび各種イベントのプロデューサーやスタッフの方々など、今は実に多くの人がアッシュ・ペー・フランスに集まり、輪を広げつづけていらっしゃる。つまり人ですよね。どうでしょう、人を発掘することには自信があったのですか?
村松 正直なところ、自信なんてないですよ。今起きていることは何か、っていうことは考えてきましたけれど、ずっと。ことの本質を。でも、振り返ってみると、人と会ったときに、瞬間的にその人の中に自分が入っていっちゃうっていうか、そういうところはありますね。鼻の穴から、シュッと(笑)。
天童 わ、怖ッ。今入られちゃいましたね(笑)。村松さんは日本各地、また世界の興味を持たれた国や地域へどんどん出かけられて、新しいものや、新しい輝きを放つアンティークを見つけてこられるわけですよね。人材を見いだされてきた方法論にも通じるものがあると思うのですが、会社のあり方、組織の進む方向を含めて、村松さんの中では、原則的にどういう判断基準が働いているんでしょう。
村松 社会がどうあるべきか、というのをいつも考えています。社会がどうあるべきかを考えれば、会社のあり方は自然と決まる。社員にも「会社ではなく社会だと思って仕事をしろ」と言っています。ギャグみたいですけど、社会をひっくり返せば会社ですから。
つまり、未来から考えるというか、「こうあったらいいな、こうだったら人が気持ちよくいられるな」と考える。先に未来の絵を描いて、そこから今日何をすべきかを考えます。会議をやっても、大体は「昨日までこうだったから明日はこう」って、過去のデータになっちゃう。でも、そうじゃないんだと。
もちろん普遍的なものはあるけれど、時代の中で何を大切にすべきかって変わってくる。今の日本であれば、クリエイション。創造性が必要だと思う。教育も、会社も、創造的であることに、まじめであるべきだと思います。
天童 創造性というのは、人の真似をするなということでしょうか。
村松 真似はしてもいいんだけど……。未来を切り拓いていくということでしょうか。例えば、男女が結婚して、二人でもっともっと幸せになるような生活を作っていくことも創造性だと思うし。小さなことも大きなことも、「どうあるべきか」という未来から考える。それが創造性なのだと思います。
天童 未来の社会と、そこに暮らす未来の個人を、具体的にイメージして、その上で今必要なこと、今有効なことは何かと逆算して動く……非常にイマヂナティヴなコンセプトですね。何年ぐらい先まで考えるんですか。
村松 ほとんど見えないけれど、100年先まではある。30年先までは、無理にでも絵を描きますね。そうすると、10年ぐらいはわりとはっきり見えてくる。
天童 それは紙に書くんですか?
村松 そう。自分の脳みそと会話するんです。寝る前、布団の中とかでね。お店を立ち上げたときぐらいから、ずっと書いてますね。従業員が3人しかいないときから、
20人ぐらいの組織図を書いていた(笑)。いつも先のことを考えてきました。過去から未来を考えない。未来から、明日やることを考える。
天童 見習いたいなあ。「もの」をセレクトするときには、基本としてそのどこを見て選んでいくんですか。
村松 売れるから選んだかというと、そうではない。「もの」ではなく、「この人が作っているものを買おうよ」ということですね。やっぱりクリエイションが本質的な人と、コピーの人がいる。多くはコピーなんだけれど、その中から本質的な人を見抜いていくんです。難しいけれど。まずは人です。パリでもそうだったんですけど、すれ違って気になる人がいるとアパートまで追いかけていってつかまえちゃう。ストーカーですよね、ホント(笑)。かといって、本質的な人が売れるとは限らないから、そういうところはバイヤーが精査していくというやり方です。
あとは、現象ですね。例えば、今ニューヨークにチェルシーマーケットという商業施設があるんですけれど、服屋さんの隣にパン工場があったりと、ネットではできない体験型のショッピングなんです。決して値段は安くないけど、すごく人が集まっている。ショッピングモールを造るとしても、そこにどんなお店を入れるかではなく、こういう現象を作りたいと考えるほうが重要だと思います。うまく説明できないんだけど……。
天童 いや、説明しにくいところに一番大事な要素が隠れているんじゃないですか。つまり、言葉でちゃんと説明できるっていうことは、ほかの人もきっと説明できてしまうわけで、その時点ですでに古くなるでしょう。
村松 分かりにくいものに大事なもの、未来がある。どうしても、人は異質なものを悪意なく自動的に排除してしまうんですね。社内でもそれは起きていて。僕は異質なものをやっていて、「村松プロジェクト」というセクションを作っているんですが、どうしても「社長、またお金かかりますよ」って言われちゃう。それが窮屈で、結局、自分が作ったプロジェクトから、自分が出てしまうという。もうわけ分かんないですよ(笑)。社員の人、すごくがんばってくれているんだけど、普通は異質を駆逐する。それは、社会全体で
起きてることですよね。
天童 会議で大勢に向けて分かりやすいプレゼンテーションができるときには、どこかの有能な誰かもきっと人を動かす説明ができているわけで、自分では新しい提案だと思っていても、実際には先行者がいて、二番煎じ三番煎じになってしまう。ほかの会社でも、どこでもできちゃう。実は、説明できない、というところが新しい。
村松 それを説明しろ、計画出せ、と言われる。だから社長が追い出されちゃう(笑)。
がんばって、異質が存在しうる社会というか、会社づくりをやっています。
天童 人はつい他人が持っているから、流行っているから、ということで安心してしまう。でも、そんな中で、自分がよいと思ったものをよいと信じ抜くことができる感性って、磨きうるものなのでしょうか。
村松 磨けると思います。振り返ってみると、自分で自分を泳がせてますね。自分で自分がほしいと思ったものを買わせてあげる、自分に許す。ほしいという気分が基本ですね。普通のギャラリー主は自分で美術品を買わないでしょう。僕は自分でほしくなっちゃう。アートと家具は自分で口出して、自分で買っちゃう。給料もらっても、また会社に貢いじゃう(笑)。
天童 自分で買っちゃう、は別として(笑)、そういった独自の感性を人に伝えるのは可能でしょうか?
村松 もちろん、そういうのを感じ取ってくれる人はいますよ。感じ取って、自分でどんどん面白いことをしてくれる。
天童 そういった勉強は、どこで、どうすればいいのでしょう。
村松 まずは、世界を見る。コピーするのではなく、感じてくること。感じれば、考えるし、それが思想になる。迷わずに自分の感性を押し出せるようになる。
天童 つまり一歩踏み出すこと、何事によらず、まず体験してくるっていうのは……。
村松 絶対に大事ですね。財産になります。
本記事は幻冬舎新書『だから人間は滅びない』(天童荒太著)の全272ページ中12ページを掲載した試し読みページです。続きは『だから人間は滅びない』新書、または電子書籍をご覧下さい。